決して忘れてはイケない阪神淡路大震災、あれから15年という月日が流れました
僕はあの当時19歳、まさか今、沖縄で暮らしていると想いもしなかった
高校を卒業してフリーターと言う甘い考えの中で生きていた
勝手に時代や自分の不幸を美化し、全く世間知らずな自分は意味のない生活を送っていた
ただ何かに不満と不安のアンバランスな心があったと思う
別に何がしたい、こうなりたいとも大して思わなかった、今が楽しければ、でも現実は
全く想い描いてるのとは正反対だった、今思えば当たり前の事だけど
そんな中、阪神淡路大震災が起こり友達、知り合いが亡くなった
あの時、思わなかったけど人は生きて行かないとダメだと今は凄く思う
あの時と今の僕の置かれている状況は違うけど
人生何がどうなるか?分からない、でも努力を重ねて行く素晴らしさを僕は最近知ったし
そう思うように日々生きている
生きていないとこうも思わなかっただろう、友の死を無駄にしないために僕は
今後も阪神淡路大震災を忘れない
写真は実家の前の大嫌いであった大好きな急な坂道である
沖縄に来るまで毎日毎日僕を見てくれた坂である、また今年も帰るからね
僕はあの当時19歳、まさか今、沖縄で暮らしていると想いもしなかった
高校を卒業してフリーターと言う甘い考えの中で生きていた
勝手に時代や自分の不幸を美化し、全く世間知らずな自分は意味のない生活を送っていた
ただ何かに不満と不安のアンバランスな心があったと思う
別に何がしたい、こうなりたいとも大して思わなかった、今が楽しければ、でも現実は
全く想い描いてるのとは正反対だった、今思えば当たり前の事だけど
そんな中、阪神淡路大震災が起こり友達、知り合いが亡くなった
あの時、思わなかったけど人は生きて行かないとダメだと今は凄く思う
あの時と今の僕の置かれている状況は違うけど
人生何がどうなるか?分からない、でも努力を重ねて行く素晴らしさを僕は最近知ったし
そう思うように日々生きている
生きていないとこうも思わなかっただろう、友の死を無駄にしないために僕は
今後も阪神淡路大震災を忘れない
写真は実家の前の大嫌いであった大好きな急な坂道である
沖縄に来るまで毎日毎日僕を見てくれた坂である、また今年も帰るからね