プラマイゼロ±

 某美少女戦士の内部戦士を中心に、原作、アニメ、実写、ミュージカル等問わず好き勝手にやってる創作、日記ブログです。

2016-09-10 23:59:54 | SS










 ―生まれたばかりの赤ん坊が何故泣くか知っているかい?


 ―人間の世界に生まれたことに絶望して泣くのさ。何となく選んだその本にはそのようなことが書かれてあった。時々いる、こんなふざけたことを書く人間。そんな文章にうんざりして閉じると図書館のラベルが張り付けられた、派手な装丁の表紙が見える。購入したものでなくてよかったと思う。もう読むこともあるまい。
 水野亜美はこの手の問答を好まない。理屈っぽいなどと言われることはあっても、このような、ひねくれた、皮肉めいた言葉は好かない。赤ん坊が泣くのは、自力で呼吸をするために他ならないのだ。確かに人間として生きていく上では挫折や苦痛がいくらでも待ち受けているのだろう。それでも、赤ん坊は、生きると言う本能のままに声を上げるのだ。絶望など、感じるはずもない。

 そう思う。だって『そう』だから。冷静で、突出した頭脳はその言葉だけを告げていた。

 本を元に戻し、図書館を後にする。そこの図書館はとある大学が開放してある、普通に生活していく分には縁のないような、厳しい本ばかりが並ぶ場所だ。そんな図書館で、他の利用者が自分を目を丸くして見つめることなど、既に慣れてしまっていた。

 好まない内容の本を読んだせいか、気が重い。―こんなときは、水に浸かるに限る。亜美は誰もいない自宅に帰り部屋に鞄を置くと、そのまま誘われるように風呂場に足を運んでいた。それは昔からの習慣。どんな時でも、水に浸っていれば、何か解放されるような気がしていたから。

 強い夕日が窓から天窓から射し込み、浴室の明かりは要らなかった。服を脱ぎ捨て、湯と呼ぶにはぬるすぎる、中途半端な温度の水を湛えた湯船に乱暴に身体を沈める。
全身、頭まで、髪の毛一本水面に出さないように潜る。ぼやける視界、耳鳴りのように響く水の音。
 しばらくそのまま、やがて苦しくなって、飛沫を散らすように顔を出す。髪から頬に滴る水。心臓は高鳴り、肺は急くように酸素を求めている。

 ―つまらない。

 酸素なんていらない。もっと、もっともっと、ずっと水に浸かっていたい。いかに自分がそれを望んでも、身体は少しも言うことを聞いてくれず、荒い息を繰り返している。

「私、魚に生まれたかったのかしら」

 一人きりの風呂場で、ぽつりと静かに自問自答してみる。返事は心のうちに聞こえてきた。はっきり、否だと。

 水中を自由に泳ぐ魚。確かに羨ましいとは思う。しかしなりたいとは思わない。海や池ほど広いところにいたいとは思わないし、波も要らない。ただ自分の手の伸ばす範囲に水があればそれでいい。もっと、根本的な何か―

 昔から水が好きだった。浸り、さらし、流す。冷たかろうと温かろうと、包み込まれている感触が好きだった。理由など無い。気がつけば水を求め、プールや風呂などに足を運んでいた。それは本能に似たものであったろう。それこそ、生まれたばかりの赤子が声を上げて泣くが如く、彼女にとって欠かせない行為であった。

 ―赤子。

 ―もしかしたらそれは帰胎願望なのかもしれない。水に包まれている瞬間は、胎児のように護られている気がするから。水に揺られている瞬間、水野亜美は頭脳も何も放棄して、ただたゆたっていられればよかったから。

 目を閉じれば何かが見えるようだった。緩やかに考えてみる。生まれる前―何も覚えてはいない。次に残っている最も古い記憶を無理矢理引っ張り出してみる。やはり自分は水と戯れていた。
 幼い頃、何を見ても珍しかった頃。何を見るのも楽しかった。何をするのも興味は尽きなかった。しかし、その中でも特別に水が好きだった。ただ流れるのを見つめるのも、自分の体を浸すのも、泳ぐのも。川が流れていれば見つめていた。プールに行けば誰よりもはしゃいだ。そして、そんな自分を父と母が穏やかな目で見つめていてくれた。それが好きだった。あの時、確かに世界は光に満ちていたのだ。

