千葉に於ける野球のある話

海浜埋立地に生まれた少年野球チームを中心にコミュニティづくりが進み、世界で初めて少年野球を中国に紹介。

日本人の心 「空き缶が桜になった話」  その1

2007-01-31 08:15:40 | 日本人の心ー「空き缶が桜になった話」

日本人の心ー息吹き 空缶が土に、土が桜になった話 出光財団
「空缶が土に、土が桜になった話」

このお話は私が30年ほど前に(1974年)、千葉市の埋め立て地区に
できたガーデンタウンに少年野球チームをつくり、地域のコミュニティ
づくりをしていた時の話です。

たった6人で始まった少年野球チーム リトル・インディアンズが中心になり、
地域に緑を増やし、インディアンズ祭りなどの行事を増やして行き、やがて
5000坪もの広さの「子ども広場」を作りました。
少年達が廃品回収など一生懸命働く姿は地域の人たちの心をうち、
すばらしいコミュニティが出来上がって行きます。
そして1979年、日中友好条約締結の翌年、中国から招待を受け、
世界で初めて少年野球を紹介するために北京、上海を訪問しました。



その過程を出光石油の創始者である出光佐三さんが創った出光財団の雑誌
「日本人の心」(1979年 )が取り上げてくださいました。
この時のことが今でも、自分の原点になっているように思えます。
著者は当時、出光の広報にお勤めの木原陽一郎さんです。
30年前の話ですが、最近、問題になっている子どもの教育と地域について
考えるとき、この実話は参考になるかも知れません。



幸町リトル・インディアンズの訪中の様子を日本テレビが同行取材をし、総理府の提供で「日本レポート」:「少年野球で日中親善」というテーマで全国放送した。1978年日中平和友好条約締結の翌年で、しかも1979年が国際児童年であったことで高い視聴率を上げた。
http://blog.canpan.info/harada/daily/200611/01

関連資料:
少年野球 米・中を行く
ー中国に少年野球を紹介  
(日本経済新聞 文化欄1984年12月12日 )
http://blog.goo.ne.jp/mamakatz/e/f45a23e2b0ea28d24208478624178010

リトル・インディアンズ創世記 その1

2007-01-31 08:05:32 | 日本人の心ー「空き缶が桜になった話」
                    千葉市幸町のガ-デンタウン

砂漠の中の町 東京都内に勤務する鈴木勝彦さん41歳の一家が、ここ、千葉市幸町のガ-デンタウンと呼ばれる団地の一角に引越ししてきたのは、昭和49年3月のことでした。この一帯は,東京湾の広大な埋立地で、公団、県営団地やマンション、商店街が、一瞬にして出現したという感じの、ニュ-タウンでした。

そのため、環境も交通も整わず、住民意識もばらばらの、砂漠のような味気ない町でした。だれが言うともなく"住眠"という新語が生まれました。これは、都内に出勤して、ただ、寝に帰るだけのところという意味で、皮肉ともあきらめともつかない生活があるだけの所でした。

       関連資料:
少年野球 米・中を行く
ー中国に少年野球を紹介  
(日本経済新聞 文化欄1984年12月12日 )

6人のメンバーで少年野球チーム誕生 その2

2007-01-31 08:04:51 | 日本人の心ー「空き缶が桜になった話」
しかし、そんな環境であっても、子どもたちは、果敢に、"遊びの場所"を開拓して、瓦礫とごみの広場で、早くも野球を始めていました。大学時代に野球をやっていた鈴木さんは、時折の散歩の道で、この子どもたちと知り合い、土曜日や日曜日には、仲間に入っていっしょに野球をしているうちに、いつの間にか、その指導者になっていたのです。こうして、その年の6月、メンバ-6名の少年野球、幸町リトルインディアンズが誕生したのです。



グランドの造成 その3

2007-01-31 08:03:55 | 日本人の心ー「空き缶が桜になった話」
蝶や蜂がとんできた 「お早ようございます。インディアンズです。」毎月末の日曜日、少年たちが、元気よく各団地を回って、廃品回収を行う姿が見られるようになりたちました。チ-ムの運営費は、自分たちの手でというわけです。

少年達は一生懸命、廃品回収に励む


空き缶回収も始める



少年たちの、最初の目標は、グランド造りでした。たまたま近くの、中学校予定地を、建設が始まるまで貸してもらえることになりましたが、なにしろ、ひどい荒地で、砂と瓦礫の山です。大人さえも手を出しかねる荒地を、こつこつと汗しながら、整備していく少年たちの人数も次第に増え、1年半もたったころには、さしもの荒地が,見事な三面の少年野球場に生まれ変わっていたのです。それだけではありません。同じころできた少年サッカ-クラブも、これにならって、一面のサッカ-場を完成させたのです。

