千葉に於ける野球のある話

海浜埋立地に生まれた少年野球チームを中心にコミュニティづくりが進み、世界で初めて少年野球を中国に紹介。

実践発表 少年野球でコミュニティづくり

2006-12-20 22:10:00 | 宝はあなたの庭に
幸町リトルインディアンズ少年野球部総監督  鈴木 勝彦
1979年9月29日(土)市民会館  第2回コミュニティリーダーの集い




1970-80年代は、大規模団地、マンションが出現する時代で、「コミュニティ」とか「コミュニティづくりと」いう言葉が使い始められ、地域づくりの模索が始まった。千葉市でも、全国に先立ち、「コミュニティ課」という所管ができ、「コミュニティリーダーの集い」が開催された。
埋立地にリトル・インディアンズという少年野球チームが誕生し、その子ども達を中心に人の輪ができた。地域の人たちは花と緑いっぱいのグランドをつくった。リトル・インディアンズは1979年には世界で初めての少年野球チームとして訪中した。少年野球を紹介する。ひよわだった子ども達は、逞しく世界に飛び立った。

以下は講演記録から。

関連資料:
日本人の心ー息吹き 空缶が土に、土が桜になった話 出光財団
http://blog.goo.ne.jp/mamakatz/e/552c25316920af9c57e2cfdf578f42b6

少年野球 米・中を行く
ー中国に少年野球を紹介  
(日本経済新聞 文化欄1984年12月12日 )
http://blog.goo.ne.jp/mamakatz/e/f45a23e2b0ea28d24208478624178010

殺伐とした埋立地区 その1

2006-12-20 22:09:20 | 宝はあなたの庭に
まず 私達のチームが基盤をおいている千葉市幸町1丁目の背景についてお話し致します。
高度成長時代が始まり、1954年10月から、富津から浦安まで80キロメートル、広さはおよそ11,000ヘクタール(全県面積の約2%)にわたる(千葉県臨海地域造成工事)が始まった。千葉港千周辺だけでも出州から幕張にいたる広大な工事が行われ新しく600万平方メートルという広大な陸地が浮かび上がった。千葉市幸町1丁目は海浜ニュータウンと言われる埋め立て地域の一角にある。

1972年埋立地の砂の上に、コンクリートブロックが置かれマンションが建設された。東京湾の広大な埋立地に一瞬にして出現したという感じのニュ-タウンでした。環境も交通も整わず、住民意識もばらばらの、砂漠のような味気ない町でした。そこにマンション,公団,あるいは県営住宅,商店街という種々雑多な住宅地域が混在していました。
そして自治会は住宅区分ごとに形成され,自治会間の交流も殆んどなく,当然のことながら住民同志のつきあいも非常に狭く浅いものでした。そして,1972年から1975年にかけて鉄筋14階建て所帯数1,400のガーデンダウンという高層住宅が建設されました。当然のことながら,騒音の問題,電波障害等,いろいろな問題を引き起こし,住民間の軋轢をさらに増していきました。当時はこのように殺伐として地域でした。

このような親同士の反目は,当然子供の世界にも反映して行きます。「お前はマンションに住んではいないので、庭で遊ぶな」「水道を使うな。管理費から出ているんだぞ」とか、毎日争いの絶えない日はありませんでした。

昔の登戸海岸 白砂青松の美しい海岸だった。
http://blog.goo.ne.jp/mamakatz/e/8ac2b07c3a3b92f63e13f18c837fa1f7

子どもとの出会い その2

2006-12-20 22:08:13 | 宝はあなたの庭に
全国から住民が移住し、子ども達の姿がどこへ行っても見られるようになった。しかし、子ども達のために組織化されたクラブなどもなく、ただ漫然と遊んでいるだけでした。ある日、子ども連れてベビーカーを押して散歩をしていると、草野球をやっていた子ども達のボールが飛んできた。「ここは危ないから公園へ行ってやろう」と声を掛けた。私は大学時代に野球部にいたこともあり、子ども達のお眼鏡にかなったようだ。「おじさん、また教えてね」これが子ども達のとの出会いであった。

