咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

小村田通り~国道17号~大宮駅西口

2019年06月15日 | 日記
6月13日のブログは赤矢印まで歩いたところで終った。
その日はそこからこのような道筋で大宮駅まで歩いた。
今日のブログは6月13日ブログの後半を綴ります。

北に進み、信号交差点の手前で左奥の看板をアップする。
信号交差点左を見る。右を見る
直進方向に横断して右折する。左を見る。振り返る。

東に進んで今昔屋敷 蔵さんを見る。2010年5月の写真。
右に振って禅味 はすみさんを見る。2017年8月の写真
2010年5月写真
振り返る
ここ左を見る。右を見る

ここで道路案内標識をアップする。2017年8月の写真。

歩道から広場に変わり小村田通り標示板を見る。
2011年9月の写真。
ここカメラを右振る
小村田通りを振り返る。右に振る
信号交差点で三橋中央通りを横断しながら三橋方面(西)を見る。
大宮駅方面(東)を見る。

横断して東へ向かう。南を見る

左手の駐車場と大宮西口ひなた保育園さんの場所を2018年8月のストリートビューで見る。
ここ振り返る
バス停切引川を通過し、切引川(鴻沼川)に架かる橋の上から上流を見る。

次の交差点左を見る。右を見る
左手のそば酒菜 高砂さんを通過する。
押ボタン信号交差点を直進して横断歩道を見る。振り返る
東へ向かバス停新国道を通過して振り返る。

左折行き止まりの三差路直進する

国道17号桜木町四丁目信号交差点を左折する
直進方向を見る。2018年8月の写真。
南側から見た2017年2月の写真。
国道17号を上尾方面に進んで右を見る

さらに進み、ここ振り返る
右手の工事箇所を通過し、ここ振り返る
大宮駅入口信号交差点右折する
国道17号を横断しながら右を見る
右折して振り返る

さくら並木通りを東へ向かう。

三差路を直進して東に進ここ振り返る
信号交差点を大宮駅方面へ向かう。右を見る。振り返る
横断歩道を渡って駅方面へ向かう。振り返る。右に振る
県道を駅方面へ向かい、ここ振り返る。右を見る
ここ左に振る。右折する。振り返る


南に進み、ここで正面奥の看板をアップする。
下り階段手前で左折する。振り返る
鐘塚公園に入って左を見る。振り返る。右前方へ向かう
人工の小川からラグビーワールドカップの看板を見る

半回転した。

スクランブル信号を東に横断しながら右を見る
横断して右折し、ここ正面奥アップする。
信号交差点を左折する
突き当たりの階段を上がり、デッキの上を大宮駅西口へ向かう。
駅舎に入って振り返る。

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東浦和駅南通りから南区大谷口を歩く

2019年06月14日 | 日記
JR南浦和駅で6番線ホーム(武蔵野線)に上がる
ホームを東に進み、左側の壁がフェンスに変わったところで北を見る
6番線ホームに到着した東京行電車に乗車して振り返る
東浦和駅で下車、駅舎を出て右折する。

駅舎を通過して右折する。振り返る
三差路左折する。振り返る

南へ向かい、県道235号で左を見る。振り返る。右折する
セブンイレブンさんを通過し、信号交差点を直進しながら右を見る
直進し、ここ振り返る
三差路信号交差点で左を見る。県道235号蕨方面

東浦和駅南通り標示板を通過し、BigBoyさんとauさんの駐車場入口を通過して振り返る

三差路を直進して右を見る
東谷バス停手前で右を見る。アップする。大間木調整池。
左手のどん亭さんを通過し、三差路の左を見る。振り返る
押ボタン信号交差点を直進して振り返る。

上り坂を進み、ここ筋向かいを見る。振り返る。長屋門。

信号交差点を直進しながら右を見る
下り坂になり井沼方バス停を通過して振り返る
道は左カーブして、ここでカメラを右に振る。

交差点を直進し、ここ振り返る

信号交差点を直進しながら右を見る
直進して右を見る。振り返る
三差路信号交差点を直進し、ここでカメラを左に振る。表札看板をアップする。さいたま市立向小学校。
振り返る
三差路手前右を見る。振り返る
三差路で右を見る
直進して振り返る。

上り坂の途中振り返る

坂上の信号交差点を直進して振り返る
左を見る。県道1号川口方面。右を見る
下り坂を進み、ここ左後方を見る。
第二産業道路へ向かいながら右を見る。左を見る


第二産業道路の信号交差点で左を見る。振り返る
第二産業道路を横断して右を見る。振り返る。

東浦和駅からこのように歩いてきた。
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中央区本町東から大宮区上小町を歩く

