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キッチンにて

たった一人の妹が遺していったオカメインコとエッセンシャルオイルと一緒に生活中です。

入院から今日まで

2012-05-11 12:43:19 | 日記

嵐のように日々が通り過ぎたような気がします。

先日、妹の本葬を終えました。

今、実家で両親と三人、それぞれ、嵐の後の静けさを、なんとなく過ごしてます。

さきほど、酸素屋さんに来ていただきて、在宅酸素の大きな機械と移動用のボンベを引き取ってもらいました。

妹の部屋においてあった、同窓会のお知らせの封書をみつけ、亡くなったことを伝えました。

昨日は、彼女の入院生活での洗濯物をすべてきれいに洗濯しました。

 

順を追って振り返ってみたいです。彼女との最後の日々を。

4月23日 4回目の放射線治療に病院へ向かいました。いつもなら、放射線をあてるだけですが、その3日目の土曜日に頭痛が半端でないと、在宅ケアの先生に連絡し、隋圧を下げる点滴をしてもらいました。

その連絡がいっていたのか、計10回の放射線治療の4回目が始まる前に、放射線科の担当医から診察を先にしたいといわれ、しんどい様子が見られるので、少し放射線量を強くして、あと3回で終わらせてみればどうかといわれました。

実際、自分で2歩も歩けない状態で酸素ボンベ持って、タクシーで病院へ行き、病院の入り口で私が車椅子で向かえ、放射線治療は身体を横たえる、そうすると肺に負担がかかり、咳きが悪化するので、病院についてからオプソを飲んで咳きをあらかじめ抑えておいて、血中濃度が高まったと思われる15分~20分後に放射線、治療室からは彼女の苦しそうな席が何回か聞こえてきました。

これを10回も繰り返すのはとても大変、と思っていたところに、先生からの申し出でした。そしてそのまま緩和ケアの診察もうけ、担当医から「点滴投与によるモルヒネの微調整のための入院」を勧められました。

そしてその日も放射線がきついので、点滴を受けて帰るように薦められました。

しかし、妹はきゅうな展開に少々戸惑い気味なので、「明日から点滴受けて帰ります」と、私が言いました。それには納得したようです。

火曜日、放射線と点滴、そして入院への準備の話、

水曜日、最後の放射線と点滴、1時間かかります。途中でおやつのサンドイッチを食べていましたが、終わるころに点滴室をのぞくと寝ていました。薬でぼーぅとなっているのか、点滴抜く看護しさんがいるのに、普通の彼女なら、さっさと、せっせと、動くのに、半分寝ているようにされるがままです。

この日は次の日から入院なので、家に帰って準備をしながら、7時半をまわったくらいに在宅ケアのドクターが診察に来られました。

夕食を8時回ってから用意するも、彼女が食事する体制になってくれたのは9時半まわっていました。

ひととおり、準備をすませて、休む体制に入ります。

肺が痛い彼女はもう半年ちかく、身体を起こしたままの姿勢でした休めません。

入院の26日、母が付き添いました。私は午前勤務終了して、そのまま病院へ向かいました。

酸素のホースと、24時間の皮下注の管につながれた妹がいました。

しかし、ここにいる限り、いつ、何があっても対応してもらえます。それだけが安心でした。

この状態で家に一人でおいておくのはあまりにも危険でした。ころんで怪我をしても、突然、異様な痛さに襲われたとしても、家庭内では打つ手がない、緊急の場合にどう動いたらいいのか。

家に帰れば、妹が使っていたはずの酸素の低く潜ったようなモーター音はやみ、たった今までそこにいたかのような妹の部屋がそのままでした。しばらく出張にいったような感じです。

