「はいっ!」
まことが満面笑顔で差し出したのは、重箱だった。
父親の手先から逃げ、クラウンに避難したレイに「何か作ってくる」と言ったまことは、何故かとても一人じゃ食べきれない量のお弁当をその手に携えていた。まことの料理上手は知っていたので正直楽しみであったし、これだけ豪華なものを作ってくれるとも思ってなかった分、尚更レイの表情は曇る。
「ちょっと・・・多すぎない?」
「まあいいじゃん」
にこにこと屈託無く笑うまことは、自分が何かをもらった子供みたいだ、とレイは思う。
まことは人に何かをするのが好きだ。例えただのお節介でも、杞憂であっても、自分に損が回るような事があっても。大して短くもない付き合いの上でまことがそういう人物であるのをよく知っている。レイ自身、それで何度も助けられている。
『あたしはひとりでいいんだ』
ふと、レイの脳裏に、少し前、まことが戦士の力に覚醒したときの言葉がよぎった。あの時確かにまことは一人だけ覚醒が遅れておりそれを気にしていた。そして一人で戦って、一人で妖魔を撃退した。そして、目覚めた。
そして、集った仲間に、言い聞かせるように自分はひとりであると呟いた。
『助け合って強くなるんだよ!』
今度は初めて会ったばかりの頃のことを思い出す。うさぎの宿題がきっかけで、自分の問題は一人で解決しろと言うレイの言葉と真っ向から対立した、まことの言葉。
確かにレイは、今は助け合うことの大切さを身を持って知っている。けれども、まことの意見が完全に正しいとも思わない。
だって、彼女自身が、それを証明している。
「じゃああたしは帰るよ。その方がいいだろ?」
隣からの言葉でふと我に返ったレイは、既に背を向けているまことの背中を見つめる。確かに、まことがこの場に残る理由はないし、レイが自分の問題にじっくり向き合えるようにとのまことの配慮だろう。勿論、レイ自身がまことの立場であってもここはこれ以上踏み込むべきでないと思う。
でも―そう思ったところでレイは逡巡した。
「・・・まこと」
「?」
まことはにこやかな表情のまま振り向く。それを見て、レイは、自分の今の考えがお節介とも我侭とも取れないものであると気付く。正直少しだけ期待した、これだけの量のお弁当なら、一緒に食べるために作ったんじゃないかって。
本当は、傍にいて欲しい。誰もいない家に、まことを帰したくない。
「・・・ありがとう」
「どう―いたしまして!」
そして、それは、口には出さない。
まことが去った後、レイはぼんやりとまことの椅子に手を触れ考える。普段は騒がしい筈のカラオケの一室は静まり返り、妙に広くも感じる。
まことも、騒がしいクラウンから帰ればいつも、こんな静けさの中で一人いるのだろうか。毎日、こんな風に日々を過ごしているのだろうかとぼんやりと思う。
『助け合って強くなるんだよ!』
頭の中で再びまことの言葉がリフレインした。
当時は純粋にその言葉への反発だけだったけれど、自分も結構うさぎに甘いと自覚した今、まことに対して思うのはただひとつだ。
まことは誰かを助けるけど、自分は助けてもらおうとしない。これは、彼女の言う『助け合い』とは違う筈だ。
『ひとりでいい』のは、誰にも入って来て欲しくないから?それとも、誰かに助けてもらうことを、誰かに傍にいてもらうことを諦めてるから?
