goo blog サービス終了のお知らせ 

そよ風に乗って

過ぎ去った思い出や、日々の事を
そっとつぶやいています。

今年最後の図書館通い

2017-12-23 23:50:37 | 読書

今日は図書館に行ってきました。

借りていた本の返却日でしたが、2週間経つのは早いですね。

 

今年も残りわずか。今年最後の図書館です。

返却したのはこの2冊でした。

又吉直樹の「火花」と、阿川佐和子の「うからはらから」の2冊です。

火花はお笑い芸人の又吉直樹さんの芥川賞受賞で話題になりました。

いつか機会が有れば読んでみたいと思っていたので

図書館で見つけた時に迷わずに借りました。

 

そして阿川佐和子さんの小説。

テレビの司会で活躍されている阿川さんですが

小説家としての認識が私には無かったので、

図書館で見かけても、最近まで借りたことがありませんでした。

 

読んでみると面白い。エッセイも面白いのですが

「正義のセ」 と言う小説を読んで、初めて作家さんなのだと

認識しました。 正義のセを1~3巻 読み

さらに、「婚約の後で」 「うからはらから」 を読みました。

読みやすくて話に引き込まれ、一気に読み終えました。

 

今年も1年間、2週間毎に図書館通いをしました。

賞を取ったばかりの評判になっている本を予約を取ってまで借りる事はせずに

本棚に並んでいる中から選んで借りると言うスタイルで、

忙しい時は2冊、時間が有りそうなときは3~4冊借りましたから

年間に60冊から70冊ほどは読んだことになるでしょう。

 

ノートに簡単な感想などを交え記録していますが

今年は浅田次郎、重松清、佐藤愛子、阿川佐和子 さんの本が多かったです。

 

図書館までは自転車で10分程の距離。

2週間に1度と言うリズムは、ああ、もう2週間経ってしまったという時間の感覚を認識し、

本を返却して、また新たに借りる本を選ぶワクワク感があります。

図書館が近くにある方には是非お勧めです。

元気で動ける間は図書館に通います。来年も・・・・。


晩鐘(佐藤愛子作) を読んで

2017-11-25 11:46:19 | 読書

 図書館で借りて読んだ本です。

 

晩鐘 文芸春秋 平成26年12月 初版

 

これは佐藤愛子が88歳の時から2年をかけて書いた長編私小説です。

主人公の老作家、藤田杉が、かつて夫であった畑中辰彦の訃報を

恩師梅津玄への手紙で知らせる場面から始まります。

現在と過去を行き来しながら、物語が進み、梅津玄に過去の思い出を交えて

語りかける手紙を間に挟みながら進行していきます。

 

ご主人との事は、今までに読んだ随筆などで、少しは知っていましたが

これほど金銭的に、周りにも迷惑をかけた人物だとは驚きました。

しかし、かつては同人雑誌の仲間であり、ともに文学を目差し尊敬していた時期も有った元夫、

娘の父親でもあります。

 

事業の倒産による破産により、妻に迷惑がかからないようにと偽装離婚するのですが

知らない間に、別の女性が空いた戸籍に入っており

それを隠して、次に興した事業の金銭の穴埋めに社員を寄越して借金を申し出てくる元夫。

 

腹を立てながらも、家を抵当に入れられている従業員のためにお金を出してしまう藤田杉。

そして落ちぶれていく元の夫と、作家として成功していく青春時代の仲間たちとの比。

 

その人たちはみんなあの世に旅立ってしまって

一人残された老作家、作者の寂しさと、

人生を振り返って、長いかかわりのあった元の夫とはいかなる人物であったのかと

自分に問いかけている小説です。

 

後書きに書かれていますが

かつての夫の事を今までも繰り返し同じような内容を書いてきたそうですが

ある時は、容認であり、ある時は愚痴、ある時は憤怒、

そしてある時は面白がると言う変化があったとの事。

それは自分でしかわからない推移。

90歳を目の前に不可解な人物を書く事によって

彼への理解を深めたいという気持ちからこの物語を書かれたそうですが

やはり書くほどに分からない男であったらしく

結局は黙って受け容れる事しかできないのではと思うようになり

彼が生きている間にそれに気づくべきだったと書かれています。

 

