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そよ風に乗って

過ぎ去った思い出や、日々の事を
そっとつぶやいています。

朝ドラで見る親の苦労。私はさくらちゃんと同い年

2016-10-22 09:57:14 | 私の事

 

今放送中のNHKの朝の連続ドラマ べっぴんさん は神戸が舞台です。

主人公すみれの娘さくらちゃんは昭和19年6月生まれと語られていました。

私は7月生まれなので、1ヶ月の違いです。

 

生まれてはいたけれど、記憶のない幼児期。

神戸の街で私の親たちも、こんな風に食べ物も乏しく大変な戦後を

頑張って姉二人と私の幼い子供を育ててくれたのだなあと思いながら、

毎日見ています。

 

神戸には小学校の4年生の1学期まで住んでいました。

私と言う人間の基礎を育んでくれた大切な故郷。

若くして亡くなった両親との思い出はこの土地にしか有りません。

 

思い出すいくつかの情景は、4歳から6歳頃のことでしょうか。

ひとつひとつ、その情景を書き綴ることができるかしら。

幾つもないと思うけれど。

試して見たくなりました。


私もリレー選手だったよ

2016-08-20 22:48:37 | 私の事

 

オリンピック 400mの男子リレーで日本は見事、銀メダルを獲得しました。

良かったですね。4人がメダリストになれました。

団体競技となると、日本はチームワークを発揮して頑張りますね。

リレーの勝因はバトンタッチにあったと解説されていました。

効率の良いアンダーパスをしっかり練習していたそうです。

 

それで思い出しました。

私は小学生の頃、駆けっこが得意でした。

お勉強は今一でしたが、リレーの選手を選ぶとなると、

必ず私が選ばれていたのです。唯一私が輝ける場所でした~

 

6年生の時の運動会でした。クラス対抗の男女混合のリレーの選手に選ばれました。

男女2名づつだったと思います。1位になったのです。

50人クラスの時代で6クラスありました。

勝因として男子選手だった生徒が、○○さんのバトンタッチが良かった。

と私を褒めてくれました。

 

あの時のリレーは楽しかったです。心を一つにして練習してね。

あれをオリンピックでするのですからね。

メダル取れたら、最高でしょうねえ~

 (オクラの花)

なんちゃって、たかが小学校のリレーの常連選手だったと言う

昔話でございます。 婆さんだからたまにはね昔を思い出します。

栄光の選手だったのも小学生までで

中学生になったら、思うように走れなくなってしまいました。

 

やっぱりオリンピックの選手は

メダルは取らないと注目されませんものね~  おめでとうございます。


山の日

2016-08-12 11:35:29 | 私の事

 

昨日は祝日でした。8月に祝日? 知らなかったです (;´▽`A``

「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」ことを趣旨としているそうで、

山の日、今年から祝日が増えたのは良かったですね。

 

私もね、若い時にちょっと山に登りました。

土曜日は半ドンといって午前中で仕事が終わってましたから山に行くのはそれからです。

勤務先の山岳部に入っていました。上野から汽車に乗って、夜行で目的地に向かいます。

席が取れればいいけれど、混んでいる時は通路に敷物を敷いて座ったこともあります。

朝早く、列車を降りて、懐中電灯照らしながら歩き始めました。

 

初めての登山は、八幡平、それから岩手山。アルバムをめくると

そこにはまさしく私の青春時代の一コマがありました。

 

 

 

アルバムも整理して写真も処分しなければと思いつつ・・・・・

結婚して子供達が成長してからは、夫と二人で穂高や槍ヶ岳、白馬岳等へ。

数少ない山登りでしたが、大切な思い出です。

登山には恵まれた環境にある日本です。

マナーを守って、沢山良い思い出を作ってほしいですね。

 

山の日 に思いをはせた半世紀も前の想い出に浸ってみましたが

何と言うか、遥か彼方に過ぎ去った日々。長生きさせて貰っているのですね。


赤い糸でつながっていたのかも・・フランスに行った次女の事(2)

2016-07-25 06:55:36 | 私の事

 

自分の人生を振り返って、いちばん大きな分岐点は結婚でしょうか。

自分で決めた事ですから、責任は自分に有ります。別な人と出会っていれば

全く異なった人生になっていたと思うと、結婚って・・・・恐ろしいです。大切です。

山越え谷越えはるばるとここまでやって来ました。

残りの人生もこのまま乗り切って・・・。終わり良ければすべて良しとしたいものです。

楽しい人生でした。 有難うアナタ。・・・・・と言って逝きますね。(アッ、私が後から逝く予定だけど)

 

さて、本題ですが

次女が選んだ相手はフランスに住む、フランス人でした。

しかも、フランスに一人で旅行した時に知り合った人です。

「そんなどこの馬の骨ともわからない人との結婚はやめさせてください。」

次女の勤め先の部長さんから当時長野に住んでいた私共のもとにお電話いただきました。

「〇子さんは大切な社員。辞められると困ります。」

こんな見え透いたことまで言って反対してくださいました。

 

お気持ちは有り難いですが

どこの馬の骨ともわからないのはお互い様でしたね。

我が家はごくごく普通の家庭。誇れる家柄でもありません。

 