2019年06月13日 | 日記
与野本町通りを北へ向かい、八幡通りとの交差点(赤丸)を直進する。反対側を見る。左を見る。右を見る
八幡通りを横断して北へ向かう。
バス停氷川神社前を通過して振り返る
三差路を右折する。

三差路を直進し、ここ振り返る

下り坂になり、上町北児童遊園地通過する
十字路手前左を見る。振り返る
直進して北へ向かい、三差路左を見る
直進して振り返る。

十字路右を見る。左を見る
直進し、ここ振り返る
埼玉県道56号に出て右折する。振り返る

東へ向かい、信号交差点で左を見る
直進し、歩道橋の階段を上がっ左折する。振り返る。

歩道橋を渡りながら右を見る
突き当たって左折し、右折する
北に進んで右手の道路案内標識を見る
左に寄って西を見る

突き当たって左折する。振り返る。左に振る
階段を下りて右折する。左を見る

北へ向かいながら右手のさいたま市立上小小学校を見る。
大宮区上小町1337の電柱を通過し、上小小学校校門を通過する。
丁字路に突き当たって右折する。左を見る。振り返る

道は少し左にカーブする。
十字路を直進し、ここ振り返る

北へ向か信号交差点直進しながら左を見る。右を見る
直進して振り返る
左手の尾高荘さんを通過して北に進み、三差路右を見る
ヤマボウシの花を見る

与野本町通りと八幡通りとの交差点(赤丸)からこのように歩いてきた。
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治水橋(荒川)付近にあった馬宮の渡し

2019年06月12日 | 日記
6月3日ブログで私は昭和2年発行の地図に見える荒川を横切る道に1~9の番号を付けた。
そしてウィキペディア荒川(関東)にある渡船場と照合し、このように対応させた。
2と3の間に「馬宮の渡し」というのがあり、“ 新流路、現在の治水橋付近 ” と説明されている。

ウィキペディア治水橋には “ 荒川が現在の位置を通るようになったのは1926年(大正15年)5月17日のことである。明治時代から続いた河川改修の一環で、直線化で取り残された旧川の曲線部はびん沼(今のびん沼川)となり、新しい川には渡船場が置かれ有料の賃渡船が運行されたが1927年(昭和2年)に県営化された。渡船場は「馬宮の渡し」と呼ばれ、治水橋とほぼ同じ場所に位置していた。治水橋の開通により渡船場は1934年(昭和9年)に廃止された ” と記述されている。

昭和4年頃の地図を見る。
6月3日ブログで昭和2年発行の地図に付けた3番船戸の渡しと思われ、昭和4年頃地図のここ(赤丸)だと思う。
ウィキペディア荒川(関東)には現在の船戸橋(埼玉県道56号さいたまふじみ野所沢線)付近とある。
2017年04月29日ブログでこのような道筋を綴った。現在の船戸橋を赤丸で示す。
船戸橋を渡りながら上流を見た。下流を見た。

上流に見えるのは荒川旧流路のびん沼川と新河岸川放水路の合流点である。
2011年4月撮影の船戸橋橋名板

昭和57年発行『大宮市史第四巻近代編』には治水橋についてこのように記述されている。挿入写真
そこには “ 昭和2年に旧荒川に土橋を架設し、新川には県営渡船が就航するようになった ” と書かれている。
昭和4年頃の地図で新川と思われるところを見ると橋が架かっている(青丸)。これはどのように理解すればいいのかわからない。
この地図が仮に昭和4年の測量(調査)だとすれば、大宮市史の記述では、赤丸(旧荒川)には土橋が架かっていなければならず、青丸(新川)には県営渡船が就航していなければいけない。要するに青丸のところに橋があるのはおかしいと思う。地図が間違っているのか、あるいは仮橋のようなものが架かっていたものか。

『大宮市史第四巻近代編』に掲載の改修後の流路図(昭和45年国土地理院発行)でこのあたりを見る。
治水橋が出来る前の県道(赤)は治水橋が開通してからこのように変わった。
改修後の地図に昭和4年頃地図の荒川新流路付近の県道を描くとこのようになると思う。
そうすると馬宮の渡しは青丸のあたりにあったのではないだろうか。
昭和22年の空中写真を見る。
治水橋が出来る前、馬宮の渡しはこのあたり(青丸)にあったのではないだろうか。
ヤフー空中写真で治水橋を見る。現在の治水橋は二代目で平成5年(1993)6月完成した。
2011年4月、私は治水橋から荒川下流を見た
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変わりゆく大戸氷川通り

