リョウの近況

筆不精のリョウが親・子・兄弟・親戚・友人・知人・幼なじみ達と彼らの友人達にお届けする究極のエコ便りです。

急性ストレス障害

2011-04-25 04:07:12 | その他
サェンバェノー!

モンゴルでは現地の人たちが一番いやな季節の春です。
最低気温はまだマイナスですが最高気温はプラスが表示されるようになりました。
春風と共に黄砂が舞い始めています。もうすぐ砂嵐の季節です。

さて今回の東日本大震災の影響で「急性ストレス障害」の患者が急増しているということを聞きました。
頭痛や吐き気、食欲がない、夜眠れない、なんとなく体がだるい、何もやる気がしない、いつも体が揺れているような感じ、などなどだそうです。
そして今回の大地震や津波を体験した人はもちろんこんな症状が出ても理解できるのですが全くその体験をしていない人にもこんな症状を訴えている人が多いそうです。

実は私もそんな症状が出た一人でした。
10日後くらいからです。
頭は痛くはないのですがなんとなく重い感じ、食欲はあるのに食べれない、夜眠れない、なんとなく体がだるい、何もしたくない、テレビを見ていて涙が出てくる、急に怒りっぽくなるなどです。
感情のコントロールがうまくできなくて夫に八つ当たりをしたこともあります。このときはなぜ八つ当たりをしたのかと自分でも不思議でした。

地震発生直後からず~とテレビの前から動けませんでした。
あの想像を絶する大津波も生中継で見ていました。
家や車だけではなく大型漁船までもがいとも簡単に流されていくのです。
まるでジオラマか映画でも見ているような、現実とは思えない光景でした。
でもそれが現実なのです。

上空のへりからの映像では走っている車に「早く早く、そっちはダメ危ない、Uターンして」などと心の中で叫んでいました。
大きな余震はまだまだ続いていました。
地震警報がなるたびに動きが止まり緊張し何も落ちては来ないのになぜか天井を見上げていました。

3月20日の日曜日、イギリスのBBC放送で今回の地震の特別放送すると言うので見ました。
そしてそのとき初めて目にした映像に衝撃を受けました。
福島原発の何号機かで最初に水素爆発が起きた瞬間の映像です。
11日の地震発生直後から毎日朝から夜中までほとんどテレビを見ていましたがこの映像は初めてでした。

我が家のテレビは「NHKワールド プレミアム」を受信しています。これはほぼ日本での番組と同じで日本語で放送されます。
BBCは「NHKワールド」の画像を使っていました。こちらは英語で放送されます。
主に日本人が見ている日本語放送はその爆発の時の映像がカットされているのです。繰り返し、繰り返し、何度も同じ映像を見ましたがこの10日間一度も爆発の瞬間の映像はありませんでした。
英語放送も日本語放送もその部分だけを除くと他の映像は全く同じなのです。

息子に電話で爆発のことを聞くと知っていました。他の放送局で見たのかもしれません。
私はこのときかなりのショックを受けました。
大きな余震はまだまだ続いているし、この先日本はどうなっていくのかと本当に心配でした。

こんな不安定な私を変えたのはテレビで「急性ストレス障害」の患者が急増していると知ってからです。
それは体験した人だけではなく遠く離れていて体験していなくても、テレビなどであの凄まじい光景を目の当たりにした人にも起こりうることで今回は「阪神淡路」のときよりも何倍も多くの患者が出ているとのことでした。
毎日悶々とした気持ちで過ごしていましたが私もこの患者の一人だと思ってからは少し気が楽になりました。時間と共に必ず良くなるとのことでした。

そんな時、昨年末から仲良くなった2才の女の子が最近ちょっと大変なので家に遊びに来てくれないかと言われました。
モンゴルの放送局でも当時は毎日日本の地震やツナミ、原発などのニュースが頻繁に放送されていました。
女の子はそれを見て指差しながら「マシン(車)、ヤポン(日本)、ツナミ」と言っていたそうですが私のことを心配して毎日泣きながら「エメー ヤポン ヨースノー?」(おばあちゃんは日本に行きましたか?)と何度も何度も聞くんだそうです。
今年になってからは2月の旧正月前は忙しいだろうからと遊びに行くのを控えていました。まだ1回しか行っていなかったのです。
勿論喜んで遊びに行きました。顔を見ると飛んできてエメーを連発し私にまとわりついていました。
その日から女の子は泣かなくなったそうでこの子も「急性ストレス障害」だったのかなと思いました。

