プラマイゼロ±

 某美少女戦士の内部戦士を中心に、原作、アニメ、実写、ミュージカル等問わず好き勝手にやってる創作、日記ブログです。

百万回繰り返されたシチュエーションとその顛末

2016-12-29 23:59:59 | SS







 それはまごうことなき床ドンであった。





 昨日学校に行って今日も行って明日も行かなければいけない平日の真ん中。雲がそこそこ出ているけど曇りというわけでもない空模様の日。めちゃくちゃ寒いわけでも風が吹きすさぶわけでもない放課後。大安でも仏滅でも知り合いの誕生日というわけでもない、ありふれた日。

 爽やかでもなく、かといって陰鬱としているわけではなく、朝でもなく、夜でもなく、なにか重大な事を起こすにはなにもかも中途半端な日と時間。2日過ぎれば過去のそれ以外の日と記憶が混じってあいまいになる、そんな代表のようなその時。

 事を起こすには適さない、だが事が起こるのは往々にしてそんなときだったりする。


 愛野美奈子は、放課後、誰もいない自宅の自室で、顔を真っ赤にした水野亜美に床に押し付けられていたのである。





 事の始まりは、家族が留守だからうちに来てふたりでお勉強でもする?という美奈子の一言であった。

 世間的には、愛する者に向ける『ふたりで勉強』という誘い文句は、9割は口実である。実際にナニをするかはともかく、中学生で家族が留守で好きな人といっしょというシチュエーションは、恋する美奈子にとってはお金を払ってでも得たい状況だった。そして運よくその状況になる日は訪れ、これ幸いとばかりに誘ってみた。だが、亜美に勉強すると言ってしまった以上、実際に勉強をするしかないのも内心わかっていた。

 美奈子の恋人はそういう人間である。

 亜美は、自嘲も含め自分を面白くない人間と評するとおり(傍で見ている美奈子としては十分に面白かったりするが)いたずらに羽目を外すこともあまりなく、勉学を愛し秩序を重んじ清く正しく美しく生きようとしている。対する美奈子は正直なところ勉強は好きではないが、勉強をしている亜美を見るのと亜美にしごかれるのは案外好きだったりするので、日ごろの付き合いに文句を言いつつもわりと亜美のペースに合わせていた。

 どうせどんな言葉で誘ったところで、美奈子の部屋で亜美は参考書を開くだろう。だったら警戒心を与えないほうがいい。ちょっとくらい勉強の相談などしつつ、ほっぺにちゅーでもできれば儲けもの、そんなくらいの心づもりだった。

 下心がなかったと言えばもちろん嘘になる、だが。

「・・・美奈」

 家族が留守の家、ふたりきりの自室、勉強を口実に誘い出したはずの亜美から抱きついてくる、こんなシチュエーションは予想してなかった。

「・・・あああああみちゃんんんんんん」

 だから、美奈子が驚きのあまり思わずラップ口調になってしまうのもそれは仕方のないことであった。

 なにも、亜美を招き入れていきなりこうなったわけではない。
 部屋に入った亜美に適当に座ってもらった後、せっかくだからお茶とお菓子でも、と美奈子が適当に自宅の台所から漁ってきたのは、海外の見知らぬメーカーのシールが貼ったもの。ママもたまには気の利いたもの買うのね、と深く考えず出したそれはウィスキーボンボンなるアルコールを含むお菓子だった。もちろん包み紙に説明文はあったがそれは亜美を以てしても解読できない、ましてや美奈子には暗号にしか見えない見知らぬ言語。そしてお菓子を目の前に解説文をまじまじ読む習慣などまずない美奈子はそこまで気を払うこともなかったからこそ、アルコールのことは食べてから気づいた。亜美もまた然りだった。

 だが、気づいたところでそこまで気にしなかった。

 ひとにもらって、しかも一度口にしたものを拒絶したり吐き出したりということはしたくないのであろう亜美が、フォローのようにボンボンは法律上未成年が手に取ることは禁止されていないと言った。そして、はじめて食べたけどおいしいのね、とも。

 お互い、世の中アルコールに極端に弱い体質の人が少なからずいるというのは知識としてあったが、コミュニケーションに酒を必要としない中学生は恋人はおろか自分の許容量も知らず、しかし幼さゆえに恐れ知らずで無謀であった。そこに、お互いたかがボンボンという侮りは確かにあったのだ。

 だが、その、たったひとつのたかがボンボンで亜美は豹変したのである。

「・・・なんか、わたし・・・・・・からだが、へん」
「あたたたたたたままま」

 頭も態度も変ですわ水野さん、という反論は声帯がうまく機能しないため返すことができなかった。
 ボンボンをひとつ口に含んでから、しばらくという時間も待たずに亜美がやや赤くなっていることに美奈子は気づいた。最初はボンボンのせいとすら思わず暖房効き過ぎかな、くらいに考えていた美奈子は、亜美がやや姿勢を崩すような動きで距離を詰めて来たので驚いた。

 好きな人が頬を染めて近づいてくる、というシチュエーションには素直に体が反応した。だが、それまでの経験から自分の望む展開にはならないことも美奈子は知っていた。知っていたつもりだった。

 だから、亜美がくたっと糸が切れたからくり人形のような動きでしなだれかかってきたときも一瞬夢だと思ったくらいだ。しかし鼻にかかったような亜美の声と胸元にかかる重みと熱は間違いなく現実だった。

「美奈は・・・」

 亜美とあれそれアハハウフフアンアンなベタな展開は妄想の中で数限りなくしてきた。一方で少女漫画やドラマを見ては「こんな展開現実にあるわけない」と義憤に燃え、自分には縁遠いものと諦めていた。夜な夜なベッドで百万回は使われたシチュエーションに思いを馳せては涙とよだれで枕を濡らしつつ、結局そういうことが望めそうにない亜美を愛していたのだ。理想と現実は一致しない。美奈子の好きな人は少女漫画的ドラマとは百億光年も離れた人だった。それが愛だからそれでいいと思っている部分もあった。

