リョウの近況

筆不精のリョウが親・子・兄弟・親戚・友人・知人・幼なじみ達と彼らの友人達にお届けする究極のエコ便りです。

忘年会

2009-12-31 02:28:49 | その他
サェンバェノー!

ここモンゴルでは社会主義から民主主義に体制が変わって来年で20年になります。
経済の発展に伴い国民の生活はかなりの勢いで欧米化されているようです。
日本の高度経済成長のころと似ているのではないかと想像します。
たった1ヶ月ですがこの12月は特にそれを強く感じる月でもありました。

モンゴル人は昔から人が集まって歌ったり踊ったりするのが大好きなんだそうです。特に年末は1年の無事と年明けを祝って人が集まり飲んだり食べたりするんだそうです。
先週の土曜日(26日)内輪の忘年会がありました。参加は自由ですが私達は勿論参加です。

まず開催時間です。16時~22時30分 その後片付け30分で何と7時間です。
そもそもサラリーマンはわざわざ休日に忘年会をすることはないと思うのでなぜ土曜日なのか聞いてみると平日仕事が終わってからだと着替える時間がないからだというのです。

まず仮装をして会に参加(魔女、ピエロ、コサックの兵隊、モンゴルや日本ののサンタクロース、キャプテンクック、クレオパトラ、マリリンモンロー、メイド、オペラ座の怪人などなど)
全員の投票で最優秀仮装賞、いまいち賞、セクシー賞などが選ばれ賞品がもらえます。(私達は仮装なし)

4つのチームに分けられそれぞれが15分の持ち時間で何かを演ずる(コーラス、楽器の演奏、バレー・白鳥の湖、ダンスなど)
各チームから日本人と現地職員が2名ずつ審査員になって内容、チームワーク、演技、衣装などを採点し、1位に選ばれたチームは豪華賞品をGET。
このときにはそれぞれまた衣装を着替えるのです。

オープニングは現地職員3組のワルツで始まりました。
その後はいろんなダンスです。社交ダンスばかりではなくディスコダンスもあります。
皆本当に楽しそうでものすごく盛り上がっていました。
いろんな人に誘われ困りましたが最初は写真を撮るからと逃げていました。

18時半頃から食事となり多くの人と歓談ができました。
マリリンモンローさんは48歳の未亡人でお孫さんも居るとの事でしたがスタイルもよくとても若く見えたので驚きました。
彼女の年で孫が居るというのはここでは普通の事で誰も驚かないとのことです。

その後もダンス、デザート、ダンス、各賞の発表、ダンス、夜食、ダンスと続き最後に皆で持ち寄ったプレゼントをくじを引いて頂きました。
私は「ラーメン1杯無料券3枚」夫はモンゴルのお酒「アルヒ」の最高級品「チンギス・ゴールド」をGETしました。

誰かの知り合いのプロのオーディオ関係者、やはり誰かの知り合いのプロのカメラマン、それにプロの人気歌手も来て2曲を披露してくれました。(1曲は皆でディスコダンス)

ミラーボールはありませんでしたが時々人口雪も降っていました。
こんなに盛り上がった忘年会は初めてです。
そして日本人と現地人が一体となって会を盛り上げ楽しんでいる姿に平和を感じました。
厳しい自然の中、時にこれと言った娯楽のないモンゴルでは室内で皆で楽しく過ごすことが唯一の楽しみなのかもしれないと思いました。


モンゴルの人気歌手「ナナ」さん
彼女は日本に留学していたそうで綺麗な日本語を話します。
欧米人かと思いましたがお化粧でそうしていると誰かが言っていました。





 




レセプション

2009-12-28 17:26:42 | 催事
サェンバェノー!

着任してから10日後、大きなレセプションがありました。
会場は旧体制時代の迎賓館です。それは北朝鮮や旧ソ連などと同じく広大な敷地(山)の中にありました。
民主化されてからはその広大な敷地は国定公園となり旧迎賓館は一応ホテルとして一般の人でも使えるようになったそうです。

市街地からはずれ民家など何もない山の中を進んで行くと検問所らしき所がありました。昔はここでチェックを受けたんだろうと思います。
迎賓館はそこから直ぐの所にありました。予想通りの国を誇示するかのような立派な建物です。

大物政治家や俳優、歌手の人たちも来ていましたが、私が興味を持ったのは朝青龍のご両親、白鵬のお父さんが来ると言う情報でした。
しかも有難いことにモンゴル語が出来ない私に通訳を付けてくれたのです。招待しているモンゴル人はほとんど英語は出来ないとの事です。

私に付いてくれた通訳の人は夫の職場の現地職員、とても綺麗な人で上品で綺麗な日本語を話す人でした。
会場に到着すると直ぐに私の側に寄り添ってくれていました。

少し早めに到着した白鵬のお父さんを見て直ぐに教えてくれました。私はテレビで顔を見たことがあったのですが帽子をかぶりコートを着たその人を見ても本当にそうなのか全くわかりませんでした。ミーハーな私は「話ができると嬉しいね」と何気なく言っておきました。

