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なつめぐ日記

思いのままに、がんばらない。

他人のことは分からない

2009-11-03 16:36:04 | Weblog
ファーストキッチンでお昼を食べていたら、
足元がおぼつかない高齢の男性が隣りに座った。
「1人でファーストフードを食べるおじいちゃん」
というのが、かなり切なかったんだけど、
ココアフロートをおいしそうに飲んでる姿を見て
私の考え方が間違っている気がしてきた。

駅で、足元のおぼつかない高齢の男性が、
手すりにつかまり大変そうに階段を降りていた。
「歳をとって歩くことが危うくなる」
というのが、また切なくなったんだけど、
隣りに同じ歳くらいの奥さんがいて、
しっかり手をつないで歩いていた。
やっぱり私の考え方が間違っている気がしてきた。

QRコードをURコード(団地か?)と連呼する若者や、
外出して「何かをした」ことで休日を感じる人や、
テニミュについて熱く語り過ぎて、歌い出す人や、
秋の夜のせつなさを楽しむ人や、
冬の寒さに元気をもらう人がいる。

恥ずかしくて逃げ出したくなることや、
怖くて感じたくないのは私だけで、
誰しもが不幸でも幸福でもない。

悲しんだり、へこんだりできるなら、
喜んだり、はしゃいだりもできる。
プラスはマイナスで、光は影みたいなもんで。
原因と結果はイコールになるから、他人は自分で自分は他人らしい。

昨日のお酒がまだ残っている頭で、何となくそう思った。

ダライ・ラマはきっといい人だ

2009-11-01 01:00:07 | Weblog
尊敬できる大人、こうなりたいと思える大人に出会った。
近所にこういう大人がいてくれたらどんなにステキだろう。
おちゃめで、温かい人柄で、愛すべき人だ。
スゴイ人とか、そういうんじゃなくて、
一緒にいると、気持ちいい感じ。
ダライ・ラマはそんな人だと思った。

両国国技館にダライ・ラマの法話を聞きに行った。
宗教的な意味合いは全くなく、
歴史上の人物に会えるというミーハー精神が
90パーセントを越えていた。
多分ローマ法王が来ても行くと思う。

般若心境を唱えるところから始まり
「ダライ・ラマってホントに仏教徒だったんだ」
と、再確認するくらいのアホっぷり。
般若心境って大人数で唱えると、何だか眠くなってくる。
チベット語で話し、日本語に通訳される。
ダライ・ラマはなかなかいい声をしているので、
この低音がまた眠気を誘い、開始15分後には寝ている人がチラホラ。
言葉の壁は、けっこう高い。
集中して聞いていたので、2時間後には疲れて私も寝てしまった。
いかんいかん。

話している内容は、どこかで聞いたことがあるようなことで、
これを聞いたから開眼するっていうことはない。
人としてどう生きていけば、幸せになれるのかっていうことを
話していたんだと思う。
他人と自分を区別しないこととか、
自我はどこにあるのかとか、
聞いていて「人類保管計画か?」と思ったりしていたけど、
全ては自己の中にあるし、簡単には幸せになれないし、
自分で考えろっていうことだと思った。

人のためになることをし、できないのなら人の迷惑にならない。
っていのが仏教の考えかたらしい。
人のためになることをしているんだろうダライ・ラマには
偽善の匂いがまったくしない。

自分に自信がない人に対して、
「考える力を持っているだけで十分価値がある」
と力強く答えるおじさん、ダライ・ラマ。
仏教は、修行+学問をする。
宗教的な考えを、自分のものにできるまで考えて、
それが間違っていると論理的にできるものは
昔から伝わってきたことでも、違うと言っていいらしい。
分かんないことは「これはよく分からないけど…」と
あっさりダライ・ラマは言ってた。

楽して幸せにはなれないし、
苦しいとか辛いとかそういうのは全部自分から発することだ。
幸せになりたいなら努力しなさいと、
多分ダライ・ラマは言っていたんだろう。

話しているときに、体をポリポリかいていて緊張感なし。
通訳してもらっているときに、袋から何か出して(多分薬)飲んでたし、
時間が過ぎていたけど、笑って「ごめんね~」って感じで、
ありがたさ、とか、すごさは全然感じなかった。
ダライ・ラマがいて、私たちがいるんじゃなくて、
私たちのために、ダライ・ラマがいてくれる気がする。