2019年06月11日 | 日記
2019年05月31日ブログはこのような道筋を綴った。
赤丸のところで大戸氷川通りへの階段を通過した。
さいたま市ホームページの中央区プロフィールから中央区ガイドマップを見ることが出来る。
地図面で大戸氷川通りと表示されているところを見る。大戸氷川通りの文字を赤丸で囲む。
このマップでは大戸氷川通りはどこからどこまでなのかわからない。

平成10年与野市教育委員会発行『みち紀行-与野の道をたずねて-』には大戸氷川通りについて、“ 県道大谷本郷浦和線が鈴谷3丁目住宅都市整備公団の「コーポレート南与野」先で二又に分かれる場所を起点とする。この道を東へおり、与野南中学校前を通り鴻沼川(排水路)・高沼用水東縁を渡り、(中略) 国道17号に達する道である。市制施行30周年記念の「道路・坂」の愛称として名付けられた道の一つ。” と記述されている。

平成2年の地図に大戸氷川通りを赤で示すとこのようになると思う。
現在の地図(ヤフー)を見る。大戸氷川通りを赤で示すとこのようになると思う。
南与野駅西側の大戸氷川通りは区画整理によって分断されている。
さいたま市ホームページの南与野駅西口土地区画整理事業の計画図はこのようになっている。
計画図に大戸氷川通りを赤で示すとこのようになると思う。南与野駅西口土地区画整理事業によって埼京線西側の大戸氷川通りはほぼ消える。

赤で示した道の右先端のところを拡大する
2018年1月、赤丸の交差点で南与野駅方面(西)を見た。
南を見た
2019年05月31日ブログで南から北を見た。

大戸氷川通りを西から東へ向かう場合、自動車は赤丸の交差点を右折して県道57号に出るのだが、歩行者はもう少し直進して冒頭の階段から県道57号に出ることが出来る。
2018年1月、私はその階段を下りた。
大戸氷川通りはここ(赤矢印)で行き止まり、そこから東は県道57号に呑み込まれ、同化する。
先日、行き止まりの東(県道57号)から西(大戸氷川通り)を見た

グーグルマップ航空写真3Dで大戸氷川通りが県道57号に同化するあたりを見る。
道路工事中の鳥瞰写真を見る。
航空写真3Dの大戸氷川通りを黄で示し、行き止まりを赤で示す。
工事中の鳥瞰写真に大戸氷川通りを黄で示す
現在の行き止まりを赤で示すとこのあたりになると思う。

昭和36年(1961)の空中写真に大戸氷川通りを黄で示す
拡大し、3分割して黄で示す。西部分。中部分。東部分
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さいたま新都心誕生前の線路越し風景

2019年06月10日 | 日記
6月6日のブログはこのような道筋を綴った
青丸の交差点で東を見た
階段を上がって東を見た。

新都心の街が誕生する前の平成元年(1989)4月、私はこのあたりで東の風景を写真に撮った
現在の風景はすっかり変わってしまい、本当に30年前のこのあたりで撮った写真なのかどうか確認してみたい。

平成元年の写真には正面にダイアパレス大宮さんが写っている。
6月6日ブログでラフレさいたまさん北の歩道橋を渡りながら右を見た。ここ(赤矢印)がダイアパレス大宮さんの看板だと思う。グーグルマップ航空写真3Dのここ(黄矢印)にその看板が見える。

平成3年(1991)1月、先ほどの場所から少し与野駅に近いところから東を見た
平成元年の空中写真を見る。大原橋を黄で示す
ヤフーの空中写真に大原橋の位置を黄で示すとこのようになると思う。
平成2年の地図を見る。赤で示した道は平成元年空中写真のこの道(赤)だと思う。
平成3年1月、大原橋の袂(黄丸)でその道見た
先ほどのこの写真はその道から撮った。

平成元年の写真には線路敷きに踏切道のようなところが見える。
平成元年空中写真ここ(黄)だと思う。
そうするとこの写真このあたり(黄矢印)で撮ったのかも知れない。
6月6日ブログで歩いた道を平成元年空中写真に赤で示す
この写真緑丸付近で撮ったのではないかと思う。
グーグルアースに緑丸を示し、東に見えるダイアパレス大宮さんに近付いた

平成3年の鳥瞰写真を見る。
平成元年(1989)4月の写真を撮ったと思われるところとダイアパレス大宮さんを黄線で結ぶ。
平成3年(1991)1月写真の黄色ボックス(赤丸)は鳥瞰写真のここ(赤丸)だと思う。
そうするとこの写真を撮った場所とダイアパレス大宮さんを黄線で結ぶとこのような感じになると思う。