グランドづくりに一生懸命

客土のプレゼント その4

2007-01-31 08:03:01 | 日本人の心ー「空き缶が桜になった話」
こうした努力のかいあって、りっぱな野球場ができたのもつかの間、中学校建設のために、わずか4年間で、市に返還しなければならなくなりました。育ての親、鈴木さんをはじめ少年たちの落胆は、想像するに余りありましたが、みんなは決してくよくよしませんでした。ひたむきな一同の熱意に打たれた市では、将来の建設予定地ではあるが、代わりの土地を提供してくれることになったので、そこをいっそう楽しい広場にしようと、鈴木さんを先頭に、再び、少年たちの活動が開始されたのです。まず最初は、広場の周囲に植える桜の木の客土の費用を得るために、近くの国道14号線グリ-ンベルトに捨てられている空き缶の回収を思いたち実行しました。そんなある日の朝、少年たちは、広場に積まれた小山のような客土の山を発見したのです。事情を知った。




 国道事務所の所長さんが、「心ないドライバ-が捨てた空き缶を子どもたちに拾ってもらっていることは、たいへん申しわけないことだし、恥ずかしいことだ。」とプレゼントしてくれたものでした。

草木と遊ぶ会が発足 その6

2007-01-31 08:00:56 | 日本人の心ー「空き缶が桜になった話」
リトルインディアンズのメンバ-は、80名にもなりましたが、
この少年たちの団結と奉仕の姿は、単に野球チ-ムという
観点を超えて、その父兄や住民に対して、いつとはなしに大きな
反応を起こさせはじめていたのです。
父兄や老人クラブを中心とした"草木と遊ぶ会"が環境緑化の
輪を広げはじめました。

大人も子どもも朝顔の水遣りをする




インディアンズ祭り その8

2007-01-31 08:00:13 | 日本人の心ー「空き缶が桜になった話」
 




 

お祭りひとつなかったこの町に、子どもたちのための"インディアン祭り"も定着しました。それまでは、公団には公団の、兼営には県営のあるにはあっても、団地別意識ゆえに、むしろ角を突き合わせていたような各自治会の間にも広く"わが町意識"に根ざした連帯が芽生えてきたのです。青少年対策として、青少年の社会参加ということが言われますが、逆にここでは、負うた子に教えられて、町全体が息吹はじめたのです。






地域にコミュニティづくりの輪が広がる その9

2007-01-31 07:59:33 | 日本人の心ー「空き缶が桜になった話」
それまでは、公団には公団の、県営には県営のあるにはあっても、団地別意識ゆえに、むしろ角を突き合わせていたような各自治会の間にも広く"わが町意識"に根ざした連帯が芽生えてきたのです。青少年対策として、青少年の社会参加ということが言われますが、逆にここでは、負うた子に教えられて、町全体が息吹はじめたのです。


動物とのふれあいー「あなたは豚を見たことがあるか」



地域のもちつき大会を始めた。



3面のグランドを完成



インディアン祭りは地域の祭りに




中国政府からの招請状届く その10

2007-01-31 07:59:00 | 日本人の心ー「空き缶が桜になった話」
堂々と胸をはって 昭和54年の3月には、鈴木さんにとっても、子だもたちにとっても、とうてい忘れられないできごとがありました。この、無名の子どもサ-クルに対して、中国政府からの招請状が届いたからです。

それは、日中平和友好条約が結ばれてから、半年目のことでした。子どもたちにとっては、中国でも野球が始まったというニュ-スをたよりに、「いつの日にか、中国の子どもたちと野球を。」と、心に描いてた夢が実現したのです。


堂々と胸をはって その11

2007-01-31 07:58:18 | 日本人の心ー「空き缶が桜になった話」
リトルインディアンズの子どもたちは、中国の子どもたちの、熱烈歓迎の輪に飛び込んで行き、
堂々と胸をはって、りっぱに交歓を果たしてきました。わずか6名のメン-バ-からスタ-トして7年、
よき指導者に恵まれた子どもたちは、かけがいのない貴い生活のリズムを体得しました。


結団式                                  



中国に於ける初めての少年野球 宣武区体育場にて

 

解放軍兵士の前で「我が愛する天安門」を堂々と歌う。



あこがれの万里の長城へ



子ども広場に植えた桜の苗木も、今では緑したたる若木に成長しました。


君たちの息吹を吸って さくらは育つ その12

2007-01-31 07:57:48 | 日本人の心ー「空き缶が桜になった話」
わずか6名のメン-バ-からスタ-トして7年、よき指導者に恵まれた子どもたちは、かけがえのない貴い生活のリズムを体得しました。子ども広場に植えた桜の苗木も、今では緑したたる若木に成長しました。


広場のネットに掛けられた看板に、こう書かれています。


─ 君たちの息吹を吸って さくらは育つ 

さくらに恥じない人になろう ─ 

千葉市・木原陽一郎

インディアンズ活動の5本柱

2007-01-31 07:56:54 | 日本人の心ー「空き缶が桜になった話」

インディアンズの活動の五本柱は英語と中国語にも翻訳されている。

基本方針
たくましさと豊かな人間性を育てる


活動の五本柱
1.強いチームづくり   たくましい体力と精神力を養う


2.廃品回収   働くことの大切さと独立心を育てる


3.地域活動   社会に奉仕する心を育てる


4.草木の手入れ 自然を愛する心を育てる心を育てる


5.外国の友達との交流   世界に雄飛する子ども達を育てる


(中国語)基本方針和五大要求的牌子

(英語) Phylosophy of Littele Indians
To develop strong spirit and body in practicing and playing games.
To promote independence through recycling and paper drives.
To devote oneself to the community and promote community activities.
To love and ensure nature by giving care to plants.
To make friends throughout the world.