 ―それなのに、いつからだろう。水が逃避の場所になったのは。

 興味が既存の知識に少しずつ摩り替わる様になった頃、だろうか。世界は変わり始めた。自分を取り巻く世界が変わったのか、それとも自分自身が変わったのか。その頃から開花し始めた才能は、普通の子どもの成長とは著しく違っていたのだ。
 その才能。水野亜美という人物をただ一言で表す言葉、『天才』。それ以外の―彼女が水泳好きで、人付き合いが苦手で、持って生まれた頭脳に甘んじることも無い努力家であるなどの、他の彼女を構成するものは、全て『天才』に付随するごく一部に過ぎなくなっていった。少なくとも、周りにはその一言だけあればよかった。突き出過ぎた才能は他の全てを埋もれさせてしまう。いつしか『天才であること』それだけが彼女を表すものになっていた。

 天才。それは普通より著しく頭脳が優れていると言うこと。

 だから普通ではないのだ。 
 普通ではないということはおかしいと言うことだ。
 
 ―異常だ。

 世界にとって、彼女は異常そのものだった。イレギュラーであり、理解できない存在だった。正しいことを言えば天才だから、間違ったことを言えば我々と違うから、と、常にその存在は一線を画されていた。誰も彼女と深く関わりたがらないと言った方が正しいのかもしれない。

 それは異常だから。

 誰もが、そんな者とは関わりたくないものだ。天才少女と褒めそやす声には常に異常者であると言う言葉が副声音のように付き纏った。言葉に含まれる毒。おかしなものを見る視線。
 確かに勉強そのものは好きだった。自分の知らない世界を知る楽しさ、溢れる好奇心。そして結果を出せば周りは喜んでくれた。父や母、周囲の大人たち。それが嬉しくて頑張った。勉強も何も、父や母の驚く顔や喜んでくれる顔がただ見たいだけだった。そしてそれはいつしか周囲が認め、そして周囲の均衡を脅かすほどになっているとも知らなかった、純粋で、異端な、幼き頃。
 周囲の均衡を崩した子どもはやがて自分の均衡さえも崩してしまった。それまで温かいと思っていた世界の、自分を見る目がおかしいと気付いたのは、父が自分の元を去ったときだろうか。自分を引き取った母が仕事でほとんど家にいなくなっていた時だろうか。それまで友と思っていたクラスメイトに遠巻きに見つめられるようになった頃だろうか。もう独りである今が当たり前すぎて、思い出せない。

 壊れたフィルムのようにざらざら流れる過去の記憶。皆、自分のことを知っているのに、遠巻きに見つめるだけで寄っては来ない。水族館の魚のように、どうしようもないほど厚い膜で水と一緒に囲まれているような、そんな自分。お互い見えているのに干渉できない、そんな世界。

 遠い周囲。無表情の父が去る。母が去る。周囲の人がどんどん去る。それを止めることも出来ずに目を伏せる自分。そして―最後に、顔が良く見えなくて誰かは分からないが、確かに知っていると確信させる少女だけが、寂しそうな笑顔を向けて去っていった。自分に初めて向けられた表情に息が詰まる感覚を覚える。頭で考えるより先にその少女に駆け寄ろうとして、気付いた。自分は水の檻にいるのだ。胸が締め付けられる感覚。狭い空間で手足が思ったように動かない感覚。届かない手に声。これは―
 溺れている。―まるで生まれる直前の胎児のように。

「がはっ・・・!は・・・ぁっ・・・ごほっ・・・」

 気がつけば湯船の中で眠っていたようだ。顔が半分以上浸かっていたようで、それこそ目覚めるか死ぬかの二択、生命の危機に瀕していた。意図的に潜っていた後とは違う、限界を超えた無呼吸と、それまで自分を護ってくれていた水に、捉えられ殺される感覚。
 湯船の端にへばりつき、無理にでも酸素を頭に取り込もうとする。こんな自分でも、体は生きようとするのだ。
 夕日に光源を頼っていたせいで、日が落ちた今風呂場は誰かの喪に服すかのように暗かった。どれほど眠っていたのだろう、元々温い水に浸っていたせいか酷く背中が寒い。
 引きずるように体を水から出す。微かに射す月明かりで洗い場の鏡に映る自分の姿。幼さが残りながらも、皮膚が酷くふやけ、どこかが間違っているようで滑稽だった。
頬に張り付いた髪が表情を隠す。しかし、暗い気分に暗い部屋で、ようやく見える鏡の中の自分の口の端は微かに上がっていた。
自嘲なのか、自虐なのか。
「・・・はぁっ・・・はぁっ・・・は、は・・・」
 夢は夢でしかないのだ。だが、今の自分が幼き頃の水野亜美の夢だとしたらどうなのだろう。夢に見たあの自分が現実で、今こうして裸でいる自分が彼女の見ている夢でしかないとしたら。気がつけば、それこそ霧が晴れるように消えてしまうとしたら。
 そんな小説があったのを思い出す。馬鹿げた妄想でしかないが、それでも構わないと思った。
だって先ほど自分が見た夢も、今自分が現実だと認識しているこの世界も、どちらも『悪夢』なのだ。どちらも、『水野亜美』のグロテスクなパロディのような気がしたから。