いままでの緊張感が妙に残り、一人でいても、いつ二人の介護生活が戻ってきてもいいように、なんとなく落ち着きません。

次の金曜日は妹が入院したことについて、買わなければならないものを買い物しまくりです。

一人でうろうろすることが少なかったここ5週間ほど、こんな時間も久しぶりです。

入院先はペットとの面会ができるので、オカメインコの移動用の小さなゲージ、風呂敷、その他。

土曜は仕事でいけず、日曜にお見舞いにいきました。連休が始まります。

5月に入り、少し、頭痛がましになったようでした。この調子でふらつきがましになって、モルヒネの量も落ち着けば、いったん家に帰る方向で、お薬を内服にするか、点滴にするか、座薬を使うか、検討していきましょう、と医師が話したのが火曜日でした。

5月の3日、ひさしぶりに時間が空いた私は相方を誘って、少し脳みそを別次元で休めたく、映画「テトロ」に誘いました。そして4時半に二人で早めの夕食、洋食屋でトンカツ定食を二人で食べました。久しぶりにこんな定食みたいな食事をしました。一人だけで用事に追われていると、買ったお惣菜を適当に食べていた毎日が続いたからです。

連休の初めは映画、次の日は友達の家で新築祝いのパーティがあったので、食事を作って、オカメインコをつれて遊びにでかけました。気を使わない後輩たちと楽しいひと時を過ごしました。

その次の日は仕事、リハーサルに午前、午後、と仕事をし、そのまま相方の家で食事を作って先に帰りました。

そして4日目、聖歌隊の仕事を終えて、病院にいきました。先に父親にインコを病室に連れていってもらい、後から私が行きました。本当は仕事の後、用事をすませてから病院に行く予定で4時くらいのつもりでしたが、なんとなく早く行ってしまおうと、用事はやめにして2時くらいでした。そしてなんのかんのとインコをケージから出して遊んでいたりして、4時間ほど、側にいました。

妹はキナコのために病室のBGMの音量をあげていました。

この日のお見舞いで、予定の4時を繰り上げて2時に着いたので、妹は

「お姉ちゃん、今日、仕事ひとつ減ったの?予定より早いから」と気遣ってくれてました。

「いや、用事すませてからと思ったけど、直接来たの」

まだ、この時点では時々だいぶ息苦しそうにはしますが、一人でいても大丈夫だとは思っていました。

これが日曜のことです。だいぶ肺機能がしんどそうだとは思ってはいましたが、まだ、大丈夫だろうと。

 

ところが月曜の7日に病院から家族の呼び出し、先生との面談が伝えられ、私はどうしたらいいのかわからないまま、その晩は「私の気がすむから」と、病院の家族部屋の和室で寝ることにしました。自分の寝泊りの用意を整え、7時にまた病院へ着き、母と交代で、母は家に帰りました。

このとき、母の友人で妹が母より頼りにしている「宝谷のおばちゃん」が一緒でした。お気に入りのおばちゃんに側でいてもらえて、しんどいけど、機嫌のいい妹は「三人(両親と私)がそろっているなんて、医者はいったい何を話したんだ?」といぶしがっていました。

その晩は側にいて、彼女はテレビに興味はまったくありませんが、私が見たいのを知っているでつけてくれました。先日から、息苦しい発作は頻繁になり、時々、陸にあがった鯉のように口をパクパクあけながら、動かない肺に必死に空気を入れようと、酸素を必死で吸う発作が頻繁にでてくるようになりました。その度にナースコールを押し、モルヒネの量を早送りしてもらうのです。

その晩は、シャワーをあきらめ、全身を清拭用タオルで拭いて、着替えてお休みモードにかわるようでした。10時くらいに新しい着替えをそろえて出しました。下着、フリースのレッグウォーマー、キャミソール、新しいパジャマ、それらをそろえてから、丸いすに移動してもらい、着ているものを脱いでもらいます。まずは首すじから拭いていきます、

背中、腕、脇の下、胸、おなか、 そして両足、私にしてもらうのは気持ちいいといっていました。ようやっとこんなことをさせてくれるようになったものだと、思いました。彼女は自分のことはきちんと自分でやってしまわないときのすまない性質でしたから、やっと世話をさせてくれた感じで、感謝したいくらいの気持ちになりました。