 だが今はどうだろう。奥手で真面目な彼女がうっかりアルコールを摂取して自分に甘えてくる、百万回読んだ展開がまさか自分にやって来たことに美奈子は大いに動揺し、心臓はサブマシンガンのようなビートを刻んでいる。その激しい鼓動は乙女のやわな肋骨を粉々に砕くのも時間の問題と思われた。

 有り体に言えばで瀕死であった。

「(あかん)」

 華奢なくせにわりといい体を亜美に押し付けられ、正直なにがあかんのかも正直わからないまま、本能的に美奈子は思った。胸元でもそもそと亜美が頭を押し付けてくる現実に汗やら脳汁やらその他わけのわからん汁が無駄に大量に分泌され、おそらく亜美以上に頬が染まっていることが自分でもわかる。普段戦士としてフル稼働していると思っていた精神および肉体はあっけなく限界を超え、銀水晶の力を借りずとも百五十年そこそこありそうな寿命が数日は縮んだ。

 妄想では架空の亜美の反応やらあれそれやらばかり考えていたので、いざこういうことになってみると肩を抱くこともできない自分の反応も、美奈子を動揺させていた。だが、どうしても体が動かないのだ。
 確かに亜美とこういう展開を望んではいたが、本人が言ってるように今亜美は変なのだ。世間から見た変ならいつものことだが、そういう意味でなくいつもの亜美と違って変なのだ。そんな状態で一生に一度しかない初体験を捧げちゃってよいものか。自分は後悔しないが、あとで亜美を傷つけたり悲しませたり、もっと言えば恨まれたり憎まれたり祟られたり血祭りにあげられたりはしないだろうか。

「(だれかたすけて)」

 誰もいない家に呼んだのは自分なのに、美奈子はおもむろに天を仰ぎ不特定多数に救いを求めていた。もっとも、それは声にもならずゼロ距離の亜美にすら届かなかったが、都会にシックスセンス飛ばしまくりの親友になら届くかもしれないという切実な願いだった。携帯電話はスカートのポケットに入っていたのだが、今この状態の亜美を前にいまさら電話で恋愛相談する勇気も度胸もない。

 だが待てど暮らせど親友からのシックスセンスによるアンサーはない。仕方ないので急遽仲間たちを脳内召喚し意見を仰ぐことにした。

 Q.愛する人がお酒の力で迫ってきているのですが、正気でないのは明らかなので紳士的に応対すべきですか、それとも二度とないチャンスと思って押し倒すべきですか?

 乙女代表のポニーテールの友人は「押し倒せば?」と面倒くさそうに返してきた。酔ってても迫ったのなら自己責任だよ、というニュアンスが強くにじんだその表情は実は自分が押し倒される側の意見であることを示している。そして、口ではそう言いつつ、面倒見のいい彼女は自分が酔っ払いに絡まれたら紳士的な対応を取るのだろう。その姿には少し哀愁が漂っていた。

 次に先ほど救いを求めたが特に反応のないクールビューティーの友人を呼び出すと、これまた面倒そうな顔で「普通の状態じゃないんだから助けてあげなさいよ」と切り捨てられた。あなたそれ自分の嫁がそう迫っても同じことできるんですかと聞いたら想像の中ですら返事もなく立ち去っていった。まさにクールビューティーである。

 続いてリア充爆発しろなお団子の友人に聞いたら「ええ~、でもそんな風になったらちょっとうれしいかも、まもちゃん普段は・・・」などと回答になっていないお惚気が展開されたのでさっさとご退散願った。ご回答まことにありがとうございます末永くお幸せに。

 以上、すべてアドレナリンと煩悩渦巻く脳内でのやり取りである。そして美奈子は希望的観測と深読み意見を取り入れたうえで多数決で押し倒す方に決めた。恨まれても憎まれても祟られてもそれより深い愛で立ち向かえばよく、血祭りにあげられたらそれを快感にもっていけばよいだけだ。美奈子は決意を固める。

「・・・あっ、あみ、ちゃ・・・」

 酔っているのはお互いさまだ。緊張と期待と興奮で舌がもつれ息が詰まりながら、美奈子はようやく亜美を見た。すると、亜美と目が合った。と言うより、今までずっと亜美に見られていて、ようやく美奈子が亜美を見たのだ。
 亜美は美奈子の胸元に顔を埋め上目づかいで潤んだ目を向けている。美奈子の心臓が肋骨に皮膚にブラジャーに制服を突き破りさらに亜美の脳天をぶち抜かないのはまさに奇跡かと思われた。

「(あかん)」

 気が遠くなって、美奈子は薄らぐ意識の中で同じことを思った。妄想で鍛えたテクニックは圧倒的な現実の前には文字通り手も足も出ない。

 そんな感じで若干彼岸を覗き見ていたところで、美奈子を現実に引き戻したのは誰であろう亜美であった。

「っ・・・!!」

 亜美の手が制服に侵入してきたのだ。美奈子は衝撃のあまり2センチほど浮いたが、そんなことで亜美の手が止まることはない。横っ腹を手のひらでなぞられて、くすぐったさと、なによりも亜美がこんなことをしてくるという事実になかなか浮いた体は戻ってこない。そうこうしていても、植物の蔓のように亜美の手は美奈子の服の中を這う。背中を指がなぞる。物理の法則をまるっきり無視して更に体が浮く。

 そうやってしばらく浮いていたが、やがて、ようやく地上に戻って来た。だが、地面についたのは尻ではなく背中だった。

 自分が降りてきたのではなく亜美に下ろされたのだ。押し倒されている、と理解したのは、自分と天井の間に亜美の顔があると気づいたから。かくして、美奈子は亜美に床ドンされていたわけである。