少年野球クラブ誕生  その4

2006-12-20 22:06:31 | 宝はあなたの庭に
公園は(幸町公園)子ども達でいっぱいになった。見かねたお父さん達は練習の手助け、そしてお母さん方は飲み物などの手配。マンションの理事会も全面的に支援を約束。もいつに間にか、チームらしくなった。



少年達も集まったお父さん達の前でおお張り切り。ランニングや体操、ノックとなかなかに厳しい訓練だったが元気いっぱい。これから道具や練習場など困難な問題を抱えているが、目を輝かせて夢中にやっている少年達をみると、何とか解決しやらねばというのが、お父さん方の率直な感想だった。

ガキ大将達が手を結ぶ その5

2006-12-20 22:06:30 | 宝はあなたの庭に
一番最初にこういうグループに集まるのは 各地域の元気なガキ大将だ。私は地域で初めてできた少年サークルの指導者として,学校によく行った。学校の廊下で立たされているのは、いつも馴染みのガキ大将だった。

しかし,このようなガキ大将達が手を結ぶようになると,いつのまにか地域の子供達はお互いに仲良くなって行った(最近のいじめとは違う)。そして一年も経つと自治会あるいほ居住区の範囲を越えて子供達の輪は広がって行き,2年目には2丁目の子ども達までもインディアンズに入ることになる。小学校区を越えて子供達の輪は広がり、小学校3年生から6年生まで85名の大所帯に成長して行った。やがて大人も役員,コーチとして徐々に私達の輪の中に入り、「どこに住んでいようと,子供達の世界は一つなのだ。」「子供達の世界を守っていこう」という意識が芽ばえて行った。


小学校との連携 その6

2006-12-20 22:06:25 | 宝はあなたの庭に
幸町1丁目にあるただ一つの小学校が幸町第3小学校。H教頭先生はインディアンズの最大の理解者だった。今以上に、勉強以外の活動は、勉強の邪魔であると思う父兄もあった。そんな時、H教頭先生は地元紙、千葉日報の取材に対し 「野球部の子ども達は自主性も増し、責任感も強くなってきている」「また、学習面でも変化が現れた。昨年1年間を通じ、2学期に成績が下がった子どもが2人いたが、3学期に下がった子どもはおらず、逆に上がった子どもが8人もでている」と強烈な援護射撃をしてくださった。そして、同紙は「このインディアンズの指導方法は今後、青少年の指導方法をめぐって注目を集めそうだ」と書いている。
(1975年6月24日)

無気力な子ども達を大らかに その7

2006-12-20 22:06:01 | 宝はあなたの庭に
私が、再び健康を回復し、部員の数も増え、何人かの父兄がコーチに就任し、野球の指導にも熱が入った頃だった。私は、子供達に何かが欠けていることに気づいた。それは活気の無さである。大きな声が出ない。無気力。コンクリートの壁にとじこめられて育った子供の特徴であると聞く。私達指導者は、野球の技術を教えるだけではなく、どうしたら、大らかな子供に育つように手肋けできるかを考えはじめた。

チーム名はリトル・インディアンズ その8

2006-12-20 22:05:37 | 宝はあなたの庭に
しかし、病気上がりでつい子供達と同じように無力感に押し流されそうになった自分を支えるものが、私の心の中にはあった。

話は、1968年にさかのぼる。私は、アメリカ東部にあるダートマス大学で、留学生活を送った。雄大な自然に包まれ、歴史と伝統を誇るすばらしい大学である。私にとっては初めての外国生活でもあり、見聞きするものすべて新しいことばかりであったが、何よりも、忘れることができないのは、アメリカの若者の行動・思考のパターンであった。彼等は、〝努力さえすれば何でもできる〟という単純明解な考え方をする。彼等の頭上には、真っ青な空がどこまでも続いているように、私には見えた。私は心の底から、彼等をうらやましいと思った。夢を実現するためには数々の困難があり、結果として達成されないこともあろう。しかし、目標に向かってさっと一歩を踏み出す彼等のおおらかさはどうだ。自分には無いものであった。

