まあるい地球

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日記 テレパシー

2018-06-27 09:46:29 | 日記
日記 テレパシー


縄文人はテレパシー、または、みたいなもので意思の疎通をしていたと思う。(私の願望かもしれない 笑)

テレパシーというのは、例えば一つの玉に全ての思いが入っていて、その玉が瞬時に相手に伝わるようなものだと思う。

考えてみたら絵に近いかも。
例えば文章で人間を説明するには、丸い顔があって、目が2つ…など延々と綴らなければならないけれど、絵だと楽チンでしょ?
だから、絵の壁画が残っているのかもしれない。

だから、人間は退化している。
まあ、この話は置いといて(笑)

インスピレーションなんかも、一瞬に多大な思考が視えるんではなかろうか。


実は、私は思春期前にはあるインスピレーションというか、テレパシーまではいかないけれど、他人についてあることがわかってしまった。
はい、こっからは自慢話です!(笑)
他人の自慢話しが嫌いな人は読まないようにしてね!


それは思春期ごろに徐々に消えていったと思う。初まりもそんなに幼い頃ではなく、おそらく思春期の数年前くらいなんだと思われる。

思われるというのは、これに反応する他人が、駅など人口の多い場所まで行かないと見かけることがなかったから、行動範囲の狭いうちには発見することはなかったともいえるかもしれない。
学校と自宅の往復で、見かけることがなかった人々ではあった。

そしてその人々は全員が大人であった。子供は見たことない。
その大人たちからは、どうも私のことはわからないでいたようだった。

私は、それが反応した大人たちを発見すると、人混みに紛れて隠れたものだ。時に隠れられない状況で、仕方なく過ぎ去るのを待つしかない場合であっても、その大人たちは、すれ違う私を凝視するわけでもなく、全く気にもとめずに通り過ぎて行った。
誰一人として例外は見当たらなかった。だから、その大人たちには私のことはわからなかったのだといえる。

今、私はその時見た大人たちの1人になっていて、また、その時の私の様な子供がいるんだろうか?



人間ってのは本当に未知だ。
自然より、人間のほうが未知なような気がしてきている。
ある意味、自然は正直で素直でわかりやすい。意思表示も人間と違って隠さない。

人間ってのは、悪くも善くも未知数なんだと思う。