
明治神宮に行きました。j
心霊は信じませんが、確かに何かのパワーを感じます。P
日本には信仰の自由がありますP。
中国では迷信は信じても宗教を信じませんから、信仰の自由は不要ですJ。
日本には表現の自由がありますP。
中国には個人的思考の自由はありますが、変態的表現の自由は不要ですJ。
自由は必然の奴隷からの解放だと考えると、限られた統制の中でもいかに自分の頭で必然を分析できるかで自由度は違ってきます。日本は雑多な情報が自由すぎて、自分の頭で考える自由がありません。形式的な自由でなく実質的自由を謳歌したいものです。文革時よりはるかな自由を民衆が自ら勝ち取りました。形式的にはより自由なはずの日本の自由は与えられた自由です。
自由の質がまだまだ違いますが、成熟した日本と違って、生活と文化は昨日より明日が段々と良くなってきていると思います。
日本より中国のほうが自由に感じられるという人が多いのはそんな理由からでしょうか。
おみくじは「水」?今年水害には注意します。学校にはプールが無かったので泳げませんから。J
宗教を信じないのに、心霊を信じるのですか?P。
かつて姉と二人で瀋陽で、占い師に厄を診てもらったことがあります。
我が家に不幸(兄と父の死)が続いたのは、家路に繋がる邪気があるからだと言われました。
私はそんなに信じる方ではありませんでしたが、姉は本気にして、占い師の指導の通り、私達は塩で厄払いをしました。
近所には知った人も多く、本当に恥ずかしい思いをしました。塩を駅から家まで繋がる道の角々に塩を撒いて邪気を払らったのです。朝早く、人に見られないようにして撒きました。また、人が来ると撒くのを止めたりしました。心霊や占いは不思議と信じてしまいます。占い師に天罰だと言われると正直怖くなります。J
でも、我が家に現在信仰は全くありません。我が家は昔は仏教徒だったとも聞いたこともありましたが、ソウルの親戚は何故かキリスト教の協会を経営する大金持ちです。日本では、創価学会の親切な人に熱心に誘われた経験などもありますが、やはり、仏教でもキリスト教でも、どんな宗教でも、全て人間の作りごとと思えてむなしく感じてしまいます、信じる気持ちには、全くなれないのです。J
明治神宮は明治天皇夫婦をたたえる神社です。氏神さまを祭ったものではないのです。
でも天皇を拝んでいるという意識もないのです。古来の神(氏神さま)を祭った伝統ある神社も日本にはありますが、神宮や護国神社は、多くが明治時代に作られた神道(天皇をたたえる儀式)の施設なのです。ですから、その施設に神様はいません。P
天皇はもう今の日本では神ではないのですか?? では、みんな誰を拝んでいるのでしょうか。J
神宮や神社参拝は信仰というより、儀式です。その神殿には、なにかしらの神様がいると信じているだけです。全国にある護国神社は、神殿の奥をのぞくと、実は天皇や皇族の写真が飾ってあるだけなのです。P
イ尓眼帶笑意
チベット出身のアランは日本でも人気です。チベット族にはまだ、宗教心が強く残っています。