昭和57年(1982)頃の鳥瞰写真を見る。
平成元年空中写真に黄矢印で示した場所を黄丸で示す。ダイアパレス大宮さんはまだ建っていない。
平成3年鳥瞰写真のABCの建物は昭和57年頃鳥瞰写真のABCの建物だと思う。
そうするとダイアパレス大宮さんは昭和57年頃の鳥瞰写真のABCの東側(黄)に建てられたと思う。
インターネットでダイアパレス大宮さんの不動産情報を拝見すると築年月は昭和61年(1986)3月であった
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島町西部土地区画整理 現状の一端

2019年06月09日 | 日記
さいたま市の土地区画整理事業区域一覧図(平成31年3月1日現在)で七里駅付近を見る。
七里駅の南に「組31」北に「組41」その北に「組38」その西に「組44」がある。
右の欄外を見ると番号別に地区名がわかる。赤文字は施工中を指すとある。
「組44」は「島町西部」である。

さいたま市島町西部土地区画整理組合のウェブサイトから事業概要を開くと設計図を見ることが出来る
凡例を見ると茶色の道路は都市計画街路とある。
さいたま市地図情報(テーマ:都市計画道路等)の地図でこのあたりを見る。
都市計画道路地図に黄で示した道は設計図のこの道だと思う。
都市計画道路地図に計画道路の名称を加筆する

ヤフー地図に島町西部土地区画整理の範囲を赤で囲むとこのようになると思う。
2019年05月13日ブログで私はこのような道筋を綴った。
今のヤフー地図にその道を緑で示す
島町西部土地区画整理事業設計図に私が歩いた道を黄で示す

ヤフー地図赤丸のところで右(北)を見た。振り返った(東)。
その場所を拡大した設計図に黄丸で示す。
北へ向かいヤフー地図の赤丸のところで右(東)を見た。左(西)を見た。
設計図に青丸で示す。東大宮岩槻線との交差点だと思う。

ヤフー地図赤丸の交差点で右(東)を見た。
その交差点を設計図に赤丸で示す。

その交差点の北、ヤフー地図赤丸の交差点を設計図に示すと黄丸のところで東大宮七里線との交差点になる。
2019年05月13日ブログでその交差点から七里駅方面(東)を見た。
南よりで七里駅方面を見た
北よりで七里駅方面を見た
2015年11月この交差点から七里駅方面を見た。雨水貯留管工事を行っていた。

2019年05月13日ブログではその交差点から東大宮七里線を東大宮駅へ向かい、信号交差点を直進した。

その信号交差点の手前に置きガードパイプの三差路があった。
三差路で左(南)を見た。右(北)を見た。
2015年11月、向こう(北)からこちら(南)に進んだ。
そして東大宮七里線で東大宮駅方面を見た。
現在はこのようになっている。

信号交差点から東大宮駅方面に向かうこの風景を2015年11月の写真で見るとこのようになると思う。
筋向かいのこの風景は2015年11月の写真ではこのようになると思う。

2019年05月13日ブログで私は島町西部土地区画整理事業区域を東に通過し、赤丸のところで振り返った
2012年1月ストリートビューで見る。走行中自転車の横の看板を2011年7月私は見た
島小学校への矢印看板の後ろから東大宮駅方面を見た。
矢印看板の前で同方面を見た
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中央区新都心 病院からけやきひろば

2019年06月08日 | 日記
6月6日のブログは北与野駅から赤矢印まで歩いたところで終った。
その日はそこからこのような道筋でさいたま新都心をけやきひろばまで歩いた。
今日のブログは6月6日ブログの続きを綴ります。

6月6日ブログの終ったところ右を見る。左折する
歩行者デッキへの階段を上がりながら新都心駅方向を見る。

せせらぎ通り、合同庁舎2号館を見る。
階段を上がって振り返る。2014年6月南側歩行者デッキからこちらを見た
東を見る。北を見る。月のひろば。私は西に進む
歩行者デッキで左を見る。私は右折するのだが、一旦直進して西を見る

2014年6月南側歩行者デッキ突き当たりから病院建設用地を見た。

デッキを新都心駅方面へ向かいここ左を見る。2F南玄関
屋根付き通路は右に折れるが、私は左に進み噴水のようなところを通過する。
埼玉県立小児医療センター正面玄関前を通過する。
さいたま赤十字病院との境目見る
右前方へ向かう。振り返る