年を取って、仲間が皆が逝ってしまって、しみじみと人生を振り返る寂しさ

無念さや、後悔もあるでしょうね。

 

明るく美しい笑顔で、言いたい事をズバッと言われる佐藤愛子さんですが

凄い人生を歩んで来られたのですね。

そしてこの元夫が小説を書く原動力になっていたのではないかと思うと

不思議なめぐり合わせだという思いです。

 

晩鐘  しみじみとした寂しい響きです。読みごたえが有りました。

 


読書・・・父 水上勉

2017-07-03 06:53:34 | 読書

図書館で借りる本を探していて目が合いました。

"父 水上勉"

作者は長男の、窪島誠一郎  2013年 白水社発行 

彼は2歳になった時に父親と離別し

その後、養父母のもとに実子として貰い受けられて育てられました。

養父母は実の親の事を明かさなかったので、一人で10数年かけて

父親が水上勉であることを探し出しました。1941年生まれで35歳の時でした。

水上勉は、息子の貰われ先を知らされておらず、

東京の空襲で亡くなったと聞かされていたそうです。

劇的な再会だったのですね。

 

この本は、水上勉の書いた、私小説やエッセイからの引用に

解説を加え、さらに父親との交流や周りの人々とのかかわりを描くことによって

水上勉の、本当の姿を描き出そうとしています。

貧しい家庭に生まれ10歳で京都の寺に小僧として貰われ、出家、

中学卒業と共に寺を脱出、還俗・・・・・

 

結婚、離婚、結婚により、母親違いの3人の子供達がいて

一人は障害を持って生まれてきました。

波乱万丈の人生がすべて小説を書く原動力になっていったように思います。

最初に同棲した女性の子供が、立派な大人になって

突然現れたことは嬉しく喜ばしいものであった事でしょう。

 

母親違いの3人の子の父であり、一人は障害を持って生まれてきました。

波乱万丈の人生はすべて小説の題材にもなっているのですね。

水上勉の小説がより深く理解できるような気がするので

読んでみたくなりました。

(暗くて苦手と言うイメージがあり読んだことがありません)

 

この本の中に書かれている下記の文が、水上勉の心の内を

物語っているように思われ、心に残りました。

 

あるとき、父の芝居を一緒に見に行った時、

隣に座る彼にぽつんと言った事が有った。

「自分の書いた芝居に、こんだけの人が泣いとると思うとなァ・・・・・

たまらなく、その晩は一人になりたいんや。とんでもない罪を犯した気分になってなァ、

一刻も早く、ホテルの部屋にもどって、一人でフトンを、かぶりとうなる」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「そうや、また一つウソをついて、人を泣かせた自分が許せんでなァ。

朝まで泣いとるときが有る」

 


小説、”黄昏のイエロー・サブマリン” と横浜ドリームランドの思いで

2017-06-24 22:33:04 | 読書

図書館で借りて、重松清さんの短編集"ブルーベリー"を読みました。

その中の1編。

"黄昏のイエロー・サブマリン" は

開業後19年経った1983年の横浜ドリームランドの情景です。

大学3年生の主人公がバイト先の同い年の女子学生の

夢ちゃんに誘われて訪れます。

 

遊園地のある大船は夢ちゃんの出身地。

ドリームランドは1964年に開業していますが、前の年1963(昭和38年)に

夢ちゃんは生まれました。

日本一の遊園地が出来ると、街を上げて期待され

そんな夢の国になるはずでした。

 

