懺悔

2009-02-07 | film
(岩波ホール)2009/2/7
1984年/ソビエト(グルジア)映画

監督 テンギズ・アブラゼ

出演
アフタンディル・マハラゼ
イア・ニニゼ
メラブ・ニニゼ
ゼイナブ・ボツヴァゼ
ケテヴァン・アブラゼ

 偉大と称される市長の訃報が、ケーキの上に乗せる教会の型を作っていた中年女性ケティヴァンに伝わり回想から描かれる。荘厳な葬式・埋葬後、市長の屍が息子アベル(市長と二役)宅の庭に戻っている。数度となく続き犯人ケティヴァンを突き止め、何故そのような罪を犯したかを裁判で問う。そこから彼女の過去が明かされる。彼女の少女時代、両親が教会で科学の実験をすると古い教会の建築物が振動で崩壊してしまうと抗議に対して市長(スターリン、ヒトラーを彷彿されるよう容貌)は反逆者とみなし両親は粛清された。だから市長は眠りにつくことは許されないと主張する。過去の粛清事実が明るみになり、ケティヴァンを精神異常者に仕立て上げ父の名誉を守ろうとするアベル。アベルは澄んだ瞳の美しい息子トルニケからケティヴァンに懺悔する事が筋と抗議されるが、立場を守る為にトルニケを否定する。トルニケは家族の罪に絶えられず自殺。残されたアベルは己の罪を認めトルニケの遺体に縋り嗚咽する。しかしながら両親の粛清された事実以外はケティのヴァン妄想に過ぎなかった。映像は始めに戻り老女が道を尋ねる。教会へ続く道はこの道で良いか?ケティヴァンは答える。「ヴァルラム通りは教会へ続いていないと…。
 哲学、普遍的史実、不条理、イデオロギーをさらりと科白に含ませ、幻想的映像はストレートな表現方法は時代が許されずカムフラージュなのだろうか?寧ろ比喩的な表現方法が文学的、芸術的になり、受け手側には重荷を背負うことなく(あと味の悪さななどはない)鋭敏な感覚が抉り刻まれる。ロシアの近代から現代までの歴史背景に拙い私の知識において、バックボーンを調べる切っ掛けにもなった。時間があれば再度、岩波ホールに足を運び、この映画を観たい。