急に孫の顔を見たくなり久しぶりにメッセンジャーにアクセスして孫の姿を見ました。
顔は少しお兄ちゃんぽくなり伝い歩きをするようになっていました。
う~ん 孫はやっぱり可愛いものです。
この時から私はすっかり元気になりました。もう大丈夫。リョウパワー全快です。


急なお知らせです。
九州に居る甥っ子の結婚式のため今月の27日(水)から10日間日本に帰ります。
4月には休暇で日本に帰れると言っていましたがそれがダメになったので今回は私だけです。
東京に滞在する時間が少ないので残念ながら今回はお会いできそうにありませんが夏の終わりごろ休暇が取れればいいなと思っています。
そのときお会いできればいいな~と思っています。











東日本大震災

2011-04-05 00:44:43 | その他
サェンバェノー!

2~3日前から最高気温がプラスになり昼間はとても暖かく感じられます。
道行く人も厚手の防寒着から薄手のコートになりました。

今回の「東日本大震災」では世界中に地震大国日本のことが大々的に報道されています。
それと同時に日本人の素晴らしさも報じられています。
日本人としてはごく当たり前のこと、一般的な日本人だと思いますが他国ではそうではないから驚かれるのだと思います。
取材に来た各国のメディアの人が口々に伝えているのです。
日本人はみんな礼儀正しくマナーもすばらしいと言うことは以前から知ってはいたがこんな混乱の時でさえきちんとしていると。

家に帰れない人たちが駅やビルの階段に座って携帯で情報を得たりしているけれど通行人の邪魔にならないように皆左右の壁側に座っていていること。

タクシーやコンビニで長い行列ができていてもみんなきちんと並んで順番を待っていること。

避難所で朝からおにぎり1個だけ食べたと言う人に「大変ですね」と声をかけると「自分は命があるだけでもありがたい。亡くなった人やその家族はもっと大変です」と感謝の気持ちを誰もが持っていること。

開業医のドクターが病院ごと全部流されてしまい患者さんに何もしてあげられないと涙を流していること。

不眠、不休で治療や看護、物資調達や捜索などをしている人たちも皆自分は仕事をしているだけ、被災者の方たちはすべてをあっという間になくしてしまったのでその人たちのことを思うと疲れたとか休みたいなんて思わないと言っていること。

誰にでも親切。
東京に駐在しているあるメディア関係者がたまたま休暇を利用して友人5人と仙台に遊びに行きちょうど海岸を散歩しているときこの地震にあったそうです。
地震だけでもかなり恐かったのにその後のサイレンがとても恐くて(津波警報とは知らなかった)右往左往していると近くにいた年配の人がトラックに乗れと言って荷台に上がって手を差し伸べてくれたそうです。
そして高台まで連れて行ってくれその後5分もしないうちにツナミが来たそうです。彼が居なかったら今頃私たちは・・・と涙ぐんでいました。

また歩いて帰っているとき疲れはてて立ち止まってしまったらペットボトルを1本くれた。お金を払うと言ったのに「いらない、暗いから気をつけて帰ってください」と言われた。

足に豆ができて痛くてしゃがみこんでいたら年配の女性がバンドエイドを差し出してくれた。
などと言っていました。

そして何よりも略奪がおきないと言うことが信じられないくらいの驚きだったようです。
どこの国でもこんな混乱状態のときは我先に店に飛び込んであらゆる商品を持ち帰り、奪い合いをし争いになる。
しかし日本では少ない食べ物を分け合って、しかも小さな子やお年寄りを優先に食べさせる。

救援物資をもらうときも皆きちんと並んでもらっている。こんな光景は今まで見たことがないと言う人もいました。


日本人は本当にすばらしい国民だ。どんな教育をしているのか。なぜこんなに礼儀正しいのかと座談会形式で話しているチャンネルもありました。
某国の人は日本のように礼儀正しく、マナーをわきまえてと教育をしても自国民では100年経っても同じようにはならないでしょうと言っている人もいましたよ。






大災害

2011-04-01 03:06:09 | その他
サェンバェノー!

2011年3月11日、東北地方太平洋沖に巨大地震が発生しました。
その後大津波が発生しその影響で福島第一原発も被害を受け今、日本は大変なことになっています。

この東北関東大震災で被害にあわれた方には心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く普通の生活を取り戻すことができますようお祈りしています。

2001年アメリカの「9,11」はとてもショッキングな出来事でしたが私にはそれ以上に2011年の「3,11」はショックが大きかったように思います。それは母国日本の出来事だったからでしょうか?