病院案内略図を見る。現在地付近をアップする。
北に進み、ここ振り返る。左を見る。月のひろばから見た2017年1月の写真。さいたま新都心駅ホームから見た2017年5月写真
ここ左を見る。振り返る
さらに進みここ右を見る

歩道橋に入り、右を見る。新都心地下道をアップする。

左を見る
歩道橋の終り付近右下を見る。
さいたま新都心交番を通過して右折する。振り返る
突き当たって東を見る。右を見る。アップする。
振り返る。左折する
北に進んで右を見る。さいたま新都心駅方面。


南にもどってエスカレーターで1Fに降りなが右を見る
1Fに降り右を見る。左折する
歩道に出て右折する
さいたま新都心交番を軸にして右折する。振り返る。右に振る。上を見る。

西に進み、歩道橋デッキを見上げる。先ほど上からこちらを見た。

西に進んで右折する
右折しながら振り返る
けやきひろば1Fレストラン&ショップに入る。
入って振り返る
直進してプラザに入る。右を見る
プラザに入って振り返る
レストラン&ショップを北に出てさいたまスーパーアリーナを見る。

エスカレーターで1Fに降りてからこのように歩いてきた。
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見沼区南中野から大宮駅まで

2019年06月07日 | 日記
6月5日のブログは6月4日ブログの続きを赤矢印まで綴った。
6月4日はそこからこのような道筋で大宮駅まで歩いた。
今日のブログは6月4日まち歩きの最終回を綴ります。

第二産業道路を上尾方面へ向かい、押ボタン信号交差点を直進する
道路案内標識通過し、バス停中川中央通りで振り返る。

南中野(南)信号交差点を左折する。振り返る

大宮中央通線(都市計画道路)を西へ向かい、八幡バス停を通過する。2015年5月の写真。2015年9月ストリートビュー
ローソンさんを通過して振り返る。


坂を下り、中川分水通りの信号交差点を直進して振り返る
中川バス停を通過する。
押ボタン信号交差点を直進し、芝川に架かる松山橋で左(下流)を見る。
松山橋を渡り、左手の大宮消防署を通過して振り返る
三差路信号交差点を直進して振り返る
自治医大医療センターさんに沿った道を西へ向かう。

自治医大医療センター入口バス停の右前方に見えるさいたま市立第二東中学校校門をアップする。
西に進み、見沼代用水西縁に架かる橋を渡りながら左(下流)を見る。
埼玉県企画財政部土地水政策課発行見沼ガイドマップでこの橋を見ると「富士見橋」である。

大宮中央通線を進み、信号交差点を直進して振り返る
左手の更地を2015年4月ストリートビューで見る。
更地を通過して振り返る。

バス停天沼中央通りを通過する

天沼一丁目信号交差点で右を見る
直進しながら左を見る
セブンイレブンさんを通過して右を見る。2012年3月ストリートビュー。振り返る
歩行者スクランブル信号交差点を直進し、晴れ着の丸昌さんを通過する。

大宮中央通線を進み、南堀の内バス停を通過する。
右手の建設工事を通過する。2017年6月の写真
歩道をふさぐ工事現場を通過して振り返る

東町信号交差点を直進する
東町一丁目バス停を通過して振り返る
右手のジョナサンさんを通過して西へ向かう。

バス停氷川参道を通過し、セブンイレブンさんを通過する
氷川参道の交差点直進する

商店街を進み、ここ振り返る
歩道橋の下で左を見る。さいたま市立大宮小学校。
歩道橋の下を通過して三差路の右を見る。

西へ向かい、大宮大門町バス停を見る。2015年2月の写真を見る。バス停名は大宮区役所(入口)だった。
バス停を通過して振り返る。2018年11月の写真
次の信号交差点は大宮区役所(北)に変わった。2017年6月大宮区役所入口だった。
筋向かいを見る。2016年8月の写真。
直進して左を見る。大宮区役所旧庁舎。
道路向かい側を見る。左に振る
西へ向かう。

ここ右を見る

旧中山道を横断して大宮駅方面を見る。
筋向かいを見る。2016年2月の写真。振り返る
大宮タカシマヤさんを通過する
ここ左を見る。振り返る
横断歩道を渡り、駅舎に突き当たって右折する
右折して東口駅前を見る。
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北与野駅~赤山通り~せせらぎ通り

2019年06月06日 | 日記
北与野駅改札口下から東へ向かい、国道17号を右折する
振り返る
南に進みここで振り返る。

三差路を直進し、Stella dell’Angeloさんを通過する。
キロポストを通過して振り返る。日本橋から28Km。
赤山通り信号交差点で国道17号を横断し、上り車線のキロポスト(日本橋まで28Km)を通過して振り返る
赤山通り信号交差点を左折する。
左折してすぐ右を見る。プラウドさいたま新都心さん。
振り返る。