 憧れつつもあり得ないと思っていたそのシチュエーションに放り込まれた美奈子の感想は、うれしいや恥ずかしいより『こっちがされる側なの?』であった。まこと、現実とはままならないものである。

「・・・っ、は、・・・・・・、・・・は・・・ぁ」

 亜美のでたらめなリズムの呼吸を聞きながら、美奈子はその姿勢のまま動けない。亜美は自分から押し倒したくせに心なしか震えているし、美奈子は抵抗の意志こそないから動きはしないものの、こういう展開ならこういう展開で正直思うことがあった。

 亜美が来ることはわかっていたから、下着はいちおうきちんと上下揃っていたはずだ。セーラー戦士の露出部分もあって腕足ワキなんかはきちんとしているはずだが、こんな展開になるとは夢にも思わなかったので普段さほど気に留めていない部分が気になってくる。ネコになるのは構わないが背中の毛並みがリアルに猫のようにふかふかになっていないだろうか。乳毛が一本だけにょろにょろと自己主張しているなんてことはあるまいか。下腹部の熱帯雨林が下着の防護壁を突き破りあまつさえへそ近くまでたわわに茂っているなんてことがありはしないだろうか。自分の体は毎日風呂や着替え時に見ているが、ついつい乙女心は悪い方に想像が働く。

 仮に亜美がそんなことになっていても気にならない自信はあるが、それと自分がそういう状態である可能性があるかというのは別問題である。むしろ冬でも水泳を嗜む亜美にそんな無防備さは皆無なのだから、やっぱり攻守交代すべきでは?いや、やる気なのはうれしいしされるの嫌じゃないからせめて電気消して。そんな声にならない思いが渦巻き美奈子はぱくぱくと口を動かす。
 思春期の乙女の妄想力はたくましいが、思春期の乙女の体毛だって同じくらいたくましい。だが、レインフォレストの面積が心配だなんて今この場で言えるはずない。

 いろんな思いがせめぎ合い、脳がわけのわからん汁でじゃぶじゃぶになっている美奈子を、亜美は制服の上から胸に触れた。強くはないが微かに力がこもっており、その行動は明確な亜美の意志なのだと実感した。美奈子は反射的に背中が反るように跳ね、息が詰まってもう感嘆の声すら出なかった。心臓がびりびりにちぎれてしまいそうだ。

 そうしたら反った背中に亜美の腕が入り込んできた。焦らすような遅さでブラジャーのホックが外された。理解するのに数秒かかった。

 理解したら、ようやく素直に受け入れることができた。

「(亜美ちゃん、本気なんだ・・・)」

 やっぱり亜美は震えているし、顔は真っ赤で目は潤んでいるし、生物としてもとても弱々しく感じる。きちんと真正面から向かい合って、普段は冷静であろうとしている亜美の今現在のその姿に、美奈子はもう妄想ではなく目の前の亜美に向き合おう、と思った。百万回繰り返したシチュエーションをわが身でどうするというより、とても単純に、今亜美にしたいことがあるのならそれを叶えてあげたいと思ったのだ。

 ボンボンの力で、普段頑なな亜美の理性の皮が一枚剥がれたような、そんな。そして、なにかを解き放ちたくて苦しそうなその顔を、自分が解放してあげることができるのなら。いらないことを考えて戸惑ったり自分をよく見せようとするような乙女心は脳汁に沈み、美奈子は静かに目を閉じた。

 亜美の手が美奈子の喉にかかり、寝そべったままあごを上げるように顔を持ち上げられると、そのままくちづけが降りてきた。くちびるの柔さと、亜美の短い髪の毛の先がふわふわと頬を撫でるその感覚に酔った。激しさなどないほんとうに触れるだけのものだったが、これまで亜美からくちづけをされることなどまずなかったのもあって、美奈子は喜びの感情で受け入れる。くちびるはぷっくりと熱を持って美奈子の体にも熱を沈めていく。その間亜美の手は喉からまた胴を滑り美奈子のスカートの辺りまで降りた。

 くちづけのさなかで見えていないためか、亜美の手はぐずぐずとポケットあたりをまさぐるような動きを繰り返して、何度目かにようやくかホックが外れた。美奈子の体がまた跳ねる。

 手を握ってくれるわけでもない。気の利いたことを言ってくれるわけでもない。いきなりホックをはずすなんて強引なことをする割にはずいぶんと不器用で、しかもボンボンとこんな雰囲気に酔わされて、ほとんど衝動と勢いみたいなものだ。だが、そのアンバランスさも恋に奥手だった亜美らしくて妙にいとおしい、と思ってしまった。くちびるがゆっくり離される感触に酔いしれる。

 亜美の体が少し美奈子から遠ざかる感覚がする。次に亜美がなにをしてくるのか、なにをしたいと思ってくれているのか、ほんの少しの不安と大きな期待を込めて美奈子は目を開けた。亜美の顔は相変わらず真っ赤で苦しそうで、もう今にも泣いてしまいそうで、それでも決意のような光は確かに灯っていた。美奈子はうれしかった。ほんとうにうれしかった。

 亜美の手に変身ペンが握られていたのに気づいたのはその1秒後である。

「(え、変身するの・・・?)」

 亜美のしたいことを叶えてあげる決意を固めておいて早々だが、このシチュエーションでなぜ変身ペンが必要なのかと美奈子は思った。コスチュームプレイなのか。初体験で。それとも氷とか使っちゃうのだろうか。やっぱり初体験で。変人なのは知っていたが変態なのか。こっちも変身すべきか黙って従ったほうがいいのか。美奈子は混乱した。そのそも亜美はなにも言わない。そういう会話に長けていないのは知っていたが、ここまでしてなにも言わないのもどうか。

