まあるい地球

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日記 坐禅

2018-06-20 07:13:49 | 日記
日記 坐禅


かれこれ5年くらい前でしょうか…
坐禅に誘われ、無下に断る理由もなく、2日続けて参加したことがありました。
1日目は疲労のおかげであっという間に時が過ぎ、肉体の疲れを癒す座禅もいいものだと思えたのですが…
疲労も回復しつつあった2日目は、ただただ退屈極まりない体験にしてしまいました。

それから時を経て、今、仏教から禅へと辿り着いたところです。

坐禅の、
「坐」という漢字が当用漢字から外されたため「座」が使われるようになったとありました。大概、座禅と表記してあるのでしょうか?

「座」=すわる場所。名詞。
「坐」=すわるという動詞。

とのこと。確かに意味合いが全く違ってくるのがわかります。

また、「坐」は人が2人在る。
はい、勘のいいかたは気付いちゃいましたよね〜(笑)
1人は自我の自分で、
1人は神様 ですね〜。
右、左どちらが神様かは、各自調べましょう〜。

つまり、坐禅とは、自分の良心、愛、神様と向き合うことなのです!
自己を見つめる。見つける。更には一歩踏み込んで、愛おしむのもありかと思います。

そして道元禅師の
「只管打坐」へと進みました。

只管打坐(しかんたざ)とは…
私が読んで、一番しっくりきた説明〜

道元禅師は、生活禅を重視していたということから、
「只管打」とは無我無心に生活を行うこと。
つまりは、只管打坐とは、
生活の中に無我無心の境地を見いだし、自己に対峙すること。
さらに一歩踏み込めば、自我に勝つこととなる。


まとめ
坐禅とは、自分と向き合うこと。
只管打坐とは、生活の中で無心に自分を見つめること。
さらに一歩進んで、人生とは自分との対峙。さらに進んで、他の人間、他の生き物に何を施せるか。

かなァ…。