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ソウル 尖閣諸島

2010-10-24 03:39:52 | 日記

ソウルの親戚を訪問しました。ソウルの地下鉄は東京より新しくて綺麗でしたJ
休戦から57年、歴史・政治交流は中北継続、在外同胞法違憲判決から10年、経済・人的交流
は中韓主流です。




尖閣諸島の漁船問題で日中間はこのところ険悪ですね。J

 今は日中ばかり問題にされていますが、尖閣諸島では台湾とも深刻な問題があるのです。
1970年9月2日には、台湾の水産試験所の船が魚釣島に上陸しました。台湾の国旗である青天白日旗を掲揚して、その写真が世界中の通信社に配信されました。
 確かに地学的にも漁業的にも台湾島に付随する諸島の一つであり、実際過去何度も台湾漁船は尖閣諸島を利用しましたし、一時占拠して実効支配していました。

 日本は台湾に対して尖閣諸島における台湾漁民の傍若無人ぶりを一切抗議しなかったのでしょうか?。いえ、できなかったのです!。まだ沖縄がアメリカの占領時代のことでしたから。

 しかも、台湾はアメリカ合衆国のガルフ社に周辺海域の石油採掘権さえ与えたのです。日本政府は台湾とアメリカ合衆国に抗議も訴訟も起こしませんでした。沖縄がまだアメリカ領土時代でしたので尖閣諸島もアメリカ占領下であったこともあり日本は実行支配を失っていたのです。P

 尖閣諸島・魚釣島問題は、中台日の3国で、国際法に照らして国際司法裁判所で解決すべきですよJ.

 中国の主張では明代の1562年に作られた「籌海図編」の沿岸防衛範囲の中には「釣魚嶼」「黄尾山」「赤嶼」の名称が入っているそうです。1863年の「皇清中外一統輿図」は「釣魚嶼諸島」を大清国の領土であると示していました。

 日本は1895年1月、日清戦争中に釣魚島を占領しました。下関条約によって釣魚島は清から日本に一時割譲をさせられました。しかし第二次世界大戦後、日本はポツダム宣言によって、占領していた領土を放棄しました。だから、国際法上は中国へ返還しているはずなのです。
したがって、日本の主張する尖閣諸島の「領有」は国際法上の意味を持たないのです。J

しかも、日本は、北方領土を、戦争でロシアの実効支配が続いているにも関わらず、歴史的には日本の領土と主張しているのですよ。地形的にも、清国の歴史上でも中国の一部であった領土を、清国との戦争の最中に領有したのです(最盛期には247名、99戸が生活する村で、一時缶詰工場なども日本は作りましたが1940年には無人島に戻っています。)そのことで自国の領土としてしまう主張は矛盾ですよ。同様に、韓国がずっと実効支配している 竹島(独島)に対し、日本が領有権を主張することとも矛盾していませんか。J

 果たしてそうでしょうか?P.
昔のことを言えばきりがありません!歴史の古い中国は、帰属の歴史では、様々な主張ができるのでしょう。しかし、やはり、経過が大切です。国際法上は、今日までの実行支配の実績が重要視されるのです。実効支配が50年続けば領有権が確定するという国際司法裁判所の判例もあります。
 経過からすると、海底石油が発見されるまでは、中国も台湾も以前は日本の領土主張に反論は出なかったのです。日本にしてみれば、自国の領土を国際司法裁判所に出して争う必要などないのです。

もし力と歴史で争えば、中国・台湾が協調し、ガルフ社などのアメリカ石油資本も見方につけば、本来は道理のある日本が理不尽にも負ける可能性さえあります。
 日中国交回復時に田中角栄が尖閣諸島について周恩来に相談をしました。すると、周恩来は「尖閣諸島問題については、国交回復議論中の今、これを話すのはよくない。石油が出るから、これが問題になった。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない。」と問題の核心を述べたそうです。アメリカ石油資本と台湾が連携して露骨な領土主張をしたのに対して、周恩来と田中角栄は問題を棚上げして日中の平和友好推進を優先することで、台湾の主張を事実上封じ込める知恵を当時は示したのです。P.
 
 日本の外務省は1971年3月に「尖閣諸島の領有権についての基本見解」を発表しています。日本が、1895年に釣魚島を占領し実行支配した時は「支配主のいない土地」だったのです(先占の法理といえます)。侵略した支配ではないのです。確かに明治政府は日清戦争のタイミングで尖閣諸島を日本の領土に編入することを閣議決定しました。しかし、侵略したのではないので「日清戦争の講和による下関条約で割譲された範囲」には含まれてないのです。従って、1863年には清国はかつて領土であるとしていたかもしれませんが、1895年から無占有地としての実効支配を日本は開始したと言えるのです。ですから日本が戦後に放棄するべき領土に属してはいないと解釈するのが日本の考えです。

 しかも、最盛期に247名の日本人が居住して実効支配した歴史があります。日本はポツダム宣言によって、侵略で占領していた領土を放棄しましたが、尖閣諸島は侵略占領したわけではないので放棄の対象ではないと解釈できます。
 1971年6月に台湾が主張したことに対抗して同年12月に中国も領有を主張します。当時沖縄はアメリカの占領下で日本は直接支配を失っていたかもしれませんが、1972年の沖縄返還で日本の領有権は復活したのです。平和裏に外交努力すれば、日本の主張に道理は開かれると思うのですが、本来領土問題は2国間で解決するものが多いのですが、中国、台湾、日本の3国が絡むと一層複雑ですぐには解決しない問題のようにも思います。

 1996年には、一部の日本人が灯台を立て、その後一部の台湾人や中国人も旗を立てるなどの動きがあり、1997年に日本の一部の政治家は上陸視察しました。しかも、2004年に一部の中国人が上陸した際は日本はこれを不法入国として逮捕しましたが、起訴はせず中国に強制送還という知恵を発揮して平穏に対処しています。P

 船長逮捕に、中国ではネットで同情が集まりました。一方日本ではナショナリズムが呼び起こされたようで、中国の評判が日本でかなり悪くなりましたね。
 でも沖縄の裁判所の寛大な判断は、やはり琉球が歴史的に中国だったことも影響しているのでしょうかJ.

 そんな変なことは言わないでください!。日本では、中国は尖閣諸島だけでなく沖縄も富士山も北海道も中国は狙っているという人まで出ているのですよ。P

まったく!日本人は考えすぎで妄想ずきだと思います。J

 


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