 美奈子は本気で困っていたが、亜美には相変わらず美奈子の意志を確認する気はないらしい。がくがくと震える手で変身ペンをかざすと、変身するかと思いきや、亜美はなんの迷いもなくその軸先を己の喉に突き立てた。さすがの亜美も血まで青いということはなく、美奈子の視界がにわかに赤く染まる。

「(な、なに・・・!?)」

 ペンを抜いた首は栓を外したワイン樽のように血を噴き出していた。プレイとしては斬新であるが光景としては残酷である。あんまりな展開に理解が追い付かず美奈子は絶句し固まったが、亜美は苦痛の中に『一仕事終えた』というような達成感の表情を滲ませている。しかも吐血しながら。
 亜美の顔だけ見れば確かにドラマのワンシーンのようで、その佇まいはどこか格好よくさえある。だが、ここまで来ると変態を通り越して危険だ。脳汁に沈んでいた乙女心が、溺死体のように抗えない浮力で美奈子の意識上に舞い戻った。

 そういう趣味なら、否定はしないけどせめて事前に教えておいてほしいわね!そう思ったが口はもうぱくぱくとも動かない。

 そういえば、と美奈子は思った。亜美が言葉足らずなのは単に恥ずかしがり屋の口下手だからと思っていた。ボンボンで剥きだしにされた欲望に言葉を挟む余裕がないのだろうと思っていた。だが、自分も。まともな言葉が出ない。

 まともに呼吸もできていない。

「うらあ!!!」

 亜美の自傷ショーを目の当たりにしたまま未だ寝そべった美奈子の耳に飛び込んできたのは、甘い声質からの荒い言葉。そして、視界には窓ガラスの枠まるごとが部屋に飛んで来るのが入り込んできた。
 自分の部屋の窓が金属でできた鍵の部分をひしゃげさせながら向かって飛んでくる光景は奇妙な夢のようだが、それが美奈子や亜美にぶつかるということはなく、次の瞬間やってきた耳をつんざくような音は決してガラスの割れる音ではなかった。

「・・・きゃああああああ!!!」

 もう少し距離が近ければそれでもう窓を割れるのではないかと思えるハイトーンソプラノ。披露する場所が違っていれば不特定多数を感動の坩堝に巻き込んであろう完璧なビブラート。だがこの場にそれを称えるほど余裕のある人物はどこにもいない。

 亜美と美奈子の現場にガラス枠を蹴り破って、しかしガラスを床に落とさないように窓枠をしっかりつかんで侵入したのは木野まことだった。雄々しい掛け声直後の美しくそして女々しい悲鳴はギャップ萌えと言うに相応しいものだったが、やはりそれに感動する心の余裕を持つものはこの場にいない。むしろ美奈子には呼んでもいないまことがわざわざ部屋の窓を破壊して初体験に乱入するという悪夢的な出来事にしか思えなかった。悲鳴を上げたいのはこっちのほうだ。

 まことは悲鳴を上げるだけ上げると、それで気が済んだのか窓を部屋の端に置き、土足のままままずかずかと美奈子の部屋を突っ切った。

「・・・おい、無事か!?」

 まことは誰が見ても無事ではない亜美を美奈子から引きはがすように抱えた。この場で襲われていたのはむしろ美奈子のほうなのだが、出血している女の子を抱えその顔を覗き込むまことの仕草はまさしく被害者を救出する王子さまだった。そして亜美はそんなまことを見て、震えながらも手を握り、弱々しく微笑みさえした。世の中狂っている。

 亜美の嗜好は受け入れたいと思っているし、まことのことは友人として深く愛しているが、いくら美奈子でも初体験に乱入されてさすがにオウオウカモンとは言えない。それなのに自分の部屋なのに、なにもかも自分が置き去りにされている現実に美奈子はひんやりしたものを感じていた。なのにあばら骨がこなごなになりそうな動悸はまったく収まらない。むしろ激しさを増している。

「見るな!見せるな!」

 まことは亜美を抱えたまま切羽詰まったように叫ぶ。そして亜美の手をぐっと握り、亜美に向かってうなずいた。美奈子にはまことがどういう意図で動いているのか、発言が誰に向けたものなのかもわからない。少なくとも美奈子は自室の窓がちぎれ飛ぶ光景は見たくないし亜美との行為は見せたくない。
 すると先ほど外れた窓から今度は白い物体ががびゅんびゅんと音を立て美奈子の部屋を舞った。ただの小さい紙きれなのに意図を持った鳥のように動くそれは既視感があり、レイのお札が室内に侵入したという現実は理解した。なぜそんなものが来るのかは理解できなかった。
 札は室内をしばし彷徨うように回転したかと思ったら、やがて狙いを定めたように亜美の喉にべしんと音を立ててへばりついた。出血部分に湿布のように貼りつくそれはただの紙のくせに血を吸ってみるみる真っ赤になるということはなく、栓のように亜美の出血を食い止めているようだ。ますますほんとうに紙なのか謎である。

 遅れて、レイ本体がまことがぶち破った窓を土足でくぐってやってくる。あおむけで倒れた美奈子とまことに抱かれて吐血しつつ微笑んでいる亜美という不気味かつ意味不明な光景に、わずかに眉を寄せただけの彼女はやはりクールビューティーであった。己がやるべきことを探すように眼球をぐるりと動かし、部屋全体を見回して、レイは振り返った。

「今よ、セーラームーン!」

 そこで既に変身を終えているセーラームーンがお札で目隠しをされた状態でわたわたとポーズを決めているのが見えた。なんだこの展開と突っ込む力は美奈子にはもう残っていなかった。なぜなら、彼女は亜美に抱きつかれた時点ですでに死に瀕していたからである。