赤山通りを東へ向かい、ここでカメラを左に振る。さいたま市立下落合小学校
通用門を通過する。
赤山通り標示板を通過し、次の十字路を赤山通りは右折するのだが、私は直進して振り返る
東へ向かい、突き当たりの丁字路振り返る。左を見る。右を見る。


直進方向の階段を上がり、西大通りを横断する。
横断して左を見る。右を見る。振り返る
東に進み、右手の螺旋階段を上がる。
上がりながらラフレさいたまさんを見上げる。
歩行者デッキの手前で振り返る。


歩行者デッキを右折して振り返る
東を見る。SHINTO CITY(シントシティ)建設工事のクレーンをアップする。西を見る
北へ向かここ右を見る。振り返る

突き当たりの建物は合同庁舎2号館
2号館入口右を見る
2号館に入り、突き当たって左折する
2号館を出て西へ向かい、ここ左を見る。右を見る。

振り返る
階段を右折する。振り返る
広場に降りて合同庁舎1号館を見る。屋上のアンテナアップする。
せせらぎ通りへ向かい、ここ左を見る


せせらぎ通りに出て左を見る。標示板をアップする。
右を見る
せせらぎ通りを横断し、ここで振り返る

北与野駅からこのように歩いてきた。
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見沼区中川から南中野まで

2019年06月05日 | 日記
昨日のブログはさいたま新都心から赤矢印まで歩いたところで終った。
今日は昨日のブログの続きを綴ります。

上り坂を進み、工事中看板通過し、三差路を直進して振り返る。

左手の鮨金さんを通過し、左にカーブする。
カーブしここ振り返る
工事中の三差路を直進した。振り返る
次の五差路交差点(ここ)で右を見る。振り返る
直進しながら左を見る。

北に進ん振り返る

三差路を直進しながら左を見る
十字路振り返る。左を見る。私は右折する
突き当たって左折する
また突き当たって右折する。振り返る
すぐに突き当たって左折する。振り返る

ここ振り返る
突き当たりの丁字路を右折する。振り返る
すぐ突き当たり左折する。振り返る
左手のさいたま市管理用地を通過して振り返る
丁字路に突き当たって振り返る
右を見る。私は左折する。


西へ向かい、右手空地を通過する。
連続する三差路右へ右へと進み、ここ振り返る
右手のさいたま市管理用地を通過して振り返る
埼玉県道1号(第二産業道路)に出て右を見る。

振り返る。私は左折する

見沼区中川746の電柱を通過して右を見る
ここ振り返る
押ボタン信号交差点を直進して餃子の王将さんを見る。右に振る。テナント募集の広告。2015年9月ストリートビュー
西浦バス停を通過し、ここ振り返る
押ボタン信号交差点で右を見る。左を見る

三差路を直進し、ここ右を見る。2015年9月ストリートビュー。2015年4月と2011年8月ストリートビュー
下り坂を進み、ここ振り返る
大宮典礼会館さんの駐車場を通過しながら右を見る
昨日のブログの終ったところ(赤矢印)からこのように歩いてきた。
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中央区新都心から見沼区上山口新田まで

2019年06月04日 | 日記
さいたま新都心の東西大通り(県道56号)を東へ向かい、右手のさいたま赤十字病院さんを通過する。2013年10月の写真。

新都心地下道へ向かう歩道に入って北を見る。上を見る
東へ向かう。
歩道橋をくぐる前で上を見る
さいたま新都心地下道に入る
地下道の歩道から通常の歩道に移って東へ向かう。
信号交差点を直進して振り返る。右を見る

東に進んで北を見る。左に振る

右手のアルピーノ村さんを通過する
産業道路北袋町信号交差点を直進し、ここ振り返る
首都高出口通過する
見沼代用水西縁に架かる北袋橋を渡りながら下流を見る。

東に進み、ここ左後方を見る。アップする。
東進し、左前方アップする。
交差点を直進しながら右を見る
直進して振り返る
置きガードパイプがなくなって振り返る
次の交差点左を見る。振り返る。右折する。

南へ向かいながら右(西)を見る。

三差路右を見る
直進して左を見る。大原スポーツ広場利用者の駐車場。
振り返る
南へ向か丁字路の突き当たりで右を見る。振り返る
私は左折する
東へ向かいここで左に寄って大原スポーツ広場を見る。

