
ケリー外相を含む主要7カ国(G7)外相会談(広島)
現職のアメリカ大統領として初めて、アメリカが実施した原爆のホロコーストの地をオバマ大統領が訪問する運びになったことは、日本にとっても、被爆地にとっても大きな希望の前進であると日本では概ね評価されています。これまで、国連の常任理事国でもあり、第二次世界大戦の戦勝国で核保有大国でもある5大国(米露英仏中)の元首で、被爆地を訪問したのは旧ソ連のゴルバチョフ大統領だけでした。アメリカの大統領経験者では、1984年5月にジミー・カーターが、大統領になる前の若きニクソンが1964年に広島を訪れています。
(若き頃のカーターは、原子力潜水艦の開発推進プログラムにも携わり、カナダの試験原子炉事故で海軍の技術者として事故処理にあたっての被曝経験もあり、大統領選に出る前から核の廃絶論者でした。1994年北朝鮮が核開発疑惑によりアメリカのブッシュ政権と一触即発の戦争危機に陥った際、急遽訪朝して、北朝鮮の核開発凍結と査察受け入れで合意して、朝鮮半島での戦争回避に動きました。)
(1991年4月に電撃的に被爆地長崎を訪れたゴルバチョフは、移動中に車を降りて長崎平和公園まで歩いて行ったそうです。1991年日本訪問のゴルバチョフ大統領に日本側は先立ちハバロフスクにある日本人墓地を訪れて献花することを要請したそうですが、ソ連側はそれを受け入れる一方で、併せて長崎訪問の計画を明らかにしたそうです。東西冷戦終結で前年にノーベル平和賞を受賞した大統領として被爆地である長崎の平和公園に眠る核兵器の犠牲者たちに頭を垂れるためというもので、ソ連向けの理由としては、長崎にあるロシア兵の墓地を訪問し献花することにあったと言われます。
1986年のチェルノブイリ原発事故で、核廃絶に強く傾いたゴルバチョフが冷戦終結への歩みを後押しすることになったとも言われます。1987年レイキャビクでネバダ州の撮影で二次被爆した経験もあるアメリカ大統領のレーガンと会談したとき、ゴルバチョフ氏の核廃絶の議論への強い意志は、チェルノブイリ事故以前からあったものと当時のアメリカの当事者は指摘をしていますが、「チェルノブイリの原発事故では多くの子どもが放射能に苦しんでいる。最初に放射能の苦労を背負ったのは日本人です。だから私は長崎に来ました」と長崎平和公園に足を運んだゴルバチョフ大統領はそう述べ平和祈念像に花を添え原爆犠牲者のめい福を祈ったそうです。
1987年ゴルバチョフは核戦力を含む軍備削減をレーガンに語り、ソ連政府は、広島核攻撃41周年の8月6日まで、一方的核実験停止を延長することを決定したとも宣言し、2000年までに核兵器を廃絶することを提案したのでしたが、1991年12月にゴルバチョフのソ連は自己崩壊しました。)
(ソ連崩壊の翌年に「私には広島を訪れる義務がある」と述べてゴルバチョフは、一私人として再度訪日し被爆地広島を訪問しています。オバマ大統領にも来年には、一私人としてでも、長崎を訪れて欲しいものです。P)
ワシントンポストは北朝鮮の脅威に対立して韓国と日本は自主的に核兵器を開発しなければならないと言った共和党のドナルド・トランプ次期大統領候補の主張をオバマ大統領は外交的無知と批判したことを紹介し、今度の広島訪問が核武装に対する全世界的な関心を向上させる役目ができることでホワイトハウスは期待していると伝えています。
しかし、オバマ大統領は、昨年の核不拡散条約(NPT)再検討会議にむけたジュネーブでの準備委員会での核兵器禁止条約の提案をボイコットし、2010年にプラハで調印されたロシアとの核軍縮条約「新START」の交渉も棚上げしたままです。安倍首相は「現実に核兵器が存在する中で相いれない」(天野万利軍縮大使)として、非核国としての共同声明への賛同を見送り、核兵器禁止の交渉を求める国連総会の決議案にも棄権し続け、被爆国の名に恥じる行為を続け、アメリカの核の抑止力も容認し続けています。
今回、実現はしませんでしたが、当初は、ライス補佐官はオバマ大統領の広島訪問と安倍首相のハワイ・真珠湾訪問をセットにする提案をしていたといいます。そして、何故か、サミット終了時の夜の広島訪問に安倍首相が同行するスケジュールにもなった様子です。そして、日本向けには、安倍首相が自ら「自分がオバマ大統領と一緒に行くのは当然だ」と希望したと報道されていますが、オバマの広島訪問の5月27日夜は、安倍首相は、伊勢志摩サミット議長として記者会見をしなければならなったはずです。何故、日程をずらせなかったのでしょうか?当初はオバマ大統領の広島訪問日程は4月後半で調整されていたとも言われます。
(おそらく、安倍首相がオバマ大統領の日程を変更できなかったのだとも思われれます。そして、サミット終了直後の広島訪問同行も断れなかった様子です。)
しかし、安倍首相と共に同行するのが、旧日本軍の捕虜であった経験を持つ日本との戦争の犠牲者コネティカット州のダニエル・クローリーさん(94)と言います。元米兵捕虜らでつくる退役軍人団体「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」のトンプソン会長は5月21日、米テキサス州サンアントニオで、オバマ米大統領の広島訪問に同会の元捕虜の一人が同行すると明らかにしました。しかも、それは、オバマ大統領のアメリカ政府側から打診を受けたといいます。アメリカの元日本軍捕虜会のトンプソン会長は5月21日に同団体が行った記者会見で「日本軍の捕虜だった私たちの痛みも広島で話をしなければならない」「絶対に謝罪してはならない」とも強調したといいます。こんな同行者を連れるオバマ大統領の詭弁に気が短いとも言われる安倍首相は我慢し続けることができるのでしょうか???
