今回 種子島への目的は
長年置きっぱなしにしていた住処を手放すことであった
鹿児島へ越して19年目
もう帰ることはない、思い切った行動でもある
無性に涙が・・・ 思い出多い住処でした
今も、夫の両親の眠っている土地でもある
これまで通り、2年ごとに帰ることを両親に約束した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・うつに悩む方へ・・・
訪問者数・閲覧数を見てぐっと胸を突かれたのです
待っていてくださったのですね。
ふーちゃんが、平成17年に投稿していた新聞の記事を見つけました
私は過去、心の病で苦しんだ日々を決して忘れたわけではない。
あの時の悪夢ともいうべき出来事は生々しく思い出され消え去ることはない。
私の体験を本紙「ひろば」欄で見た方から「どうして治ったのですか」との
問い合わせの便りがたくさん届いた。
必ず治るということを信じること
そして、自分を決して見失わないことを誓った文面を長々とつづった。
あれから十数年、夫のそばへ旅立つ日まで
私は毎日を一歩一歩大切に踏みしめて生きている。
後日に続きます。 2005年(平成17年11月25日)南日本新聞
やっと普通に歩ける様になりました。
走れはしないけど、急ぎ足ぐらいは大丈夫(笑)
ちょっと怪我すると、何ヶ月も不自由な生活しないといけないので、
これからは一歩々々を、慎重に歩きたいと思ってます(^^)
大事な時間をベッドで過ごすなんて、もうゴメンだわ(笑)
種子島のふーちゃんちはもう無くなるんだね。
寂しいけど、思い出はいっぱい有るもんね(^_-)-☆
お久しぶりです。
コメントなしでゴメンナサイ。
日々の生活が不自由ですね。
ご家族の温かさを充分に感じましたよ。
タコちゃんが居なくなったお部屋が
堪らなく寂しく感じます。(~_~;)
親友ご夫妻が管理されていたので
綺麗に片付きましたよ。
でも寂しいです。(@_@。ありがとう。(^_-)-☆
場所的にもいい所でしたね。
処分できて良かったですね、でもちょっと寂しいでしょうね。
種子島に行った日を思い出します。
覚えていてくださったのですね。(ニッコリ)
先ず、三面相さんへも
コメントも入れずに本当にすみません。
何でしょう、変わらずに
バタバタしていますよ。
今もサークルから帰ってきたばかり・・・
寂しいですけどこれで良しと切り替えました。
有難うございました。(*^_^*)