娘は東京の短大を卒業して、そのまま東京で一人暮らしをして

大手メーカーに就職していました。

仕事帰りに語学スクールに通いフランス語の勉強も始めました。

長期休暇(10日程)が取れることになって、語学力を試すべく迷わずフランスに行きました。

 

ガイドブック片手に有名なカフェに入っていっぷく。そこで出会ったのが彼。

何か教えてもらいたいことが有り、近くにいた彼に話しかけたのがきっかけだったそうですが

彼によると、街で見かけ一目ぼれしてあとに付いてカフェに入ったとのこと。

 

日本が好きで囲碁を趣味にしていました。

観光を終えてホテルに戻ると彼からのメッセージが届いており、

友人宅でパーティーをしているから来ないかと言うお誘いだったそうです。

そして、みんなで大歓迎してくれ本当に楽しいひと時を過ごせたそうです。

 

帰国してから彼とは手紙や電話での交際が始まりました。日本に来たりフランスに行ったりも。

そして結婚すると言いだして、かたい決心を貫きました。

渋い顔をしていた夫も折れて、まあ、政情も安定しているし、心配ないだろうと・・・

娘が選んだ道。私は応援はしていたものの、多少心は揺れた時期も有ります。

 そして、彼のもとに・・・ついに旅立って行きました。

(つづく)


フランスにいる次女と孫の事

2016-07-23 07:16:01 | 私の事

次女には3歳違いで息子が二人います。

そして長男のk君が9月から大学生になります。

もうそんな歳になったのだなあと思うと、次女が結婚してフランスで生活を始めてからの

年月を思い、感慨深いものが有ります。異国でよく頑張ったね と褒めてあげたいです。

私がパソコンを使えるようになって何が嬉しかったかと言えば

次女といつでもメールが出来る事ですね。

時差が有りますから、メールは本当に便利。

インターネット さまさま。電話は高いので掛けられません。

ところが、フランスから日本の固定電話に掛けてくるのは無料なのだそうですよ。

理由を聞いたことが有りますが、よく分からないです。ともかく有り難い。

時々、電話したいけれどいつがいいかとメールで聞いてきます。

大抵こちらの夜の落ち着いた時間帯に約束してスタンバイして電話を待ちます。

時差は7時間。こちらが午後9時なら、あちらは2時ですね。

 

先日、久しぶりに電話してきました。5週間の夏休みを取ったそうです。

本当にフランスは仕事の休みが長く取れてずっこけそうになります。

みんな要領よく仕事をしてしまうから取れるのよって言っていますが・・・?

イギリスがEUを離脱することになってフランスの人はどう思ってるの? って聞いてみました。

″フランスにとっては良かったんじゃないの。イギリスに行っていた企業がみんな戻って来るし。

通貨が違うからイギリスに旅行しても不便だったしね。

まあ、英語勉強しに行きたいと思っている人には不便になったかもね。"

と意外とフランスの庶民感覚はクールなんですね。

K君はバカロレア(大学入学資格検定) の結果がでて最優秀だったそうです。上位1割とか。

そして、グランゼコールの準備校に9月から入るそうです。2年間勉強漬けになり

2年後にグランゼコールのコンクール(試験)を受けるそうなのですが。何だか大変そう。

学校の制度が異なるので聞いてもさっぱりわかりませんが

大学とは別にグランゼコールというものがあり、より上を目指すためにはそこに行くらしい。

9月から家を離れ学校の近くで一人暮らしをするそうです。

 

休みになって家にいたK君も電話にでました。

どうして君はそんなに優秀なの?

"お母さんが日本人だからね~"  だって。

(ちょっと孫自慢ぽくなったらm(__)m)

 

子供の頃はサッカーに夢中になっていたし、中学になって柔道を始めました。

3年前からヴァイオリンを始め、音楽教室がビデオに撮った発表会の様子を

ダウンロードして見たばかりですが、ラ・クンパルシータ ともう一曲を演奏して

そこそこに上手に弾けていました。

ヴァイオリンを知らない私には音が出せるだけでも感動もの。

ヴァイオリンもレンタルして気軽に習い始めることができたらしい。

3歳下の弟も一緒に習い始めたので、先生と3人での3重奏でした。

フランスでは教育費は無料だし、塾に行って大学入試に備える訳では無く

学校で勉強は頑張りながらも夏休みには家族そろっての長い旅行に出掛けます。

今年はK君がすでに車の免許を取得したそうで運転は3人で交代ですると言っていました。

国を越えて車で移動。EUならではですね。

 

これから子供たちもたいへんだと思う。何処にいても生きていくって大変ですものね。

彼にとっては母国だけれど、日本が大好きで日本語も完璧になってきました。

時々ママがサポートしている声は聞こえてきたけれど・・

明るく健康でいてくれることを心から願います。

そして娘の頑張りに、花まるをあげたい。フランス人の旦那様にもありがとう。

最近はテロなどの不穏な情勢で私は本当は内心すごく心配。

何故娘はフランスにいるのか、又の機会に書いてみたいと思います。