居酒屋飛松の後

沖縄で色々な出会いや出来事がありました
これからもずっと青い空、青い海
そして人々の笑顔が溢れます様に

阪神淡路大震災から15年

2010-01-17 01:08:05 | Weblog
決して忘れてはイケない阪神淡路大震災、あれから15年という月日が流れました

僕はあの当時19歳、まさか今、沖縄で暮らしていると想いもしなかった

高校を卒業してフリーターと言う甘い考えの中で生きていた

勝手に時代や自分の不幸を美化し、全く世間知らずな自分は意味のない生活を送っていた

ただ何かに不満と不安のアンバランスな心があったと思う

別に何がしたい、こうなりたいとも大して思わなかった、今が楽しければ、でも現実は

全く想い描いてるのとは正反対だった、今思えば当たり前の事だけど

そんな中、阪神淡路大震災が起こり友達、知り合いが亡くなった

あの時、思わなかったけど人は生きて行かないとダメだと今は凄く思う

あの時と今の僕の置かれている状況は違うけど

人生何がどうなるか?分からない、でも努力を重ねて行く素晴らしさを僕は最近知ったし

そう思うように日々生きている

生きていないとこうも思わなかっただろう、友の死を無駄にしないために僕は

今後も阪神淡路大震災を忘れない

写真は実家の前の大嫌いであった大好きな急な坂道である

沖縄に来るまで毎日毎日僕を見てくれた坂である、また今年も帰るからね

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2 コメント

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東遊園地いってきた (3年1組)
2010-01-19 23:11:52
県外にすんでる時は、震災のニュースも全国ネットでチラッとするくらいやったけど、やっぱり関西かえってきたらかなり枠とってあるなぁ。
反対に広島の時は、原爆関連が毎日のようにどこかで出てきてた。

だから住んでる地方が変わったら忘れていきそうやけど、忘れたらダメな事いっぱいあるなあ~て感じたわ。沖縄もそうやね…
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Unknown (居酒屋とびまつ)
2010-01-21 00:54:30
そうやな、沖縄も広島も悲惨な戦争の、、、、

場所だからな。俺達の世代はホンマに分からん

でも生きて行く為に、真摯に心を開き

自分や子供、自分に関わる人々と共に幸せを


酔ってるので


幸せは?ずばり夫婦になり子供が生まれ

家族で生きて行く事、毎日と思います

人を愛し、愛され、そんな時間が心を満たす

以上
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