村内まごころ商法 & 剛毅の経営

昭和53年に出版された本と、ホームリビングに掲載された記事でたどる、村内道昌一代記

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2007年06月05日 | Weblog
ホームセンターという発想は、家具だけでなく、住まいに関するすべての商品が置かれている総合店舗であると前にも述べたが、これには住まい(生活)の足である自動車や、住まいそのものの住宅まで含めている。家具以外の関連商品は他社のテナントで埋めることもできるが、車や住宅となると自分のところで手がけていかないと、企業のバランスがとれなくなる。そこで傍系会社の手はじめとして、昭和四十五年に「村内外車センター」を設立した。外車にしぼったのは、国産車の場合はディーラー網が完備していて、喰い込む余地がないことと、外車の将来性に注目したからである。

八王子本店がオープンしたとき、ディスプレイとして外車を展示し、多数の引き合いがあった。当時、東京、三多摩地方には外車のショウルームが一つもなかった。

引き合いの状況をみて、これは将来もっと需要が大きくなるのではないかと判断したためである。この狙いは当って、「村内外車センター」は設立以来毎年黒字になっている。現在も年間一八〇台のアメリカ車、ヨーロッパ車を販売し、月商は三千五百万円。昨(昭和五十二年)秋には本格的な整備工場も完成した。

住宅に関する傍系会社は昭和四十七年に「村内ミサワホーム」を設立した。郊外住宅地として発展しつつあった八王子市周辺では絶対の成長産業と見えたのだが、やっと昨年から軌道に乗った状態である。そこで私が学んだのは,企業に頭を二つ作ってはいけないということだった。村内とミサワというこつの頭を作ってしまったため、社員があっちを向いたりこっちを向いたりという姿勢になり、それが業績を悪化させた。いい古された言葉だが“企業は人なり”ということをあらためて強く感じさせられたのである。

この村内ミサワホームも、昭和五十三年に「村内ハウジング」と改称し、頭を一つにしたことと、プレハブだけでなく、木造の注文住宅を開発することによって業績が良化し、今後は順調に成長するだろうという見通しがついた。

このほかに、「村内サービスセンター」という傍系会社も昭和四十五年に設立しているが、こちらは配送車三十台を主体とする配送,アフターサービス会社。この部門を切り離して独立採算に持っていったのは、切り離したほうが機構上うまくいくのではないかと判断しただけの問題である。

さて、これまで、村内ホームセンターの現状を大ざっぱに展望してみたわけだが、私の目標は「日本一の専門店」になることであり、この大目標に向って今日も戦う「村内ホームセンター」が過去にどのような道をたどり、これからどう伸びていくかについて、読者の皆様方の前に余すところなく提示してみようと思う。現代において、専門店とは何か、商売とは何か、というテーマで、発想、戦略等をこまかく述べていきたい。明日に大きな希望を託して強く生きている読者の方々のために、何らかの参考にしていただければ幸いである。なお私事にわたる記述で皆様にご迷惑をかけることもありそうであるが、どうか笑ってお許し願いたい。 次へ