次の交差点右を見る
直進して振り返る

芝川の堤防に突き当たって左折し、右の階段を上がる
芝川右岸堤防に上がって振り返る。左を見る。右折する
下流に進み、右手の私が歩いてきた道を見る
タチアオイを見る。

左右のタチアオイを通過し、橋の袂で右を見る。左を見る
横断して振り返る
山口橋を渡りながら下流を見る。上流を見る。

首都高ガード下で右を見る左を見る。橋脚の非常口地上付近案内をアップする。見沼区上山口新田が正しい思う。2016年8月ストリートビューで橋脚の上と思われるところ見る
陸橋を下りながら右を見る2018年7月と2014年3月のストリートビュー
陸橋を下りて振り返る。

北へ向かいながら左を見る。アップする。

センターラインがなくなって振り返る
中川分水通り信号交差点を直進し、ここで振り返る。

中央区新都心からこのように歩いてきた。
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昭和初期の荒川を渡る道

2019年06月03日 | 日記
2019年04月26日ブログで私は昭和2年発行の地図「東京」を見た。
その地図でさいたま市の西を流れる荒川を青で示す
荒川を横切る道があるところを赤丸で示す。
数が多いので上流から番号を付ける。
上流を拡大して見る。番号を付ける
1は地図記号で橋が架かっていることがわかる。
2および3は橋の地図記号ではない。地図の左の符号を見ると渡舩(渡し船)である。
1から9までの地図記号を見ると、1と9が橋で、残り2~8は渡し船である。

昭和4年頃の地図で上流付近を見る。
1と2を赤丸で示す。1は川越新道の上江橋である。
明治14年の迅速測図でそのあたりを見る。
1と2の場所はここになると思う。
1の場所に橋はない。大宮市史の年表によれば “ 大宮~川越間の荒川にかかる上江橋架設 ” は明治27年(1894)12月4日である。
2の場所は川越道の千手堂ノ渡である。
1と2の場所を現在の地図に示すとこのあたりになると思う。

ウィキペディア荒川(関東)の目次から「10.2 渡船場」を見る。
1と2はここだと思う。
以下昭和2年の地図の3~9をウィキペディアの渡船場に対応させるとこのようになると思う。
ウィキペディアの渡船場には7と9の間に早瀬の渡しがある。
昭和2年の地図を拡大して8番の渡船場を赤丸で示す。
現在の地図に8番の渡船場の位置を示すと大体このあたりになると思う。
ウィキペディアの渡船場の7と9のあいだは早瀬の渡しで現在の笹目橋付近とある。
笹目橋はここにあり、8番についてはウィキペディアの渡船場に該当するところがないと思う。

大日本帝国陸地測量部作成の明治42年測量大正6年修正(東京西北部)地図でこのあたりを見る。
昭和2年の地図の7・8・9を大正6年修正の地図に示すとこのようになると思う。
8は四葉川岸とある。弘化元年の東都近郊圖には荒川の左岸に「大野」「早瀬」があり、右岸に「徳丸原」がある。新編武蔵風土記稿の豊島郡狭田(はけた)領に徳丸四葉村がある。現在東京都板橋区に「四葉」という地名がある。
ウィキペディアの渡船場の「大野の渡し」と「早瀬の渡し」はここ(緑丸)だと思う。
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岩槻宿本陣があった場所

2019年06月02日 | 日記
2019年05月27日ブログで私は国道122号(日光御成道)を北へ歩きながら右手の埼玉縣信用金庫さんを通過した
埼玉縣信用金庫さんの前で岩槻宿本陣跡への道標を見た。

是り先200m左側とある。

平成4年発行さきたま双書『埼玉ふるさと散歩(岩槻市)』には埼玉縣信用金庫岩槻支店のあるところについて “ 明治期には明治貯蓄銀行岩槻支店が置かれ、さらに遡って江戸期には岩槻宿本陣のあったところといわれている ” と記述されている。掲載のイラスト地図。
大正6年岩槻市街図でこのあたりを見る。
現在の地図(ヤフー)と照合する。
埼玉縣信用金庫さんの場所(赤丸)は明治銀行と表示されているところだと思う。
明治35年の埼玉県営業便覧(岩槻町)でそのあたりを見る。明治貯蓄銀行建築用地とあるところがそこだと思う。
昭和60年発行『岩槻市史 通史編』によれば、岩槻町に最初に進出してきた金融機関は久保宿の中井銀行で、次が明治30年1月に市宿町に開設された明治貯蓄銀行岩槻支店だった。
その地が岩槻宿本陣跡かどうかについては触れられていない。

