咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

岩槻宿本陣があった場所

2019年06月02日 | 日記
2019年05月27日ブログで私は国道122号(日光御成道)を北へ歩きながら右手の埼玉縣信用金庫さんを通過した
埼玉縣信用金庫さんの前で岩槻宿本陣跡への道標を見た。

是り先200m左側とある。

平成4年発行さきたま双書『埼玉ふるさと散歩(岩槻市)』には埼玉縣信用金庫岩槻支店のあるところについて “ 明治期には明治貯蓄銀行岩槻支店が置かれ、さらに遡って江戸期には岩槻宿本陣のあったところといわれている ” と記述されている。掲載のイラスト地図。
大正6年岩槻市街図でこのあたりを見る。
現在の地図(ヤフー)と照合する。
埼玉縣信用金庫さんの場所(赤丸)は明治銀行と表示されているところだと思う。
明治35年の埼玉県営業便覧(岩槻町)でそのあたりを見る。明治貯蓄銀行建築用地とあるところがそこだと思う。
昭和60年発行『岩槻市史 通史編』によれば、岩槻町に最初に進出してきた金融機関は久保宿の中井銀行で、次が明治30年1月に市宿町に開設された明治貯蓄銀行岩槻支店だった。
その地が岩槻宿本陣跡かどうかについては触れられていない。

『埼玉ふるさと散歩(岩槻市)』の岩槻小史のくだりには、天保期(1830~44)、本陣と脇本陣は久保宿町に各一軒ずつあった とあり、<郷土の小辞典>岩槻郷学校のくだりでは、明治5年(1872)5月、県の布達をうけて岩槻町に郷学校を開き、校舎は久保宿町の旧本陣を借用していた と書かれている。

昭和62年発行『岩槻・城と町まちの歴史』には、久保宿町のくだりで “ 久保宿は、上宿、中宿、下宿の三宿にわかれ、上宿には本陣、脇本陣が置かれ ” との記述があり、日光御成街道のくだりではこのように記述されている。

埼玉縣信用金庫岩槻支店のあるところは市宿町であるが、さいたま探訪コースのサイトから岩槻の歴史を知ろうを見ると “ 本陣は、市宿町に、脇本陣は久保宿町、問屋場(といやば)は市宿町・久保町に、高札場は市宿町におかれた ” と記述されている。

ウィキペディア岩槻宿を見ると、ページの右上に地理院地図へのリンクがあり、そこに「岩槻宿本陣跡の位置(現 埼玉縣信用金庫岩槻支店)」と書かれている。
岩槻九町のくだりで “ 本陣・脇本陣が久保宿町に各一軒あり、本陣は斎藤斧次郎、脇本陣は中島徳右衛門が勤めており ” と記述されている。

日光道中絵図久保宿町、横町付近を見る。久保宿町の文字の横に木戸が見える。市宿町と久保宿町の境に設けられた木戸だと思う。本陣は木戸と願生寺の間にあり、久保宿町の内だと思う。
日光道中絵図に赤で示した道は現在のこの道だと思う。日光道中絵図に描かれた本陣は埼玉縣信用金庫岩槻支店さんの場所ではない。
日光御成道分間延絵図控でそのあたりを見る。
文字が不鮮明であるが、このように書いてあるのではないかと思う。
明治35年の埼玉県営業便覧(岩槻町)で市宿と久保宿の境付近を見ると、齋藤家の右隣りに中島家がある。
ウィキペディア岩槻宿に本陣は斎藤斧次郎、脇本陣は中島徳右衛門が勤めていたとあった。偶然の一致かも知れない。

先日埼玉縣信用金庫岩槻支店さんの前で市宿通り観光みどころマップを見た。
本陣跡はここにある。市宿通りのマップに載っているということは市宿町にあったということだと思う。
現在の地図(ヤフー)にその位置を赤丸で示すとこのあたりになると思う。
コメント
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