(第二次大戦中の日本軍によるフィリピン進攻作戦において、バターン半島で日本軍に投降したアメリカ軍・フィリピン軍捕虜民間人が、収容所に移動するときに多数死亡者を出した「パターン死の行進」には、全米バターン・コレヒドール防衛兵の会に対して2008年12月と2009年2月に、藤崎一郎駐米大使が公式謝罪、2010年9月13日には岡田外務大臣が元捕虜に対し謝罪しています。全長は120kmを、半分は鉄道で運び、残りを3日平均20kmを灼熱の中で徒歩移動したものでした。約8万5千人の捕虜の移動中、アメリカ人捕虜約1200人、フィリピン人捕虜約1万6千人が死亡しました(フィリピン人捕虜の犠牲については、「白人植民地主義者であるアメリカ人に味方したのだから(収容せず)処刑しろ」と言う「大本営から」の偽の捕虜処刑命令が出され一部に捕虜処断が発生したため多かったものとも言われています。そして、バターンから移動した欧米捕虜の一部は、日本軍が設置した瀋陽の奉天捕虜収容所に収容されました。(アメリカ人については1,202人が朝鮮半島釜山経由で灼熱のマニラから1942年11月に寒冷の瀋陽に移動しました)。瀋陽の奉天捕虜収容所では欧米人約2,000人が収容され、満州工作機械(MKK)などの工場での使役が強要されました。 また、奉天捕虜収容所の捕虜については、旧日本軍の生物化学兵器研究開発機関であった731部隊(戦犯免除)による生体実験にも供されていたため捕虜虐待との批判もありました。
こういう背景からすると、自国のことは棚に挙げて、アメリカを批判した朝鮮労働党機関紙さえが、まともな主張に思えてきます。5月14日、オバマ大統領の広島訪問について「核の犯罪者としての正体を覆い隠そうという欺瞞だ」アメリカが「核軍縮や非核化を主張することは「偽善であり、破廉恥の極致だ」と非難する論説を掲載していました。オバマ氏の核なき世界の構想についても「米国の核兵器だけが存在する世界」や「米国の核兵器に支配される世界」を狙った「核独占戦略」だと指摘し、オバマ氏が広島を訪れて何らかの発言をしたとしても、「ずうずうしい詭弁だけだろう」と皮肉りました。
先立つ、労働党第7回大会では、5月7日に、金正恩第1書記は、報告の中で、「北朝鮮は責任ある核保有国だ」と、あらためて主張し、経済建設と核開発を同時に進める「並進路線」を今後も継続し、核戦力を質的量的に強化していくと強調し「自主権の侵害がなければ、核の先制使用はせず、世界の非核化実現のために努力していく」とも表明。事実上の弾道ミサイルにあたる衛星の発射については、「今後も続ける」。アメリカを「世界の平和の破壊者」だとして、攻撃対象と規定し、日本に対しては、過去の植民地支配を謝罪すべきだとしたうえで、朝鮮半島統一を妨害してはならないと主張しました。(これに対しては、安倍首相の柴山補佐官が「そのまま、北朝鮮が非核化に向けた平和構築のための努力をすると、額面的にはとらえられない」と評価を控えています。)
詭弁と言えば、日本の岸田外相が南シナ海での中国の南沙諸島埋め立てを懸念し、「暗礁・領海の外に位置する低潮高地、またはそれらを埋め立てた人工島は、国際法上、排他的経済水域や大陸棚どころか領海・領空を有しない」と発言したことに、中国の王外相が反論していました。「しかし、まず日本が何をしてきたかを見てみよう。過去数年間で日本は100億円を”沖ノ鳥岩”に使い、小さな岩を棒鋼とセメントでできた人工島に変えた。日本はそれに基づき、200海里の排他的経済水域(EEZ)を超えて国連に大陸棚を主張したが、国際社会の主要国にとっては日本の主張が驚くべきものであり、それを受け入れなかった。日本は他国のことに口を出す前に、まず自国の言ったこと、やったことを省みるべき」と皮肉ったのですが、どちらの主張も詭弁のように思えます。中国が埋め立てた面積は7つの岩礁で合計して約12.82平方キロメートルで、日本は水没の危機にあることから侵食を防ぐためのコンクリートによる護岸工事と称して埋め立てました(東京都の資料によれば9.44平方メートルです。)そして、日本の沖ノ島の200海里の排他的経済水域には、中国だけでなく韓国から、最近は台湾からも日本の海域領有域の主張に対する異議が申し立てられています。