インディアンズ 1979訪中までの歩み

2007-01-31 07:50:24 | 日本人の心ー「空き缶が桜になった話」
インディアンズ中国の交流史を纏めてみようと思う。  

(9.20‘81 に書いたものをベースにした)
∞━━━━∞━━━━∞━━━━∞━━━━∞━━━━∞━━━━∞
インディアンズ中国  交流史 
 1974
 4月  将来、外国で野球をするという夢を子供達と語る。
1975
 5月 役員(大村、鈴木、岩根、高橋)レベルで、中国に照準をあてることを協 議。
1977
11月 千葉県子供関係団体訪中団に中国の子供達にあてて軟式ボール10ダースと    メッセージを託す。
    上海師範付属第1中と長沙砂子塘小に送られ、お返しに66点の書、絵が送    られる。
1978
 6月 日中友好協会千葉県支部から、訪中実現に協力するという申し出あ      り。訪中推選の依頼をする

 10月  訪中プロジェクトを父兄に発表し、準備委員会を発足。

   ーー日中平和友好条約の締結ーー

 11. 5  横浜にて、中国棒球研修団(王桂祥団長)と交流 合同練習。

 11.12  中国語講習会スタート(六角恒応 早大教授)

 11.21  成田空港で中国棒球団見送り。
中国体育総会に“日中友好と軟式少年野球について”書き送り、
       軟式少年野球普及の提言を行う。

 11.26 訪中団派遣実行委員会を発足(相川久雄委員長)

 12. 9 六角先生を招いて懇談会 "中国は厚い心の国です”

1979
 1.1 中華全国体育総会、李夢華氏(現国家体育運動委員会主任)
あてに手紙を送る。
   
 1.13 奥村夫人を囲む会 “中国を知るために”
   
 3.12 中国より招聘状届く。
   
 3.30~31横浜で合宿し、中華学校生徒と交歓会
   
 5.9  中国体育報インディアンズの訪中記事をのせる。
   
 5.19  日中交流のための中国語研修会スタート(奥村一男講師)
   
 5.20  千葉グランホテルにて中日友好の船天津班(王屏班長)と交流
   
 6.4  鈴木総監督欧州出張の帰途、北京に立寄り、中国棒塁球協会
秘書長蒋栄昌氏と交流の内容について協議。
   
 7.14  北京放送蘇克彬氏インディアンズの中国語レッスンを取材
   
 7.15  訪中団結団式
   
 7.21  県庁、支庁訪問。松井千葉市長より北京、上海各市長への
メッセージを託される。
   
 7.25  訪中団出発。子供27名 監督、コーチ5名 実行委員他7名 
TVスタッフ5名 計44名
   
 7.27  北京市宣武区体育場にて中国史上初の少年野球試合行わる。
         インディアンズ15-2北京西城区チーム 夜、
和平門飯店にて、中国棒塁球協会主席魂明氏等による
歓迎晩餐会。
   
 7.28  上海市少年宮等を訪問。
   
 7.29  上海市鎔西体育処にて日中混成チームで試合。
   
 7.30  帰国。
   
 8.12  日本テレビ総理府提供‘‘にっぼんレポート
 少年野球で日中親善”全国に放送。
        帰国報告会。
 9.    訪中感想文“ニイハオ!中国”完成。
 
 11.15~19 北京放送“友好の広場”にて子供達の訪中感想文を放送。
  
 11.22   中国棒塁球協会から「インディアンズの訪中は中国における
少年野球の興隆と両国少年達の友情を深める上で大変意義が
あった。5年間も廃品回収をし、少年達が自ら努力して訪中を
したことに感動した。」との手紙が届く。

インディアンズふれあいひろば (2007)

2007-01-08 11:50:23 | インディアンズふれあいひろば


幸町リトル・インディアンズの最初の卒業生は1975年でした。それ以来、数多くの卒業生が巣立って行きました。このインディアンズふれあいクラブは時間を越え、空間を越え、さらにすばらしいコンセプトと教えを残して逝かれた故人の言葉もがふれあうひろばです。以下のように皆さんのコメントなどを分類させて頂きます。
1.卒業生、指導者(インディアンズコーナー)
http://blog.goo.ne.jp/mamakatz/c/ef81b65a4b22479c5574dcee1a3d75ab
2.父兄ならびに地域の協力者(サポートコーナー)
http://blog.goo.ne.jp/mamakatz/e/1d6b60be652ac5b0529eb58eef4b9593
3.外部関係者(サポートコーナー)
http://blog.goo.ne.jp/mamakatz/e/1a3bc6eb1a58189dbef8184dab124d0a

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