足の指の間も拭きました。でん部とそのあたりは自分でやっていました。下着をはかせ、レッグウォーマーもはかせ、キャミをかぶせると、すべて剃った頭にすこし引っかかってしまいました、その窮屈さが嫌なのか、自分でガッと引っ張っていました。頭部の拘束感が異様に怖い様子です。パジャマを着て、お湯をポットにいれて、夜の身支度を整えだしましたが、その様子に少し驚きました。

ライト、カフェインレスコーヒー、マグ、書き物、時計、と、夜の時間帯様にテーブルの上のセット直しをしているのです。

その様子が落ち着いたので、同じフロアで休んでいるからね、と

扉を閉め際に「おやすみ、うちゅ!」として部屋をでました。

この「うちゅ!」は、二人で飼っているオカメインコにチューをするときに、妹をいつも「うちゅ!」といってインコにキスをしていたのを、インコも覚えたのです。

軽い、大好きうちゅ!って感じの音です。これが彼女は意識の遠のく最中に私に伝えた言葉でもありました。

次の朝、起きて様子を見に部屋へ入ると、どうやら夜中に3回起きて、薬を送ってもらったようすです。まだ寝ています、私が入ってきたのも気がつきません。私は看護士に夕べの様子を聞いたところ、5時半はナースコールを押したようで、また一人で発作がでたのだと、少々心配になってきました。そのまま勤務先へ向かいました。

勤務先から家へ戻り、インコを連れていく用意をしていると、母からの電話で「昏睡状態に入って今夜がやま」との知らせがあり、父親の勤務先へ電話をして、私に電話をしてもうよう頼みました。父と二人で病院についたのが4時。

妹はテーブルにうつぶしたまま、寝ているような状態で呼吸はとてもあらいものでした。

宝谷のおばちゃんと母が妹の身体をさすりながら、必死に声をかけています。その度に眉間にしわを寄せたり、うなずくようなしぐさを見せます。私は妹の腕をさすりながら、あまりの急さに、涙と嗚咽を止めることが出来ませんでした。

宝谷さんが帰ってしばらくしたら、妹はがばっと起きだし、必死に何かを言おうとしています、身体を思うように動かず、声もかすれて出ません。それでも、水が欲しいのだとわかり、吸い口に水を入れました。ふるえがとまらない腕と手で吸い口を必死に持とうとします。酸素が足りないので口呼吸をするから喉が渇ききっているのです、しかし、嚥下の反射神経もやられているので、飲み込むことができません、必死に顔を前にして反動で飲み込もうとしています。あまり飲みにくい様子なので、母が吸い口にたくさん水を入れたら、口にしたとたん、水が思ったより早く入ってきたので、「多いっ!!!!」と文句を言われました。

様子をみていた看護士さんは「氷をなめてみませんか」と言うのを聞いてたのか、私が「冷たいものは飲めないのです」というと、「氷にお茶」を飲みたいと伝えるではありませんか、少し味があって冷たいという刺激がいいのか、飲めそうな感じです。そしてなにか必死にいいます、わからない

「くぅーーー」

あ、quuのゼリー飲料を私が持ってきたのです。それのことでした、渡すと全部を3,4回に分けて飲んでしまいました。最後の一滴まで両手を絞りあげて飲みました。これにはびっくりです。

このゼリー飲料なら栄養もある程度補給できるし、味もついているのでよいかも、と近くのコンビニまで父に買いに言ってもらいました。もう私はひと時も彼女から目が離せません。

父親がコンビニの場所もゼリー飲料って何かもわからないままおつかいに行って、帰ってきたら、エネルギーチャージをふたつ、買ってきてくれました。銀色のとゴールドに赤の文字の2種類、目の前に並べて、