その日は午前中馬頭琴の練習に行き、その後買い物をして帰宅し、昼食を終え当地の午後1時45分を少し過ぎたころでした。

「NHKを見て!すぐに!」と夫からの電話でこの巨大地震のことを知りました。
夫の実家は茨城県です。水戸のすぐそばです。水戸では震度6強となっていました。

義母や義兄、義姉たちは無事だろうかと何度も電話をしてみましたがダメでした。いつもならメールを出せばすぐに返事が返って来る義兄にメールをしても長い時間返事がなくとても心配しました。

夜9時か10時ごろやっと義母の元気な声を聞き、また義兄も義姉たちもみんな無事と聞き一先ず安心しました。
「海からも近いし(7~8km)近くに大きな川もあるので津波にも気をつけてください。」と言うと
「そうだね、2mくらいの津波が来るかもしれないと言ってたね。」と言うのです。
停電になりテレビも見れないので今どうなっているのかわからないとのことでした。
現在の日本の様子を簡単に説明するとさすがに驚いていました。


東京も震度5弱となっていたので息子にも同じように何度も電話をしましたがやはり通じません。
義母と連絡が取れると私も少し落ち着き、息子にはメールをすればいいんだとそこで気がつきパソコンを開くと「生きてます」というメールが既に届いていました。

その後すぐに電話が通じたので少し話をしましたが「会社はビルの9階なので怖かった。揺れが激しかったのですぐに非常口のドアを開けに行った。」と言っていました。
とりあえず安堵しましたが余震が続いていたのでとても心配でテレビから目が離せませんでした。

津波の映像が中継で流れた後からはモンゴル人の友人や知人から沢山電話がかかってきました。皆日本語ができます。
「お父さん、お母さん、息子さんは大丈夫ですか?」と心配の電話です。
私の母は地震から遠く離れているから大丈夫だけれど義母と息子にはまだ連絡が取れていないと言うと皆本当に心配してくれました。

我が家の運転手のところにも親戚や友人から電話が沢山来ていて皆自分の家族と同ように心配していると電話がありました。
義母と息子にまだ連絡が取れていない旨伝えると益々心配そうでした。
「モンゴル放送で、今日本の携帯にはかかりにくいので家の電話にかけるようにと言っていますからそうしてみてください。」と再び電話で教えてくれました。
「義母は携帯を持っていないので家にかけているんだけれど・・・」と言うと運転手だけではなく私まで益々心配になってきました。

翌日の朝電話で目が覚めました。
「バイノー?(もしもし?)」
モンゴル語で始まる電話はほとんどが間違い電話です。先方が間違いを悟り電話を切るまで私はいつもお付き合いをします。
今回も先方がモンゴル語で何か言っていたのでそうするつもりで聞き流していました。
しかしその中で私の名前が聞き取れたのです。 まじめによく聞いてみると、日本、ツナミ、あなたのご主人、お母さん、息子、大丈夫? と言っています。
どうやら2人の安否を聞いているようです。

「ヘン ベー?(どなた様ですか)」と聞くと
「バテネン アーウ(バテネンの父です)」と返事です。(カタカナで書くとバトゥエルデネと書くのですがそう言ってるようには全然聞こえません)

運転手のお父さんからでした。
そう言えば最初にエルデネという単語も聞こえたなーとも思いました。

急に背筋を伸ばして丁寧に答えました。
「ミニー ヌフル エイジ ズゲール(私の夫のお母さんは大丈夫です)」
「タニー フー ウェ?(あなたの息子さんは?)」
「ミニー フー ズゲール(私の息子、大丈夫です)」

「OK お母さんも息子さんも大丈夫で良かった。私の息子からはまだご主人のお母さんとあなたの息子さんの2人と連絡が取れていないと聞いていたので心配していました。」多分このようなことを言っていたと思います全部は聞き取れませんでした。

運転手のお父さんには2回お会いしたことがありますが日本語は全くできません。
そして私がモンゴル語ができないのもよく知っています。(お会いしたときは今よりもできなかった)
それなのに自分で直接電話をしてくるなんてと驚きですがとても気持ちが伝わってきて嬉しかったです。

日本と連絡が取れた時点で運転手に電話をしておこうかとも思ったのですが翌日伝えればいいかと電話はしなかったのです。
翌日無事を伝えると既に知っていました。
お父さんが何度も電話をしてきて安否を気遣っていたそうですが朝自分で電話をしたと言って2人の無事を知らせてくれたと。
昨年の一人旅の時1泊したのですがゲスト帳に私の名前と電話番号を書いてほしいと言われ携帯番号を書いてきました。
全く言葉がわからないのにこの行動力に脱帽です。