「―ああ」

 分かった。先ほどの本に嫌悪を感じた理由。顔も知らない人間に、自分と言う人間をずばり言い当てられた、あの不快感だったんだ。

「―わたしは、生まれたくなかったんだ」

 確かに絶望したのだ。生まれてきたあの瞬間、胎児ではなくなった瞬間、水の膜を破って産声をあげたあの瞬間、それまで自分を包んでいた水が自分から離れていった瞬間。―自分だけの世界が、なくなった瞬間。

 あの瞬間、水野亜美は悲しくて、絶望して―声をあげて泣いたんだ。

 それに気付いて、もう一度泣きたくなった。こんなことを誰かに言ったら頭がおかしいと思われるだろうか。それとも、また、天才だから考えることが違う、と言う一言で片付けられてしまうのだろうか。恐らく後者だろう。いずれにせよ水の中にいたいから生まれたくないなど普通の考えではあるまい。

 ―どうせ、伝える相手などいないけど。

 真っ暗な檻のような風呂場で、光を吸い込むように水を湛えたバスタブが棺のように見えた。その中で揺らぐ水はまるで揺り篭のように亜美を誘う。頭がくらりとしたのは、酸素が足りないだけではあるまい。全身に鳥肌が立った。


 ―揺り篭と棺。死ぬことと生まれることは、これほどまでに近い。どちらも、絶望でしかないのだ。ならば―どうせ独りだというのなら、生まれたくなどなかった。水以外の世界など、見たくも無かった。酷い頭痛によろめきながら、逃げるように浴室を後にする。








 それでも気がつけば水を一杯に張って、その中で胎児のように身体を丸めている。いや、実際に胎児と同様であったろう。それなのに、そこから出ることを否定し、生まれないまま、狭く停滞した水の中にいつまでも浸っている。
 流れもしない水の音だけを聞く。水にぼやけた視界は、外の世界が歪んでいるのか、自分の世界が濁っているのか、そんなことさえ知らないままに。
 それが水野亜美の世界である。否、彼女の心のうち、と言うべきか。彼女自身気付かぬうちに、彼女は心を護るように水の膜で覆っていた。
 子宮に赤子を孕む母のよう、自分の本質を護ってきた。
 水に包まれている自分。膜と、水と、裸の自分しか存在しない。その世界は心地よかった。それ以外の世界を知らなかった。異常とまで言われる頭脳が無意識にはじき出した、完全で、完璧な、水野亜美だけの世界。
 
 ―水は揺らぐけれど。

 そんな日々。生きている以上、地域や学校というコミュニティに否応なく属さなくてはならない。出来るだけ目立たないようにし、出来るだけ波風を立てないよう心がけるようにはした。しかしランドセルを背負うのをやめ、セーラー服に身を包まなければならなくなった頃にはもうどうしようもないほど周囲との距離は開いていた。いっそ空気のように周りから意識されない存在であればいいのに、学校のクラスと言う狭い世界、存在するだけで、なまじ独りなだけに目立った。自分が歩いた後に密やかに、でもはっきり聞こえる心無い言動。―天才。普通では無いと揶揄する言葉。
 そんな言葉に揺れるようなことがあっても、その世界が壊れることなど無かった。水は揺れるものだ。そしてしばらく待てば収まるものだ。その中の胎児は体を丸めたままで、生まれることを拒否し、そこから生まれ出でるということさえ知らぬまま、冷たいのか温かいのかさえ分からない羊水に浸っていた。
いつまでもそうして生きていくのだと疑わなかった。





 そんなことを心のどこかで感じるようになったのは、この安全で歪な日常が終焉を迎えようとしていたから。

















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 戦士になる前の亜美ちゃんの話。
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