「飲む?」と聞くと、

か細い声で何か言ってます、耳を澄ますと

「何味?」

残念ながら味付けはどこをみても書いてありません。とりあえずシルバーの方をそれでも飲みきりました。

まだ飲みたそうなので、もう一方のゴールドの方を開けて口に含ますと、

「まずいっ!」と叫びます。

まだ飲めそうなので、また母に買いに行ってもらうように頼みました。

私「何味でもいいから全部買ってきて」

母「りんごとばななとグレープフルーツがあったような」

妹「バナナ、バナナがなかったらいらない」

いや、この際なんでも飲んでほしいのですが。結局バナナ味を半分くらい飲みました。

こんな状態で夕飯なんて無理です。ですが、妹は夕食後の内服を飲むと言い出しました。

同席の看護士2名も点滴の準備をすすめにきたのですから、びっくりです。

お茶を吸い口でまともに嚥下できないのに、彼女は数回にわけて内服7錠を全部飲み込みました。

また11時くらいに意識がもどり、安定剤を自分で指定してまた飲み込みました。

もう見ていられないくらいに苦しそうに息をします。横隔膜と胸部全体を使って、脈は常に150くらい。

またうっすら意識がもどり、水分やら態勢やら、ベットの高さまで言います。

ここ半年は胸が痛いので、体を起したままの姿勢で寝ることが続いていた彼女は、はやり体を倒すことなぞできません。態勢が維持できなくなり、私の胸に頭をもたれかけさせました。

やっと、妹は体を任せてくれました、こんなになってやっと甘えてくれたのです。

意識が混沌としはじめたのは3時くらいの巡回でしょうか、酸素は80を切り始めました。頭髪のない頭にびっしり汗をかいています。それを最近買ったばかりのやわらかタオルハンカチで何度も拭きました。それでも彼女は頭の位置を動かします。こっち側をふいてくれ、あっち側をふいてくれ、ということなのだと思います。

両親はかわるがわる仮眠をとってはいましたが、私はもう側を離れることはできません、いつ、意識がもどってもいいように、ずっと手をにぎって頭の汗を拭きました。

でも、静かな病室で、ふと眠気に襲われそうになります。

自然と「主の祈り」がでてきました。この苦しむ魂を平安のうちに御身の元へお導きください。

妹の魂を御手にゆだねます、どうぞお導きください。

そう思いながら主の祈りを唱えていたら、不思議と気持ちが保たれました。そして一生懸命祈ることで眠気もなくなっていきました。

暗闇からだんだん朝の光が届いてきます。

夜が明ける、きっともうすぐお迎えがくるのだ、そう感じながら、ずっと冷たくなる妹の手が離せません。肩をさすりながら、ずっと呼びかけました。

朝がきました。

妹の手足にはチアノーゼが見られます、もう酸素が体にまわりきっていません。

それでも激しく呼吸をします。

何かいいたげに

「み、、、」と聞こえました。

もう、そんなに苦しまなくていい、もう十分すぎるほどしんどい目をしてきた、もう十分。。。

明け方、5時55分、呼吸が途切れがちになり、二度、なくなり、また二度、しばらくして、一度、呼吸は止まりました。

母と目で合図をしてナースコールを押したとたんに、

ものすごい雷の音がしました。

看護師がきて、医者を呼びだし、医者がくるまで数分、手を握ったまま、肩をさすったまま、離すことができません。

医者が来るまで20分ちかくかかりました。医者の診断をうけ、死亡が判定され、私は座り込む以外になにもできませんでした。

 

私が側にいたのは多分14時間~16時間でしょうか。

昏睡状態のはずが、3度、4度、意識をはっきり取り戻し、自分のしてほしいことを必死で伝えました。

最後は発作ではなく、呼吸数が減るように、その生命を、身体維持をキープすることができなくなりました。

あまりにもむごいような苦しみで、その日は安堵感すらありました。

みほちゃん、長いことしんどかったね、もう苦しくないよね。

 