『埼玉ふるさと散歩(岩槻市)』の岩槻小史のくだりには、天保期(1830~44)、本陣と脇本陣は久保宿町に各一軒ずつあった とあり、<郷土の小辞典>岩槻郷学校のくだりでは、明治5年(1872)5月、県の布達をうけて岩槻町に郷学校を開き、校舎は久保宿町の旧本陣を借用していた と書かれている。

昭和62年発行『岩槻・城と町まちの歴史』には、久保宿町のくだりで “ 久保宿は、上宿、中宿、下宿の三宿にわかれ、上宿には本陣、脇本陣が置かれ ” との記述があり、日光御成街道のくだりではこのように記述されている。

埼玉縣信用金庫岩槻支店のあるところは市宿町であるが、さいたま探訪コースのサイトから岩槻の歴史を知ろうを見ると “ 本陣は、市宿町に、脇本陣は久保宿町、問屋場(といやば)は市宿町・久保町に、高札場は市宿町におかれた ” と記述されている。

ウィキペディア岩槻宿を見ると、ページの右上に地理院地図へのリンクがあり、そこに「岩槻宿本陣跡の位置(現 埼玉縣信用金庫岩槻支店)」と書かれている。
岩槻九町のくだりで “ 本陣・脇本陣が久保宿町に各一軒あり、本陣は斎藤斧次郎、脇本陣は中島徳右衛門が勤めており ” と記述されている。

日光道中絵図久保宿町、横町付近を見る。久保宿町の文字の横に木戸が見える。市宿町と久保宿町の境に設けられた木戸だと思う。本陣は木戸と願生寺の間にあり、久保宿町の内だと思う。
日光道中絵図に赤で示した道は現在のこの道だと思う。日光道中絵図に描かれた本陣は埼玉縣信用金庫岩槻支店さんの場所ではない。
日光御成道分間延絵図控でそのあたりを見る。
文字が不鮮明であるが、このように書いてあるのではないかと思う。
明治35年の埼玉県営業便覧(岩槻町)で市宿と久保宿の境付近を見ると、齋藤家の右隣りに中島家がある。
ウィキペディア岩槻宿に本陣は斎藤斧次郎、脇本陣は中島徳右衛門が勤めていたとあった。偶然の一致かも知れない。

先日埼玉縣信用金庫岩槻支店さんの前で市宿通り観光みどころマップを見た。
本陣跡はここにある。市宿通りのマップに載っているということは市宿町にあったということだと思う。
現在の地図(ヤフー)にその位置を赤丸で示すとこのあたりになると思う。
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七里駅北側土地区画整理 現状の一端

2019年06月01日 | 日記
2019年05月10日のブログはこのような道筋を歩いた。
そのあたりをさいたま市地図情報(テーマ:都市計画道路等)の地図見る
私が歩いた道(踏切を渡ってから)を赤で示す
2019年05月11日のブログはそこからの続きを綴った。その道の一部をさらに赤で示す
青で表示された道は整備中の都市計画道路で、十字路が描かれている。
七里駅北口から北に延びる道は 3・4・77 東大宮七里線 で、交差する東西の道は 3・4・83 指扇宮ヶ谷塔線 である。
道路名を加筆する

さいたま市土地区画整理協会さんのサイトから受託業務一覧を見るとその中の一つにさいたま市七里駅北側特定土地区画整理組合がある。
設計図を見る。
ヤフー地図に土地区画整理の範囲を赤で囲むとこのようになると思う。
2019年05月10日のブログと2019年05月11日のブログで私が綴った道(赤)を設計図に赤で示すとこのようになると思う。

2019年05月10日のブログのこの写真赤丸から南を見た。
この写真は緑丸から緑矢印方向を見た。
この写真は緑丸から西を見た。

西に進み、ここ右を見アップした。
設計図の青矢印方向だと思う。

更に西に進み、ここ右を見アップした。
設計図の黄矢印方向だと思う。
ヤフー空中写真に青矢印と黄矢印の位置を示すとこのようになると思う。

2019年05月11日のブログのこの写真は設計図の赤丸から西を見た。
赤丸の西、緑丸のあたりで西を見た。東(赤丸側)を見た
北を見た。


2019年05月11日のブログのこの写真は設計図の青矢印方向だと思う。
この写真黄矢印方向だと思う。

設計図の黄矢印の北に交差点が三つ連続(赤丸)する。
1の交差点で左を見た。右を見た
2の交差点で右を見た
3の交差点で右を見た

ヤフー空中写真に設計図の色記号の位置を示すとこのようになると思う。
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