ダートマス大学はアメリカインディアンズ(Native American)を教育するために創られた学校であったことから、アメフトなどスポーツクラブは「ダートマスインディアンズ」と呼ばれていた。

子ども達が自然の中で駆け回り、逞しく育って欲しいという願いをこめて「リトル・インディアンズ」と名付けた。

ダートマス大学 Dartmouth College
http://www.dartmouth.edu/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E5%A4%A7%E5%AD%A6

CATVとの連携 その9-1

2006-12-20 22:04:37 | 宝はあなたの庭に
幸町にはガーデンテレビ(CTS)といわれるコミュニティテレビ局が活動している。住民のボランティアのよって運営されている。地域情報を流しコミュニティづくりをサポートしている。
1974年1月にテストを初め、1975年には3月には郵政省から本免許を受けて全国に先がけて本放送を始める。地域に足つけた取材は各方面から注目され、総理大臣賞受賞、CATV大賞など多くのタイトルを獲得する。

リトル・インディアンズは地域の初めての子どもサークルとして、活動の状況、イベントの共催など密接な連携を行った。

(故YS CTS局長が1987インディアンズ便り100号記念誌に寄せてくださった文。)
http://blog.goo.ne.jp/mamakatz/e/2d71ad9c67df440a66086bc82fde3570

共に同じ歴史を歩んでーガーデンテレビ その9-2

2006-12-20 22:04:27 | 宝はあなたの庭に
リトル・インディアンズとCTSは、共に昭和49年にスタートしました。当時何もなかったこの地域に、何かをしなければ・・・・という気概の表れが、形こそ違え両者の共通した基盤だったと思います。
以来、紆余曲折を経ながら、共に当初の目的を失わずに続けてきた人々の努力は、一種の驚きと賞賛に値すると思います。少し大げさに言えば、千葉市幸町の名を全国にあるいは世界の一部だけど、知らせしめたエネルギーはまさに稀有な存在だといえるでしょう。
そうした少年野球チームを、同じ放送エリアに持つCTSは取材面のみならず、共通のコミュニティを追い求めてゆく立場からも、大いに得るものがありました。
特にインディアンズで育った子ども達がこの地域に根を下ろす時に、我々大人たちの目指してきた本来のコミュニティ作りが実を結ぶのではないかと思います。
これからも時の流れに従って、人の流れを続くでしょうが、ここに住む人、住んだ人に人にとって、この地域がひとつのふるさとであり、ふるさとであった・・・・
とい得るような街にして行きたいですね。
(ガーデンテレビ故YS局長 インディアンズ便り100号記念誌に寄せらた文章。
1987年)

ユニフォームのないチーム その10

2006-12-20 22:03:37 | 宝はあなたの庭に


子ども達はグラブなど道具を大切にしない。道具を忘れても取りに来ない。
なくなっても買ってもらえるからということだろう。そこで物を大切にするために
安易にユニフォームを親に買わせないことにした。試合に行ってもユニフォームは
なし。そんなチームはインディアンズだけだった。連盟の役員も趣旨を理解し許してくれた。


子ども達はマンションの庭の草取りをしてお金を稼いだ。


グランドの確保 その11

2006-12-20 22:02:37 | 宝はあなたの庭に
さて,次の関門としてほ,増え続けていく子供達に,どうしたらグランドを確保してやれるかということだった。たまたま近くに中学校の建設用地があることを私達は知りました。しかし,その建設用地は砂地でしかも瓦礫の山で,野良犬の住み家になっているような大変ひどい土地でした。しかし,私達ほ中学校が建設されるまでという条件で,その空地を千葉市から借りることになった。