「ムーン・ヒーリング・エスカレーション!!」

 室内がやさしい光に包まれる。美奈子は己の激しい動悸が収まっていくのと反比例して、軽い絶望に放り込まれていくのを感じていた。





「で、なんでこんなことになったのさ」

 ムーンヒーリングエスカレーションのおかげで、まことが破壊した窓も亜美の傷もすっかり元通りになっており、まるでなにごともなかったかのようだ。性的には実際になにごともなかったのだが。
 違うと言えば、もともとふたりだった部屋に五人そろっていること、セーラームーンが変身を解いていること、まこととレイがきちんと靴を脱いだこと、そして美奈子の状態は平静に戻っているということだ。だが、なにもかも美奈子の意志でそうなったわけではないので、なにがあったと聞かれても美奈子には答えられない。

「そんなこと言われても・・・なんか亜美ちゃんが急にハッスルして流血してそしたらまこちゃんが来てレイちゃんが来てセーラームーンが来たとしか」

 だから、美奈子としてはありのままを話したつもりである。だが、それに異を唱えたのは亜美だった。

「・・・美奈、なにも気づいていなかったの?」
「気づいてないって、なにが・・・?」

 どうも亜美とは同じ時間を共有したのに、その認識が違うような気がしてならない。美奈子はいかにも理解できませんと言う顔をしたが、それはほかの三人も同じだった。それを見て、亜美は一呼吸置くと噛み砕くようにして言った。

「来てくれたみんなのためにも、一から説明するわね。今日私は美奈の家にお勉強しようって誘われて・・・それで、美奈に、お菓子をごちそうになったの」
「ああ、ボンボン。それで亜美ちゃんが酔っぱらって」
「違うの。たぶん、酔ったんじゃないと思う」
「???」
「そもそも、これ、ボンボンじゃない気がするの」

 亜美は美奈子が開封した箱をしずしずと皆の前に出した。それを囲んで覗き込み、とっさに手を伸ばしたうさぎの手をレイが無言ではたく。ふて腐れたような表情を見せるうさぎを完全に無視し、レイは傍から見れば少し高級なボンボンにしか見えないそれを受け取った。

「これ、食べたのね?亜美ちゃんも美奈も」
「ええ」
「よく生きてたことね。これ、呪いの品よ」
「!!?」

 さらっとレイは恐ろしいことを言う。だが、周りの驚愕のリアクションを意に介さず、すっと口の前に指を立てる仕草は変わらなくクールビューティーであった。セーラー戦士として覚醒する前から巫女である彼女は、この手の修羅場は相当くぐっているのであろう。一般家庭に呪いの品があるくらいでは動じないのだ。

「普通、箱には製品の成分だったり製造元だったり書いてるでしょ、ほら、ここ。字が書いてる」
「でも、外国語だったし、普通そんなにまじまじ見ないわよお・・・」
「これ、呪いの言葉よ。亜美ちゃんも気づかなかったの」
「・・・・・・不勉強だったわ」

 そんなの普通気づかないよ、フォローのようにまことは呟いたが、亜美の耳には届いていない。亜美は己の不覚を恥じ入るように深く頭を垂れ、レイはやはりそんな周りを意に介さず、ボンボンに意識を集中させる。

「これは・・・美奈のお父さんが職場の人からもらったものね。その人はさらに別の人から外国のお土産でもらって・・・そんな感じで、運悪くずっと手にした人の口に入れてもらえないで、数十年・・・百年・・・もっと・・・たどれないくらいたらい回しにされた経歴の中で人間を憎み自ら呪いの品に変化していったのね。邪悪だけど、哀れと言えば哀れだわ」

 レイの口からやはり淡々と語られるその事実は、おぞましくそして哀しい。
 人からもらったものを、また別の人にそのままあげる。あまりほめられた行為ではないが、ものを無駄にしないためであったり、処世術であったりの意味合いも強く、誰を責めることもできない。だが、確かに、ボンボン的にはやりきれないだろう。一同の中にはなんともいえない哀愁が漂っていた。ただ、美奈子だけは、呪いで邪悪と言うより賞味期限的に邪悪なものを口に入れた事実を知り、いまさら若干の吐き気を催していたのだが。

 ボンボンが意思を持つことについて突っ込む野暮なものはここにはいなかった。なぜなら彼女たちは愛と正義のセーラー戦士だからである。

 レイがボンボンの箱にぺたりとお札を貼ると、ボンボンは重量感のある七色の煙をばふりと吹き出し、さらさらとお札ごと空気に溶けて行った。その光景はどこか幻想的であり、美奈子は心中複雑ながらも両手を合わせていた。今度生まれてくるときは奪い合われるくらい大人気のお菓子になるといいね、頭の片隅でそう思う。

「無事でよかった」

 クールビューティーを貫いていたレイは最後の最後で思い出したようにデレを発揮し、仲間の輪から顔を背けた。亜美は垂れていた頭をさらに深く垂れる。
 ともかく、美奈子がアルコール(と亜美の狼藉)によって死に瀕したと思っていたものは、実は呪いのせいだったことがようやく判明したわけである。そして、三人は、危機に陥っていた自分たちを助けに来てくれた、とも。

「そうだったの。じゃあ、うさぎにレイちゃんにまこちゃんは、あたしたちを助けに来てくれたってわけね。やっとわかったわ」
「そうだよ、美奈が倒れてるし亜美ちゃんは血出してるし、もうすんごいびっくりしたよ」
「まことが見るなとか見せるなとか言うから、入る前にお札飛ばしたのよ、でも、お札で出血が食い止められてよかったわ。うさぎにも見せずに済んだし・・・」
「えっ、そうだったの!?よくわかんないままレイちゃんに部屋の前で止められて、よくわかんないまま浄化しちゃったけど・・・亜美ちゃん、血出てたの!?痛くない!?」
「ええ、自分でやったことだし・・・うさぎちゃんが癒してくれたし・・・それに、まこちゃんとレイちゃんが来てくれたから、私も美奈も助かったわ」