その一言が効いたのか、彼女が白鵬のお父さんを紹介しましょうと言って連れて行ってくれしばし歓談しました。モンゴルの民族衣装ではなくスーツ姿です。
「10日前にモンゴルに来ました」と言うと、自分は東京には何度か行ったことがあるけれど話せる日本語は「こんにちは、ありがとう、さようならだけです」とモンゴル語で言ったので「私はそれプラス、こんばんわも言えます」とモンゴル語で言うと「では貴女の勝ちです」と言って笑いました。
最初の訪日は東京オリンピックの時だと言っていました。

通訳さんが側に居ることに慣れていない私は勝手にあちこち動いては悪いような感じがして最初は落ち着きませんでしたが移動してもぴったり付いてくるので(あたり前ですね)いろんな人と深い話ができてとても楽しいレセプションでした。

一人の人は話していると大学で日本語を教えていると言うのです。日本語はちょっとだけと言っていたので謙遜かと思っていたらやはりしゃべる方はあまりできないとモンゴル語で話しました。
彼女は中学生の時日本に憧れ日本語を勉強し始めたこと、弁論大会で優勝して日本に招待されて行き日本人がとても優しいのに感動し、益々日本語を勉強したいと思うようになった事などを一気に話してくれました。

通訳さんがいたのでありきたりの会話ではなく相手も深く話ができたんだろうなと思いました。
最後に「モンゴルで困ったことがあったら力になりたいから連絡ください」と名刺を出してくれました。

レセプションはいろいろ経験はしましたが今回は本当に楽しく歓談できました。
残念ながら朝青龍のご両親とは話をするチャンスはありませんでしたが白鵬のお父さんとは一緒に写真も撮らせていただきました。

ホワイトクリスマス

2009-12-25 18:37:39 | その他
サェンバェノー!

今日はクリスマス。
8時過ぎに目を覚ましまだ暗い窓の外を覗くと薄っすらとまた雪が降った跡がありました。
当地は乾燥しているため雪はサラサラしています。
少し風が吹いても車が通っても雪は移動してしまうのです。
そのため辺り一面銀世界とはなりません。ちょっと残念ですがこんな光景もここにいるからこそ見ることができたんだと思います。
下の写真はホテルの窓から見た様子です。




現在モンゴル人の95%以上の人がチベット仏教を信仰しているそうです。
社会主義時代には寺院の財産没収や僧侶が処刑され信仰の自由がなくなりました。
しかしソ連崩壊後に民主主義国家になり新憲法で信仰の自由が保証されました。

本来キリスト教の宗教行事でもあるクリスマスを日本と同じように年間行事の一つとして楽しんでいます。
街のいたるところにクリスマスツリーが飾られ、テレビでもサンタクロースがそりに乗って子供達にプレゼントを届けるCMも流れています。この飾りつけは昨年よりももっと派手になったとの事です。

今日お昼に街の中心街のレストランに出かけたのですが気温はー24度。10mくらい歩きましたが部屋に入ったときはぶるぶる震えていました。
街の中の様子は昼間しか見れませんが夜はきっと飾りつけが綺麗なんだろうなと思います。
下の写真は今滞在しているホテルのロビーです。




新居決定

2009-12-21 01:16:00 | その他
サェンバェノー!

今、滞在しているホテルではNHKの国際放送プレミアムというのが受信できます。ニュースを見ていたら山形の鶴岡市が出ていました。大雪で大変そうです。懐かしい友の顔が浮かんできます。大丈夫でしょうか?

私達がこちらに来てからは一度だけ朝起きて窓の外を見たら辺りが薄っすらと白くなっていました。雪はそれっきりですが気温は最高でもー17・8℃くらいです。
昨日の昼間、近くのホテルに入っている日本食レストランに行ってきました。

行く途中、500mlのペットボトルに水を入れて少しだけ(200ccくらい)道端に流してみました。
なだらかなスロープのあるところでしたが水は少し流れて塊のまま止まってしまいました。
まとまった量だったので流石に瞬間に凍ることはありませんでしたが約30分後の帰りに見たら完全に凍っていました。(こんなことでもしていないと刺激がありません)

そうそう新居が決まりました。
場所は夫の職場から直線距離で約100m南のところです。
親日家の人が住んでいて私達が家を探していることを知ったらしく貸したいので見て欲しいということで家探し2日目に見に行きました。

とても立派なマンションで部屋も広く、明るく、綺麗で、家具も立派な物が入っています。先に家賃を聞いていて私達にはちょっと手が出せない金額だったのでとりあえず見せてもらうだけということで目の保養をさせてもらいました。
家賃にふさわしいお宅でした。

その後も数件見て2軒ほど候補を挙げていたのですがどちらも9階だったので決心しかねていました。
もしエレベーターに閉じ込められたら・・・(停電が多いため)や水圧の問題・・・などで迷っていました。

そんな時あの親日家の人が私達が探している条件を聞きつけたのか値下げをしてくれると言うのです。しかもそれは私達が探している条件と同じなのです。かなりの値下げです。
なんだか申し訳ないような気持ちでしたが心の中は即決定でした。
翌日再度見せていただき正式に借りることを申し伝えました。

5階建ての2階部分、エレベーター付き、セキュリーティーも24時間常駐だしとても満足しています。
引越しは約2週間後、年明け早々になりそうです。


南東方向に見える日の出(08:55)

ホテルは街の中心から東側にあります。
窓は東向きなっているので中心街は見えません。


基本情報

2009-12-14 01:59:53 | その他
サェン バェノー!

