6月3日ブログで私は昭和2年発行の地図に見える荒川を横切る道に1~9の番号を付けた。
そしてウィキペディア荒川(関東)にある渡船場と照合し、このように対応させた。
2と3の間に「馬宮の渡し」というのがあり、“ 新流路、現在の治水橋付近 ” と説明されている。
ウィキペディア治水橋には “ 荒川が現在の位置を通るようになったのは1926年(大正15年)5月17日のことである。明治時代から続いた河川改修の一環で、直線化で取り残された旧川の曲線部はびん沼(今のびん沼川)となり、新しい川には渡船場が置かれ有料の賃渡船が運行されたが1927年(昭和2年)に県営化された。渡船場は「馬宮の渡し」と呼ばれ、治水橋とほぼ同じ場所に位置していた。治水橋の開通により渡船場は1934年(昭和9年)に廃止された ” と記述されている。
昭和4年頃の地図を見る。
6月3日ブログで昭和2年発行の地図に付けた3番は船戸の渡しと思われ、昭和4年頃地図のここ(赤丸)だと思う。
ウィキペディア荒川(関東)には現在の船戸橋(埼玉県道56号さいたまふじみ野所沢線)付近とある。
2017年04月29日ブログでこのような道筋を綴った。現在の船戸橋を赤丸で示す。
船戸橋を渡りながら上流を見た。下流を見た。

上流に見えるのは荒川旧流路のびん沼川と新河岸川放水路の合流点である。
2011年4月撮影の船戸橋橋名板。
昭和57年発行『大宮市史第四巻近代編』には治水橋についてこのように記述されている。挿入写真。
そこには “ 昭和2年に旧荒川に土橋を架設し、新川には県営渡船が就航するようになった ” と書かれている。
昭和4年頃の地図で新川と思われるところを見ると橋が架かっている(青丸)。これはどのように理解すればいいのかわからない。
この地図が仮に昭和4年の測量(調査)だとすれば、大宮市史の記述では、赤丸(旧荒川)には土橋が架かっていなければならず、青丸(新川)には県営渡船が就航していなければいけない。要するに青丸のところに橋があるのはおかしいと思う。地図が間違っているのか、あるいは仮橋のようなものが架かっていたものか。
『大宮市史第四巻近代編』に掲載の改修後の流路図(昭和45年国土地理院発行)でこのあたりを見る。
治水橋が出来る前の県道(赤)は治水橋が開通してからこのように変わった。
改修後の地図に昭和4年頃地図の荒川新流路付近の県道を描くとこのようになると思う。
そうすると馬宮の渡しは青丸のあたりにあったのではないだろうか。
昭和22年の空中写真を見る。
治水橋が出来る前、馬宮の渡しはこのあたり(青丸)にあったのではないだろうか。
ヤフー空中写真で治水橋を見る。現在の治水橋は二代目で平成5年(1993)6月完成した。
2011年4月、私は治水橋から荒川下流を見た。
そしてウィキペディア荒川(関東)にある渡船場と照合し、このように対応させた。
2と3の間に「馬宮の渡し」というのがあり、“ 新流路、現在の治水橋付近 ” と説明されている。
ウィキペディア治水橋には “ 荒川が現在の位置を通るようになったのは1926年(大正15年)5月17日のことである。明治時代から続いた河川改修の一環で、直線化で取り残された旧川の曲線部はびん沼(今のびん沼川)となり、新しい川には渡船場が置かれ有料の賃渡船が運行されたが1927年(昭和2年)に県営化された。渡船場は「馬宮の渡し」と呼ばれ、治水橋とほぼ同じ場所に位置していた。治水橋の開通により渡船場は1934年(昭和9年)に廃止された ” と記述されている。
昭和4年頃の地図を見る。
6月3日ブログで昭和2年発行の地図に付けた3番は船戸の渡しと思われ、昭和4年頃地図のここ(赤丸)だと思う。
ウィキペディア荒川(関東)には現在の船戸橋(埼玉県道56号さいたまふじみ野所沢線)付近とある。
2017年04月29日ブログでこのような道筋を綴った。現在の船戸橋を赤丸で示す。
船戸橋を渡りながら上流を見た。下流を見た。

上流に見えるのは荒川旧流路のびん沼川と新河岸川放水路の合流点である。
2011年4月撮影の船戸橋橋名板。
昭和57年発行『大宮市史第四巻近代編』には治水橋についてこのように記述されている。挿入写真。
そこには “ 昭和2年に旧荒川に土橋を架設し、新川には県営渡船が就航するようになった ” と書かれている。
昭和4年頃の地図で新川と思われるところを見ると橋が架かっている(青丸)。これはどのように理解すればいいのかわからない。
この地図が仮に昭和4年の測量(調査)だとすれば、大宮市史の記述では、赤丸(旧荒川)には土橋が架かっていなければならず、青丸(新川)には県営渡船が就航していなければいけない。要するに青丸のところに橋があるのはおかしいと思う。地図が間違っているのか、あるいは仮橋のようなものが架かっていたものか。
『大宮市史第四巻近代編』に掲載の改修後の流路図(昭和45年国土地理院発行)でこのあたりを見る。
治水橋が出来る前の県道(赤)は治水橋が開通してからこのように変わった。
改修後の地図に昭和4年頃地図の荒川新流路付近の県道を描くとこのようになると思う。
そうすると馬宮の渡しは青丸のあたりにあったのではないだろうか。
昭和22年の空中写真を見る。
治水橋が出来る前、馬宮の渡しはこのあたり(青丸)にあったのではないだろうか。
ヤフー空中写真で治水橋を見る。現在の治水橋は二代目で平成5年(1993)6月完成した。
2011年4月、私は治水橋から荒川下流を見た。
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