リョウの近況

筆不精のリョウが親・子・兄弟・親戚・友人・知人・幼なじみ達と彼らの友人達にお届けする究極のエコ便りです。

面白い習慣

2014-06-30 00:46:21 | モンゴル国
こんにちは!

8年ぶりの梅雨を過ごしていますがしとしと降る雨はどこに行ってしまったのか、まるでストレスを吐き出すかの如く土砂降りの雨ばかりです。昔の梅雨はもっと情緒があったような気がするのは私だけでしょうか?


さて今日はちょっと面白い挨拶の話をしましょう。
モンゴルでは小さい子供に対してかける言葉は「可愛くない子だね!」と言うのが礼儀なのだそうです。

モンゴル語で可愛いは「フールフン」。

ある日我が家で雇っていた運転手さんの家に遊びに行きました。3人のお子さんがいましたが当時1才半だったヨチヨチ歩きの女の子が愛らしくて私は「フールフン」を連発していました。
しかし運転手と奥さんは何となくしら~とした雰囲気だったのです。嬉しそうな顔ではないのです。自分の子供が可愛いと言われていれば親も嬉しくて顔をほころばせるものですが全くそんな感じではなく何も聞いていなかったという素振りなのです。
また別の友人のところでも同じような経験をし独特の雰囲気を感じたのです。そんなことがあったのは私がモンゴルに行ってまだ半年くらいの時だったので 私は発音が悪くて通じていないのかなと思っていました。

ある日運転手にそのことを聞いてみました。するとモンゴル人は小さい子供に「フールフン」とは言わない、でもあなたは外国人だから言っても大丈夫と教えてくれました。それからは可愛い子供を見ると日本語や英語で「かわい~い」と言っていました。その時はそれ以上その話はしませんでしたが何となく気になっていました。

先日あるモンゴル人と話をしているとき気になっていた「フールフン」のことを聞いてみました。
驚いたことに小さい子供には「フールフン(可愛い)」と言ってはいけないとのことでした。
「可愛くない子だね」「なんて醜い子なんだろう」などと言うのが一般的なのだそうです。

モンゴルの冬は-40℃にもなる極寒の地です。昔は1才の誕生日を迎えるまでに多くの子供達が亡くなってしまいました。それは悪魔が嫉妬して可愛い子供を連れ去って行くと考えられていたそうです。その時の習慣がまだ残っていて今でも子供に「可愛い」と言うのは禁句なのだそうです。

そんな考え方だったため昔は間違っても可愛い名前はつけなかったそうです。
彼女の知り合いのおじいさんに「私は人間じゃない」さんや「あれ」さん「これ」さんと言う双子もいるそうです。
そういえば私の知り合いに「火曜日さん」という名前の人がいましす。
以前モンゴル人の名前のことは本で読んだことがあって知ってはいたのですが大昔の話なのかと思っていました。しかしこの習慣が無くなったのはつい最近のことだそうです。

最近は生まれた土地の名前や男の人では昔の英雄や強いもの、硬いものの名前が多く女性では花や幸せという言葉を入れた名前が多いようです。
名前についてはまだまだ面白い話がありますが長くなるのでまたの機会に・・・。


美容院へ

2014-06-23 03:23:40 | 日本
こんにちは!

昨日近くの美容院に行ってきました。
そして久しぶりにパーマをかけてみました。本当に久しぶりです。思い返してみたら何と38年ぶりです。
結婚後は一度もパーマはかけていませんでした。

結婚2か月後に夫の転勤でタンザニアに引っ越しました。
当時の先輩奥様たちはキリマンジャロホテル(最高級ホテル)の美容院に行っていたようですが何とバケツに数リットルの水を持参して行くとのことでした。
なぜなら水が汚いからです。
当時住んでいた日本人はみんな自宅の水道から出てくる水を濾過して透明にして使っていました。
私はそこまでして美容院に行く気持ちにはなれず、それからは日本に帰った時に美容院でカットだけしてもらっていました。

私は当時ではまだ珍しかった日本製の浄水器を2年分用意して持って行ったのですが全く役にはたちませんでした。
なぜなら日本の家庭用浄水器は川の水を濾過する事を前提にはしていないからです。2年分のフィルターは2か月でなくなりました。
その後は英国製の半永久的に使える原始的な濾過器を利用していましたが水は一滴ずつポタリ、ポタリと落ちてくるのです。どの家庭(外国人)もこれを使っていました。
この濁った川の水が透明になって出てきて、ある程度の量が溜まると沸騰させて冷まし、瓶に入れ替えて冷蔵庫で保管する、これが私の一番大事な仕事でした。簡単に言うと私の仕事は水作りでした。

日本に住んでいると水道水は透明であるのは当たり前で、濁った水が水道から出てくるなんて考えられないと思いますが世界では現在でも水道から出てくる水が透明な国より濁った水が出てくるという国の方が多いのです。

話がそれてしまいましたね。パーマをかけたと言う話でしたね。
40年近くもパーマをかけていなかったのになぜ今パーマをかけると言う気持ちになったのかというと「人のふり見て我がふり直せ!」と言うことわざを思い出した大きなショックを受けたことがあったからです。

電車に乗っていた時のことです。今はやりのAKB48の恰好をした超ミニスカートの女の子がドアーの近くの手すりを握って立っていました。今はあまり見かけない厚底のサンダルを履いていましたが足がとてもきれいな女の子です。
いえ、正確に言うと女の子でした、ず~と以前は。 今は老婆・・・と言っては失礼ですが少なくとも私よりは上だと思います。この時の私のショックを想像してみてください。

私がとやかく言うことではありませんが自分は年相応でいいと思ったのです。65歳のおばあちゃんでいたいと。
普通は少しでも若く見られたいと思うのでしょうが私はなぜか昔から年相応でいいと思っていました。

昔の女の子を見て、38年前からほとんど変化なしの髪型は今の自分には合っていないのではないかと思ったのです。普段着の時はいいのですが改まった席でのスーツやワンピース、着物などを着るとちょっと違和感を感じてもいたのです。

この際思いきって優しいおばあちゃんのイメージで美容院に行ったのですが自分の思いをきちんと伝えられなかったようでかなりイメージが違ってしまいました。年相応ではなくかなり老けてしまったように思います。
いつもはっきりもの申す我が息子からは「なんでまたそんな髪型にしたの? 前の方が良かったよ。」と言われいつも無関心な夫もあきれていました。かなり不好評です。鏡の前で気にしている私を見て「2~3日したら良くなるんじゃない?」と息子が慰めてくれました。