親のことで出てきたはずなのに、結局はまことのことしか考えていない自分に気付き、レイは机に突っ伏した。
暫くレイがぼんやりしていると、ドアががちゃりと鳴る。一瞬まことかと思ったが、入ってきたのは亜美だった。自分に似た理由でここに来たんだろう、そうレイは悟る。亜美も一瞬驚いたような表情を見せたが、決して気まずそうなものではなかった。
「・・・わたしも、いい?」
「いいけど・・・」
亜美が階段を駆け下り、静かに椅子を引いた。一瞬の沈黙の後、レイは亜美と話すことにした。親のこと、仲間としてのわだかまり―亜美の話も聞いた。
そして、話しているうちに感じた、亜美の強さ、心の変化。
亜美がこんなにはっきりとものが言えるようになったのはいつからなんだろう。そう思う。気弱で、自分とは違う意味で人間関係が苦手で、出会った頃はずっと空回ってた大人しい女の子だった。些細なことに悩んで、自己嫌悪して、その度に不安になって見ていた。
それなのに今は自分の意見をはっきり、レイに言える。
レイはふっと笑みをこぼした。少し嬉しかった。そして、それを嬉しいと思える自分自身が、嬉しかった。
「・・・ねぇ、お弁当食べない?まことが作ってきてくれたの」
「まこちゃんが!?」
少しして、レイがふと提案した。そして亜美の顔がほころぶ。その表情は、まことの料理の味を知ってるからなのか、それともまことが作ってくれたことそのものに対してなのか。レイは、そこでまことがきっと亜美が来ることを見越してこのお弁当を作っていたんだと気付いた。
どこまでもお節介な奴だとレイは心の中で舌打ちする。自分だけのまことではないのだから当然なのだけど。
それでも、と思う。その、人を大切にする心を、ほんの少しでも自分に向ければいいのに。
でも、自分はまことを独りにしたくないんじゃない。『自分が』まことを独りにさせたくないだけだと。そしてその感情は既に、同じ使命を持つだけの仲間意識ではない。
少し苦い思いを持て余しながら弁当を見つめていたレイに、亜美は呟くように言った。抑揚は無く、目線もレイに向けられてはいないが、その言葉は確実にレイに向けられていた。
「・・・レイちゃん」
「・・・なに」
レイも、それに静かに答える。
「・・・レイちゃん、裏表ない人間はないって言ってたよね?そう、わたしに教えてくれた」
「・・・・・・・・・・・・・」
「わたし、今、レイちゃんに嫉妬してる」
「・・・・・・・・・・・・・」
堂々と言われたその言葉は、レイにとって意外なものでも、気を悪くするものでもなかった。
むしろどこかで気付いてはいた。それが確信に変わって、でも、レイ自身は自分で思っていた以上に冷静だった。
「このお弁当は、まこちゃん、きっとレイちゃんのために作ってきたものだから。でも・・・レイちゃんに、まこちゃんは、譲りたくない。今はまだわたしのことなんて眼中に無いのかもしれないけど・・・それでも」
あんなに大人しかった亜美の中に、今はこんな情熱がある。
「・・・あたしもよ」
そして、ぶつけるだけしか出来なかった自分に、今はこんな冷静さがある。それはどちらも、仲間から得たもの―そして彼女から。
自分たちは、確かに変わっていく。勝手に変わっていくこともあれば、人に変えられたもの、自分の意思で変えていくものもあるだろう、それが時の流れであり、人はそれを成長と呼ぶ。
向き合わなければいけない課題はそれぞれ目の前にある。まこと自身にもある。でも、まことはそれから目を背けているだけだ。
だから自分たちは早く向き合って、それを乗り越えて―自分たちを助けてくれた彼女を、自分たちが変わるきっかけをくれた彼女を―
そこまで考えてレイはやめた。自分が誰かを変えるなんて、傲慢でしかない。成長とは変わった後、気付くものなのだから。
でも―せめてまことに気付いて欲しい。こんなに思っている人がいる。決して、ひとりなんかじゃ、ないと言うことを。
そのあとは二人は一晩中はしゃいだ。何もかも忘れて馬鹿騒ぎして―肩を並べて眠った。
そこに、絆があった。絶対に、ひとりにはならない安らぎがあった。