 友人の危機に颯爽と駆けつける、あまりにも美しい友情であった。ただ、それでも素直にありがとうと言うには美奈子には疑問も腑に落ちない点も残りすぎていた。

「でも、みんな、なんであたしたちがやばいってわかったの?通信機で呼んだわけでもないのに」
「なに言ってるの。美奈が呼んだんでしょ」
「へっ」
「だれかたすけてってコール、聞こえてたわよ」
「はうっ・・・」

 レイはやはり表情を崩さないまましれっとすごいことを言う。確かに呼んだのは美奈子だった。亜美に抱きつかれてどうしたらよいのかわからなくて飛ばしたヘルプコールは、意外なことにきちんとレイに届いていたらしい。本来の意図とは違ったが、まさかの幸運である。
 だったらせめて返事をして。美奈子はそう思ったが、よく考えたらこちらに受信能力はない。携帯も通信機も手に取る余裕がなかったのだ。

「そうそう、レイが急に美奈の家に助けに行かなきゃって言い出して、あたしとうさぎが呼び出されて」
「ねー。びっくりしたよね」
「でも、ほんとよかったよ。呪われる前に助けに来られて」
「まさか呪いだったとはねえ」

 ねー、とうさぎとまことは不穏な単語をほのぼのと使い顔を見合わせていたが、実際には呪いのためでなくスケベ心と理性の狭間で苦悶した末のヘルプコールだったなんて言えやしない。そもそも、美奈子は呪われていることさえ気づかなかったのだ。げに、思春期のスケベ心というのは果てしない。

 だが、舌がもつれて息が詰まって、肋骨が砕けそうなほどの鼓動。まともに声を出すこともすぐそばにいる亜美の肩を抱くことさえままならなかった肉体。それが単に亜美への思慕だけでなく呪いのためだったとしたら。
 なら、同様に呪いのボンボンを口にしてからの亜美の行動はどういう意図を持ったものだったのだろう。美奈子は頭を垂れすぎてもはや床に沈んでいる亜美に声をかけた。

「・・・じゃあ亜美ちゃんがあたしにスケベしたのも呪いのせいだっていうの・・・?」
「そ、そんなことしてない!」

 亜美は沈んでいた上半身を信じられないスピードで跳ね起こすと、ほとんどラリアットのように美奈子の口を手で覆った。性的な意味での手は遅いくせにそういうことの手はやたらと早い。
 だが、それで黙ってられるほど美奈子もおとなしくはできなかった。亜美の手を振りほどくように外すと、本来の疑問を一気にまくしたてた。

「なんでよ!亜美ちゃんあたしに抱きついて押し倒して服の中に手を突っ込んでブラホック外してスカートのホックまで外してちゅーまでしたでしょ!どういうつもりだったのかは知らないけど!というかどういうつもりだったのよ!!」
「わあお」

 美奈子の言葉にまことが傍から軽く感嘆した言葉を出す。だが、それ以上の邪魔をするほど彼女は野暮ではない。美奈子も、いまさら周りにギャラリーがいるからと言う理由でひっこめない。

「納得のいく説明をしてもらおうじゃないの」

 美奈子は血に飢えた虎徹のように目をぎらつかせ、亜美ににじり寄る。亜美は顔を反らしながらも蚊の鳴くような声を出した。

「・・・ボンボンを食べたとき、口に入れたその瞬間はなんとも思わなかったのだけど・・・すぐに息が苦しくなって心臓が痛くなって・・・頭ははっきりしていたのだけど、これはおかしいって。美奈も同じものを食べたでしょう。だから」

 亜美の言葉をなぞるように、美奈子は起こったことを順に思い出す。ボンボンを食べて間もなく亜美の顔は染まり、からだが変だと言ってしなだれかかってきた。

「か、からだが変って・・・そういうことなの」

 美奈子はこれをアルコール摂取による変化で、行為に至る前の常套句だと思い込んだが、事実はそうではなかった。亜美は自分たちが揃って危険物を摂取したことに気づいていたのだ。

「聞いてもあなたはちゃんと返事もできないみたいだったから、ほんとうにまずいと思って・・・でも、会話ができないから、美奈がどういう状態になっているかわからなかったの。だからとにかく心音を聞いて・・・やっぱり危険だと思ったわ。胴体部分に触れて、発汗や呼吸状態も、おかしいと思って・・・」

 事実、亜美が甘えてきていると思い込んだことで動揺もあったが、この時点で美奈子はすでに舌も回っていなかった。
 胸元に顔を埋めてきたのは、心音を聞いていた、と亜美は言う。確かにそうやって亜美はしばらく胸の中にいた。そして服の中に手を入れられたりもした。美奈子は真実に腑に落ちていく感覚と同時に、興奮の記憶が理屈に塗り替えられていくやるせなさも感じていた。

「そうしたら、美奈が、いきなり筋肉けいれんなのか体が跳ねておかしな動き方をしたから、慌てて捕まえて・・・でも、あの時点で私もあまり動ける状態じゃなくて・・・美奈を体重で押さえるので精いっぱいで」

 そこであの胸キュンから浮上そして床ドンである。まさかのスケベ心でなく人命救助の観点からの床ドンである。もう美奈子はすっかり冷水を浴びせられたような気分だったが、ここまで来たら最後まで聞いてやろうという覚悟も湧いていた。ここでなにもかも知らなければ、自分も先に進めそうにない。

「横になっても心臓は苦しそうだったし、でも呼吸がこの時点で止まっていたし・・・とにかく楽にしてあげないとと思って、下着を外させてもらったの。言葉をかけないのは申し訳なかったけど、私ももう余裕がなくて・・・」

 たしかに、横になって胸に手を当てられた。美奈子はこの時点で亜美が本気だと思った。焦らすようなゆっくりさでブラジャーのホックを外された。

「じゃあ、ちゅーしたのって・・・ていうかちゅーだと思ってたあれって・・・」
「とにかく息を吹き込まなきゃと・・・思って」
「吹き込まれてなかったけど」
「・・・私の息も止まったのよ」

