咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

浦和宿絵図と戦後の空中写真を見比べる

2019年05月14日 | 日記
令和元年5月7日のブログで私は現在の浦和駅周辺の地図と昭和22年(1947)の空中写真を見比べた。
本日のブログではその昭和22年空中写真とそれより136年時代をさかのぼった文化8年(1811年)の浦和宿絵図と見比べてみたい。この浦和宿絵図は平成5年浦和市発行『図説 浦和のあゆみ』の表紙カバーのものである。
令和元年からさかのぼること208年である。

昭和22年写真に中山道を黄で示す
浦和宿絵図に中山道を黄で示す
浦和宿絵図で玉蔵院の北から東に延びる道を黄で示す。
昭和22年写真のこの道(黄)と概ね重なると思う。

浦和宿絵図で中山道の南から西に延びる道を黄で示す。
昭和22年写真のこの道(黄)と似ている。
浦和宿絵図で中山道の南から東に延びる道を黄で示す
昭和22年写真のこの道(黄)に継承されているように思う。
ちなみに実際の道は鉄道で分断されていると思うが、繋がった道として描いている。以下同様に描く。

浦和宿絵図の上と下に黄で描いた2本の横線(道)をつなぐ縦線(道)を黄で示す
昭和22年写真のこの道(黄)に引き継がれているように思う。
浦和宿絵図で今の道の左にクランク状に曲がりながら上下の黄線につながる縦の道を黄で示す
昭和22年写真のこの道(黄)と似ていると思う。

2019年05月04日ブログで私は都市計画道路 7・7・6 浦和西口仲町線をヤフー地図に赤で示した
浦和宿絵図に赤で示したところがその道と重なるかも知れない。

平成14年発行星野英一著『中山道浦和宿と本陣・脇本陣』(非売品)に中山道分間延絵図の内容を活字で表した図が載っている。
右上に延びる道は「日光御成道鳩ヶ谷宿江出ル道法三里」と案内されている。
その道を浦和宿絵図に緑で示すとこのような道になるのではないかと思う。

先ほど昭和22年の空中写真に黄で示した道を現在の地図に赤で描くとこのようになると思う。
浦和宿絵図のこの道(黄)が元の道である。
2018年12月29日ブログで青矢印(左下)方面を見た
緑矢印方面を見た。


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