私の自慢の妹、

看護師さんたちの手で、入学式のスーツに着替えさせてもらい、うす化粧をし、指にマニキュアを塗ってもらい、

だんだんと彼女の顔はやわらかい落ち着いた表情になってきました。

宝谷のおばちゃんは「みほちゃん、いい顔になってきたわ」とずっと話しかけてくれています。

体を数カ月ぶりに横たえ、やっと穏やかな表情の妹を、私も久しぶりに見ました。

きれいです、肌も白く、くちびるもぷっくりとして、とても可愛い。

やっと、穏やかな彼女になったと思ったら、もう生命は終わりだなんて、。

足をなでながら、彼女の足元に顔をうずめて

「悔しい、悔しい、くやしいわぁ」と叫んでしまいました。

 

この記事を書くのは非常にしんどい作業でしたが、忘れてしまうのが怖くて書きました。

いまだ、喪失感が実感できずにいます。

まだ、この部屋で彼女と一緒にいるような気がします。

 


入院決定

2012-04-25 08:11:33 | 日記
妹のホスピス病院への入院が決まりました。
食事や水を飲み込む反回神経に異常があるらしく、内服薬を飲めなくなってしまう前に点滴でモルヒネ系の微調整のために入院が必要だそうです。

放射線のせいなのか、ステロイドのせいなのか、脳腫瘍のせいなのかは解りませんが、妹の顔はうっとおしいでしょう、と思わんばかりにむくんでいます。
夕べはお風呂に浸かって汗をかいて、なんとか萎縮した体を循環させようとしていました。
オカメインコと一緒に入るのですが、風呂場はよく音が響くので、鳥さんのカラオケルームになっています。大きな声でえんえんと、、、。
湯上がり、一人と一羽、できあがり。
オカメインコは湿気で手入れしやすくなった体を全身毛繕いの後、お腹がすきまくった高校生のように、餌をがっついてました。
ラーメンおかわりって感じで、おかわりも入れてさしあげました。
ってな姉妹二人の生活も後1日、しばらく私はひとりぽっち。

なんなんだかなぁ。

最近の介護生活

2012-04-23 08:07:01 | 日記
在宅酸素で家の中ではずっとホースに繋がれている妹。
どこに行ったかはホースの方向を見たら分かります。
先週末は随圧を下げる点滴を受け、それでもヘロヘロで、一人でトイレに行けるのか、というぐらい頭痛もひどいらしく、様子がおかしかった。
私の手に負えなかったらもう入院しかありません。
しかし、ステロイドが効く約2ヶ月間はなんとか面倒が見れたらいいなと思います。
が、相手は脳腫瘍、いつ、体調が激変するのか、わからないのが怖い。
先週も私が留守にしている三時間半に体をふくのがやっとらしかった。

昨日は一応普通には(量は少なめだけど)食べてはいましたが、味覚がおかしくなっていりかも、と。
粉チーズの濃さが感じられないみたい。
そうなってくると、また、難しい。

また、今日から放射線治療通院、がんばろうね、そして早く脳にいる悪さするヤツらをやっつけちゃえ!

やっぱり脳転移

2012-04-17 17:12:45 | 日記
妹、二週間ほど前に骨転移の放射線治療すませたばかりでしたが。。。
尋常ではないヨロメキ歩行三日目の今日、頭部MRIで約七カ所の転移、一つは五センチくらいの水がありました。
なんでまた明日から放射線10日間、通院が始まり始まり~。
今日の診察は車椅子に本人は五キロの酸素ボンベ抱えてました。
放射線あてたら、またハゲるらしい。
。。

今日もまた妹の為の晩御飯、今夜はイタリアンにします。

新しいグリルで焼いたら

2012-04-12 07:59:03 | 日記
新しいグリルは受け皿に水は入れないそうです。
恐る恐る、焼いてみたら、きれいな皮の焦げ目とパリ感が!
嬉しくって、相方に見てもらいました。
その様子にまんざらでもないけど、口の悪い相方は、
「しばらく焼き魚ばっかり食わされそうやな」

そんなことはないよ。
全部外してしっかり油汚れとらないと、すぐよごれそう。
新しいとやっぱりお手入れに力入ります。

うふっ。