 顎クイからのキスはありふれたマウストゥマウスであったわけだが、息が止まったからただのくちづけになってしまったという顛末がなんともすさまじい。あのとき亜美は人命救助者という立場に立ちながら、己も相当な危機に瀕していたのだ。

「自分も限界が近いことはわかってたから、あなたに息を入れながら助けを呼ばなきゃと思ったから、あなたのポケットから携帯を失敬して・・・」

 そういやスカートのホック周辺も触られてたな、美奈子はもう半ば投げ槍に反芻した。あれはスカートを脱がせたいのだと思っていたが、なんのことはない、命と電波をつなぐための行動だっただけである。

「でももうあなたに息を吹き込むこともできなくて・・・携帯を取ったはいいけど声が出ないから電話もできないし、メールなどを打つ余裕もなくてとにかく苦しくて・・・」
「・・・で、変身ペン?」
「気管を切開したら息を通すことはできるわ。変身ペンならこういう使い方をしても私を悪いようにはしないと思った」

 それであの衝撃の展開である。達成感みたいな顔はそのせいか、と美奈子は納得した。自分を傷つけてそれを他人に見せることで興奮する性癖というわけではなかったようだ。

「それで気管を開いて、携帯でメールかなにかで助けを呼ぼうとしたら・・・まこちゃんが飛び込んできてくれたから」
「そんなことになってたのか・・・というかそんなに危険な状態だったのか・・・」

 ふたりの話を最後まで聞いていたまことがおののいたようにつぶやく。だが、わけもわからず窓を蹴破り飛び込んだであろう彼女は、亜美にとってはまさしく救世主であったのだ。理屈云々の前に、助かるのがわかったらそりゃ吐血しながらでも笑うよな、美奈子はもう他人事のように思った。

 一同の間に重い沈黙が降りてくる。

「・・・私が至らなかったんだわ。不勉強だったから未然に防げなかったし・・・自分はともかくあなたの喉を切る判断がとっさにできなくて・・・ほんとうなら自分より美奈の息を通すことを優先しなければいけなかったのに」
「いや、ものはあたしが出したんだし・・・亜美ちゃんは息吹き込もうとしてくれてたじゃない」
「結果としてできなかった・・・私のほうが水泳をやっているから肺活量に余裕があってしかるべきはずなのに・・・」

 こうなるに至った一連の流れと亜美の行動の真意を聞いて、最終的に気にしてるのはそこか、そう思ったのは美奈子だけではなかったのだが、誰も声には出せなかった。謎の負けず嫌いを発揮して亜美は自分の言葉に落ち込んだようにまた床に沈んでいく。亜美としては危機を脱してめでたいめでたし、ハッピーエンドというわけではないのだ。

「・・・美奈が怒るのはもっともだわ。助けを呼んでくれたのは美奈の方だし、私はじたばたするだけでなにもできなくて・・・美奈に、不愉快な思いだけさせたのは、申し訳ないと思ってる・・・ほんとうにごめんなさい」

 血祭りにあげられる覚悟さえしていた。それくらいなんでもないと思えた。まじめすぎて変人なところが好きだった。でも、これは、いくらなんでも。

 もちろん、美奈子としても、一連の流れの意図が分かったところでハッピーエンドとはならない。命を奪いそうな激しい心臓の鼓動は収まっても、乙女心は収まらない。亜美の懺悔のようなつぶやきに美奈子は震えた。触れられてる快感で震えたときとは違う、もっと歓迎できない感情でだ。
 美奈子はぎゅっと拳を握る。

「みんな。来てくれてありがとう。助かったわ。でも、あたしちょっと亜美ちゃんと話さなきゃいけないことがあるから」
「・・・そうみたいね」
「・・・だな」
「・・・うん」

 3人は素直にうなずいた。事が起こった現場にはいなかったものの、今の美奈子と亜美のやり取りを聞き、うさぎもレイもまことも思うことがあるのだろう。美奈子のことがわからないのはいつだって亜美だけだ。
 落ち込んでもう床にめり込んでしまいそうな亜美を見やって、3人は立ち上がった。そして、美奈子にそれぞれ目配せをすると、律儀にも来た時同様窓から颯爽と出て行った。まこととレイはスカートで軽く塀を飛び越え、うさぎだけは引っかかっていたがまこととレイが外から引っ張り、あくまで美奈子をその場から動かすことなくきちんと見送らせるという憎いことをする。

 救出に飛び込んで、必要なことをこなして玄関以外から去る姿はまさしく正義の味方だった。美奈子は目頭を熱くしながら友情と愛情をこめて仲間の去った壁を見つめる。みんな今度うちに来たときはちょっと高級で出所がはっきりして賞味期限切れじゃないお菓子をを用意するわという心の声は、レイからみんなに伝わることだろう。

 そして、大きな大きなため息をついて、もうほとんど床と同化してしまっている亜美に向き合った。
 愛の女神の私室の床になりたい者なんて宇宙中それこそ星の数ほどいる、数で言えば圧倒的マジョリティに属するはずのありふれた嗜好だし、普段の美奈子は愛する人の嗜好は受け入れたいと思っているが、さすがにこの流れでそこまで寛大にはなれなかった。心も股間もオープンしていないうちにそんな性癖をオープンされても困るのだ。

 情けない背中を見ながらあれそれ考えて、美奈子はもう一度ため息をついた。食べてほしいのに食べてもらえなくて呪いの物質と化したものと向き合った直後だと、その対比にますます頭が痛くなる。美奈子が亜美のことがわからないように、美奈子のことをやっぱりわかっていないのは亜美だけだ。
 だが、わからないなりに信じてほしいのに、美奈子が不愉快な思いを抱いたと亜美に思われてることがなにより不愉快だ。このまま襲ってやろうかとも思ったが、そこまで人でなしになることもできない。恨まれたり憎まれたり祟られたり血祭りにあげられたりするまでは立ち向かう覚悟があっても、こちらから傷つけたり悲しませたりすることは本意ではない。

