しかし、そんな環境であっても、子どもたちは、果敢に、"遊びの場所"を開拓して、瓦礫とごみの広場で、早くも野球を始めていました。大学時代に野球をやっていた鈴木さんは、時折の散歩の道で、この子どもたちと知り合い、土曜日や日曜日には、仲間に入っていっしょに野球をしているうちに、いつの間にか、その指導者になっていたのです。こうして、その年の6月、メンバ-6名の少年野球、幸町リトルインディアンズが誕生したのです。
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