翌々日の朝、学校で亜美はまことのクラスを訪ねる。まことは既に席についていて、机を覗き込み教科書を確認しているところだった。一人だけ違う制服は、どこにいても分かる。
もう転校してきて随分経つと言うのに、彼女はこの学校の制服に身を包む気はないのだろうかとぼんやり思う。その姿勢は、無理にでも誰とも馴れ合わないようにしているようにも思えた。
そして亜美はまっすぐまことの方に向かう。学校で誰かを訪ねるなんて、これまでは、それこそ仲間に出会うまでは決してしなかったことだ。
「まこちゃん、おはよう」
「・・・亜美ちゃん?」
まことは亜美を確認するや微かに眉を潜めた。朝一番にわざわざ教室を訪ねてくることなんて、初めてだったから。
「・・・おはよ、どうしたの?」
「一昨日はありがとう。早くお弁当箱返した方がいいと思って、レイちゃんから預かってきたの」
「・・・ああ、別に急がなくてもよかったのに」
まことはそっけなく告げる。この時点で亜美の予想は確信に変わった。
「・・・まこちゃん」
「?」
「それ、レイちゃんのために作ってきたんでしょう?それなのにわたしが返しに来たって、びっくりしないんだね」
「・・・な、何のこと?」
そこでまことは亜美が何を言いたいのか理解したのか、声を強張らせた。この人はこういうところが甘いと亜美は何となく思う。
しかしまことは、もう亜美とは目を合わせない。そして亜美も、そんなまことに構うことなく続けた。
「・・・わたしが来るの、知ってたって・・・わたしのこともちょっとは気にしてくれてたって、思ってるから・・・」
「・・・何が言いたいのか・・・分からないけど」
「別にいい・・・でも、わたし、諦めたくないから・・・」
「・・・お弁当箱は確かに返してもらったから」
「・・・うん」
「・・・レイにもよろしく言っといてよ」
元々まことは無口で言葉足らずなところがある。感情そのものは分かりやすいのだが、こういう肝心なところは言葉も心も閉ざしたままだ。
自分を決して一人にしなかったのに、どんなに孤独を感じたときも最後まで傍にいてくれたのはまことなはずなのに、その彼女自身が『ひとりでいい』はずがない。そこまで冷酷で非情なことを自分に向ける彼女に、痛々しい愛おしさを感じる。
それなのに、そこで出されるのは、レイの名前だから。
「・・・うん」
まことがレイを選ぶのなら、それで構わない。ただ、『ひとりでいい』なんて拒絶は残酷すぎる。
「・・・あきらめ、ない、から」
最後の呟きが誰に向けたものなのかは亜美自身にも分からなかったけれど。その言葉を聞いて、困ったような表情をうかべたまことが最後に微かに笑んだのを見て、亜美は自分の中で燻ぶっていた色々なものが爆ぜそうになった。
亜美は鼻の奥に熱が篭るのを感じながら、まことから目を背け無言で教室を出る。心のうちで少しだけ呼び止められることを期待した。でも。
「亜美ちゃんが、転校しなくて、本当によかった」
「・・・・・・・・・・・・」
まことの声はどこか独り言めいた静かさと穏やかさがあった。亜美は背中を向けていたことを心のうちで安堵しながら、その声には答えず後ろ手に教室の扉を閉めた。
―ほんとうに、残酷な人だ。受け入れてくれないのに、手放してもくれない。
それなのに、また、昼休み、放課後―クラウンにいなくともこの学校にいるだけでまことに会う機会がレイより多いことを喜んでいる自分がいる。亜美は鼻の熱を無視したが、胸の奥に何かが燻ぶり続けるのは無視できなかった。
その熱をもたらしたのはまことか、それともレイか。亜美には判別がつかないけれど。
「―あきらめない」
亜美の声は、湿度の高い空気に溶けた。窓の外で、微かな風が木の葉をざわつかせているのを目の端に宿して、静かに瞼を閉じた。
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大変お待たせしてしまって申し訳ありません;しかもまこちゃんがお好きと聞いてたのにまこちゃん出番少なくてすみませんorz
でも亜美まこレイのリク自体は非常に嬉しかったです!ありがとうございました!
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