 その辺、美奈子と亜美は、相手を大切にしたいと思っている点で考えてることはいっしょだ。ただ、方向性が違うからすれ違うし、お互いに傷つく。だったら必要なのは歩み寄る努力だ。
 どうせ今言葉をかけたところでまともに起き上がるまい。いろいろ思って、美奈子は、とりあえず制服越しに亜美のブラのホックを外した。するともう床同然だった亜美は先ほどラリアットをかましたのと同じくらいのスピードで跳ね起きた。

「な、な、な、なにを・・・!」

 落ち込むなら落ち込み続ければいいものを、ガードの堅さと性的なこと以外での行動の素早さが仇だ。そもそもこの程度で騒ぐのが却ってスケベなのだ。ようやくふたりきりで呪いでも緊急事態でもなんでもない自分たちの意志で向き合って、美奈子の唇が皮肉にめくれ上がった。

「いや、あたしがブラホック外されたから、あたしも亜美ちゃんの外していいかしらーと思って」
「そ、それは緊急事態だと思ったから・・・!」

 いかなムーンヒーリングエスカレーションとて、外れたブラホックまではもとに戻してくれない。美奈子は未だ頼りない己の背中の感覚に、亜美も今こんなおぼつかない感覚を味わっているのかと思いを馳せる。とりあえず亜美に歩み寄ってみて、美奈子は更ににやりと笑った。

「じゃあ、今も緊急事態ね」
「ま、まだなにか具合が悪いの・・・?え、あれ、みんなは・・・」

 みんなが去るのに気づいてないほど落ち込んだんかい、そんな言葉は口に出せばまた面倒なことになってしまいそうなので美奈子は黙った。こういうのも付き合っていっしょにしてきた学習の成果だというのなら、やはり、美奈子は、亜美と勉強するのは嫌いではない。

「ヒーロータイムは終わりよ。これからは乙女の時間」
「・・・・・・・・・?」
「あたしの具合が悪いというよりは、亜美ちゃんに緊急で手直しが必要だと思うのよ・・・ああ、直すってブラホックじゃなくてね。だめよ、外しっぱなしにしといて」
「で、でも、落ち着かない」
「なら、ブラを完全に外す?」
「つ、つけさせて」
「だめ」
 
 美奈子は見せつけるように舌舐めずりをした。そして、静かにすり寄って亜美の腕を拘束するように抱きつき、心音を聞く。さすがの亜美でも抵抗は返ってこない。亜美の肋骨を軋ませるような激しい鼓動を頭蓋骨に感じて、ほんの少し溜飲が下がる。

「・・・あみちゃん、すっごいどきどきしてる」
「だ、だって」
「・・・いや?」
「い、いやじゃない、けど・・・美奈、怒ってたんじゃ」
「そりゃ怒ってるわよ?だからするの」

 亜美の行動が本気で命を救いたいだけだったのなら、亜美がそこまで落ち込む必要はないはずだから。下心に近い感情が元々あったから、たかが下着を外して唇を重ねるくらいで、過剰なまでに美奈子が嫌な思いをしたのではないかと疑心暗鬼に陥る。好きな人の家で一緒に勉強なんて、実は9割が口実だから。実際にナニをするかはともかく、それは、呼ばれて来る方だって変わりはしない。
 美奈子は有無を言わせず亜美の服の中に腕を入れた。胴に指を這わせるように触れると、亜美の体がわかりやすく跳ねて、だから、その体を押さえつけるように体重をかけた。先ほどと逆の展開、そして床に亜美の背中を押し付ける感触、漫画やドラマで百万回繰り返されたシチュエーション。

 それはまごうことなき床ドンであった。

 されるのはいやじゃないけど、やっぱりこっちの方がどこかしっくり来る気がする。美奈子はひとりうなずく。

 腕の下で亜美は顔を真っ赤に、陸に上げられた魚のようにぱくぱくと必死で息をしている。その顔が苦しそうだから、楽にしてあげたい。邪魔な服を取り払って、体をほどいて、酸素を送り込んであげたい。頑なすぎる理性と真面目すぎる性格を一度くたくたにしてあげたい。なにがあっても好きだよって、我慢しなくていいよって、教えてあげたい。

 どきどきしてるのはあなただけじゃないって、肌をつなぎ合わせて、頭でなく心とからだで知ってほしい。

「・・・わ、わたしが、美奈に、悪いこと、した、から・・・おなじ、こと、するの・・・?」

 亜美に拒絶の言葉はない。むしろこんな状況において恐れているのは美奈子の拒絶と言う顔をするから、まるごと包んで抱きしめてあげたくなる。

「いや、うれしいことしてくれたから。だからお返しするの」
「で、も」
「一方的に勝手なことしてって、そう思って落ち込んでるんでしょ?だから教えてあげる、いやなことじゃないって、あたしはうれしいって、気持ちいいって、亜美ちゃんが忘れられないようにするの」

 体の下の熱に美奈子はにやりと笑った。苦しそうにわななく唇は確かに酸素を送り込んでやりたくなる。先ほどの亜美はこの展開のあとどうしていただろうか、スカートのホックは外してしまうか。いろいろ考えて、やっぱりこれだと思って顔を持ち上げるように顎を持ち上げ、くちびるを落とす。

 美奈子はボンボンがなくてもくらくらして心臓が痛くて息が苦しくて、それでも満たされていた。過程がどうあれ、百万回繰り返されたシチュエーションとその顛末、それは、だいたいがハッピーエンドだ。









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 内容より概要に困る話でした。
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