今日はモンゴルについての基本的な情報を書いておきます。

国名:モンゴル国、英語ではMongolia(1992年の新憲法以降)

面積:156万6500k㎡(日本の約4倍)

人口:約270万人(2009年12月現在)

公用語:モンゴル語。文字はキリル文字(ロシアアルファベット)
民主化以降、縦書きの伝統的なモンゴル文字(日本の草書のような文字)の教育も行っている。

地理:北アジアのモンゴル高原に位置する大陸国家。北はロシアと接し(約3500km)、東西と南を中国と接している(4700km)東部は草原が多く、西部や南部は砂漠地帯(ゴビ砂漠)北部は森林地帯になっている。西部にはアルタイ山脈があり4000m級の山々が聳えている。海には接していないが湖や川も多く自然豊かな国。

首都:ウランバートル(2007年4月の人口:103万1200人)
緯度ではパリ、ミュンヘン、ウィーン、シアトルとほぼ同じ。
北海道より少し北になります。

海抜:最も高い所は4374m、低い所は552m、ウランバートルは1351m。

時差:ウランバートルは日本との時差はマイナス1時間。(西部の3県はさらにマイナス1時間)

通貨:モンゴルの通貨はトゥグルグ(Tg)で11種類の紙幣のみ。硬貨は流通していない。1円≒15Tg(2009年6月現在)

気候:年間の気温差、1日の気温差が激しく典型的な大陸性気候で乾燥している。夏は最高気温が40℃近くにまでなる日も多いが冬は氷点下30℃になる日も多い。10月からは急激に寒くなり4月まで続く。

主な産業:地下資源が豊富で鉱物産業が盛ん。次に羊や山羊などの牧畜業が続く。
鉱物資源やカシミヤ製品が輸出の多くをしめる。
商品のほとんどは輸入品で中国、ロシア、韓国、日本からが多い。

以上ガイドブックや手元の資料からの抜粋ですが簡単にまとめてみました。





無事到着

2009-12-06 23:00:50 | その他
サェン バェノー!(こんにちは!)

モンゴル時間の11月28日(土)午前6:10分、予定より30分早くモンゴルのウランバートル、チンギス・ハーン国際空港に無事到着しました。
着陸前の機長のアナウンスで「気温ー25℃、晴れ」とのことでした。

窓から下を覗いても何も見えず真っ暗闇です。街灯らしき明かりが時々見え始めたと思ったら赤い光になりました。変な色の街灯だな~ と思っていたらいきなり着陸しました。赤い光は空港の滑走路の光でした。
これくらい何もない飛行場です。

建物から外に出たと同時に何か砂の粒のような物が顔に当たりました。
それはあまりにも寒くて「ウォ~!」と大声を発したため自分の息が瞬間に凍って自分に跳ね返ってきた物のようです。

空港の前には小さなXmasツリーが数本飾られていて心を和ませてくれました。
空港から市内のホテルまでは約30分くらいでしたがガタガタ道でひどいものです。
そのガタガタ道をどの車もかなりのスピードで走ります。
真っ暗闇でほとんど何も見えませんでした。

ホテルに着いたのは7時半。お客は我々だけ。かなり大きなロビーは寒々と冷え切っていて暗闇の中レセプションだけに薄明かりが灯っていました。
まぁ早朝だしこんなものでしょう。
部屋に入ると2人ともバタンキュウで爆睡してしまいました。目が覚めたのは午後3時半を過ぎていました。

このホテルはデパート(韓国系の大型スーパー)と繋がっていて外に出なくても買い物が出来とても便利です。
取りあえず店内を見て周り飲み物などを買っておきました。
チェコ製の物や日本製の物もありました。

夕飯はホテル内の中華(台湾料理)レストランにしましたがチェコの中華と違ってとても美味しく幸せです。(そしてその後の夕飯はほぼ毎日ここで食べています)
値段も安くて心も懐も暖かです。


「サェン・バイノー」はモンゴル語で「こんにちは」の意味ですが「お元気ですか?」の意味もあるそうです。
「せんべい、ノー」と覚えれば良いと日本語が上手な現地の人に教わりました。


迎えの車に荷物を乗せているときにパチリ!



横を向いてパチリ!
手が震えていたのか少しボケています。


今日でちょうど1週間が過ぎました。
家探しは一時ストップして来週の木曜日からまた始めます。(夫がチョウ多忙のためです)