開業から19年。「可愛そうな遊園地、です 」 という夢ちゃん

大船駅からドリームランドに行くために作られたモノレールは設計ミスにより

使われないままで、いずれ改良されて使われるだろうという夢をいだかせたまま

朽ち果てていました。

そして、この年1983年に、東京ディズニーランドが出来ました。

本物のディズニーランドが出来てしまったので

ここは可愛そうなごくありふれた、遊園地になってしまったのです。

「まだ日本が貧しかった時代に、一生懸命、夢を作ろうとしていたんです、ここは」

 

2002年に閉園したそうですが、それまで頑張ったのですね。

開園から38年目でした。


 私があの日訪れた横浜ドリームランドは、その後、そういう運命をたどっていたのだと

初めてこの物語を読んで知りました。

あの日、オープン間もないドリームランドに出掛けた時の写真を

アルバムに見つけました。

すでに53年前。まだ白黒写真が主流でした。

就職して2年目の冬。勤め先の会社は東京にありました。

所属する課の忘年会だったかも知れません。夕食までの時間つなぎに

見学がてら訪れたのだと思います。

土曜日が半ドンの時代。午後のひと時ですね。男女5人づつの小さい課だったので

揃って良く出掛けました。

水中に高い所から滑り落ちてしぶきを上げる乗り物。童心に帰って楽しみました。

衛兵さんの隣でちゃっかりと記念撮影。

写真を断捨離することを考えていますが

こうして見返すと、懐かしく思い出されますね~。まだまだ捨てがたい。

もう逝ってしまった人もいます。年賀状でつながっているのは二人ですが

思えば長いお付き合い。

思い出に浸りました。

 

半世紀前のこの写真のひとときから、移ろいゆく時を刻んできたのですね。

"ブルーベリー"には、12編の短編が収められていて

いずれも主人公が大学生の頃の1980年代始めの

昭和の懐かしい情景が描かれている短編集です。 


読書・・佐藤愛子さんの本から学んだ言葉・・”惻隠の情”

2017-05-26 07:01:30 | 読書

佐藤愛子さんの本を2冊借りて読みました。

それからどうなる(わが老後)文芸春秋 平成16年8月発行

こんな事でよろしいか(老兵の進軍ラッパ)2008年7月発行

 

それぞれ13年前と9年前に書かれたエッセイです。

現在は93歳になられているのでこれは70代、80代半ばに書かれたものですが

取り上げられている当時の出来事や、人を懐かしく思い出しながら

失われていく日本人の心や、言葉などを憂うる思いが伝わってきました。

 

それにしても、最近政治家の世界で使われている

忖度 と言う言葉が、少なくとも3回はごく自然に使われていました。

夫や、身近な人に対して、心中を思いやるという意味で使われています。

 

それにかつては有ったと言う、惻隠の情 という言葉。

こんな風に書かれています。

日本にはかつて、「惻隠の情」と言う言葉が有り、

それは日本人特有の美徳であった。

お互いに口には出さないが、ひそかに相手の気持を察しているという

心の事である。

 

これは、その頃、息子が覚醒剤所持で逮捕されたという有名な女優さんのもとに

報道陣が詰めかけて、あれこれ心ない質問をしたことに対する

怒りでした。

スキャンダルの波に溺れそうになっている彼女の心のうちを思いやる人は

何処にもいないのか。その胸のうちを我々は惻隠するべきだ。

それが「おとな」というものである。

 

忖度 は今では、権力者の気持ちを推し量って法を犯してまで事を進める事

と書き換えなければならないようなご時世ですが

惻隠の情 は相手の心のうちを思いやる ということなのだそうですから

いつまでも、そのままの意味で後世に残したい言葉ですね。

 


 

庭のパンジーの後にベチュニアを植えました。

パンジーは昨年の10月に植えたもので、良く咲き続けてくれましたが

姿もだれてきたので、いくらなんでももう終わりかなと思い、処分するつもりでした。

しかし、まだ咲いている花もあり、蕾も沢山持っているのです。

なので、姿を整えて4株まとめて、側に植え直しました。

本当に、息の長い、よく咲いてくれるお花ですね。