長く書いた上にまとまりがないし、
彼に関する背景はよく分かっていないけど、
ともかく会えてよかった。

ため息は健康のバロメーター

2009-10-29 00:09:44 | Weblog
明日もおいしいご飯が食べられるかは
本当に不確かなことだ。

帰り道胃が痛くなった。
途中下車→薬局→効くまで我慢→治らず
5時間くらい痛かったので、
「ジンギスカンを食べる日はもう来ないかもしれない」
と、少しだけ悲しくなった。

翌朝には治ったんだけど。

医者に行って「疲れがたまるとなります」
と言われてヘコんだ。
痛み続くと胃炎だそうで。

肉体的な疲れに弱くなったのか、
精神的に疲れていたのか。
どちらにせよ、タバコは吸うし、お酒も飲む。
私にとって大事なのはこっちだから。

鏡越しの恋

2009-10-28 23:46:06 | Weblog
好きな人がいる。
片思いだし、想いを伝える気もないし、
伝えたとしても相手は戯言だと思うだろう。
他愛もない話をして、顔を見ているだけで私は嬉しい。
そういう存在がいることが嬉しい。

本当のことが私に与えてくれた悲しみに比べたら、
あやふやなことが与えてくれた喜びの方が記憶する価値がある。
誰かを嫌うより好きでいた方がいい。

鏡とか、ガラスに映った好きな人を見る。
鏡越しに目が合うと、スゴいドキドキする。
私のコト好きなのかもと錯覚する。
鏡像は偶像で虚像。
その世界では、心の中だけが真実だと思いたい。

手に入らないから、欲しいものは
多分本当に欲しいものじゃないんだろう。
虚像が生きる気をくれるなら、それも本当かもしれないけど。
好きな人がいるだけで私は嬉しい。

他人の普通は、私の異常

2009-10-25 23:11:59 | Weblog
働く場所があって、ご飯が食べられて、住む家があって
眠れて、誰かと話せる。
今日生きていることも、明日目が覚めることも
多分当然だと思っている。

来年のスケジュールも出ているし、明日も仕事に行くだろう。
でも、明日も生きていることを普通だと思ったことはない。

明るい未来を想像しようと努めて、明るくはするし、
過去は過去だと割り切ったつもりで生きている。
一生誤魔化しながら生きていくのかと思うと、
正直かなりしんどい。
って、言っちゃいけない。

だから、他の人がどうやって毎日生きているのか気になるときがある。

自分が思うより、不幸でもなく幸福でもない。
理解とは願望に基づいている。

ってことで、今日は『イノセンス』を見ました。

林の中の象のように

2009-10-25 22:22:09 | Weblog
孤独に歩め
悪をなさず、求めるところは少なく
林の中の象のように

ダンマパダ 23章 330節

ブッダの言葉だけど、『イノセンス』で知った。


人間関係って大事だと思うけど、
好きでもない人と行動を共にするくらいなら、
1人で生きていけっていうことらしい。
林の中の象のように気高く生きることは難しいけど、
愚かな人と一緒にいて道を誤ることを考えると、
難しいことではないと思った。

何が愚かかは判断できなくても、
好きか嫌いかと、私の持つ常識で判断する。
それくらいは選ばせてほしい。

今週末ダライラマに会ってきます。

笑っていいともの旅(その11)終了

2009-10-06 19:18:23 | Weblog
番組終了時にあまりの疲労で更新ならず。
明日のゲストはTHE BOOMです。

番組開始10分前に着席。
拍手と「そうですね!」の練習をして番組開始!
一番前で観覧したからスゴい疲れた。
内容は見ての通り。

見ていて観覧のプロがちゃんといることと、
タモさんはスゴいなぁってこと、
はんにゃの金田の肌がキレイなことと、
中居くんはいいとも中はただのおじさんなことと、
タカトシの細い人はスタイルがいいことと、
千秋はカワイイことと、
柳原はいい人そうなことと、
ビヨンセを真似する人はホントに太っていることと、
さまぁ~ずは面白いということが分かった。

盛り上げなくちゃいけない合コンに行った時と
同じような疲労感。
長いしお尻痛いし、1度見たら十分。
でも生タモさんが見られてホントよかった。

明日は見ないけど、タモさんの健康と活躍を祈ってます。
いいとも観覧は気合いが必要ということを
学ぶことができました。
みなさんお疲れ様です。