KCのガーナ日記

よくあるヤツですが、現地の生活を日記にします。日記といっても週一回くらいしか更新しないと思いますが、、、ヨロシク。

本日の新聞記事(震災の報道)

2012-03-12 21:45:24 | 日記

はい。おっつー。

震災から一年が経ちました。ガーナでは日本の震災はどの様に捉えられているのでしょうか。

本日のガーナの公共新聞Daily Graphicに本件に関する記事が有りました。 (BBCの記事を引用したとの事)

<記事訳>

観測記録史上最も強い日本のマグニチュード9.0の地震は、福島第一原子力プラントでの深刻な原子力の事故の引き金ともなった。

何千の人々が(原子力)プラントからの放射能の漏れの為に避難をした。

各所で追悼の礼拝が行われ、現地時間の14:46分、地震が襲った時刻に1分間の静粛(黙祷)が行われた。

中心となる追悼式は東京の国立劇場にて開催され、日本の明仁天皇と美智子皇后、野田総理が参加した。

朝早くから彼らはやって来た‐被災者達はかつて家族の家々で有った土台土台に添える為に花束を抱きしめていた。

思い出す為に立ち止りながら、彼らは道路網のあちこちを彷徨い歩いた、それは津波がすっかり押し流した後の気仙沼の港の地域にて残っていた全てのものである。

800メートルも陸地へ投げ出された巨大な漁業用のトロール船の隣で人々は線香を灯し、仮の祭壇にて祈りをささげた。それから、津波が襲ってからちょうど一年が経過した時に、警報サイレンが再び鳴らされた。丘の外に響きながら、そして、人々は1分間の黙祷の為に立ち止った。

多くの海岸沿いの残骸は集められ大きく積み上げられた、然し再建設はほとんど始まっていない。

「私達は私達の災害の記憶を色褪せさせてはならない。」、78歳の天皇は短いテレビ放送の公式的な挨拶にて述べた。

「私はすべての人に被害者を心に留める事を望む」  野田総理は日本が「一層良い場所として」再生できる様に、再建への誓約をした。

多くの日本(人)は1分間の黙祷が行われた際に静止をした。

現地時間14時46分(世界標準時5時46分)に警報サイレンが国の東北に鳴り響いた。ベルと祈りをささげる人が国中に広まった。

地震は2011年3月11日に東京から北東約400キロ(250マイル)を襲った。

地震から直ぐ後に、計り知れない水のうねりが東北の沿岸を包み込み、車、船、建物を津波がさらい、沿岸部の地域を粉々にした。

住民は押し流された気仙沼港を覚えている。

対をなす二つの自然災害は15,800人以上を犠牲にし、3,000人以上が行方不明のままで有る。

福島第一原子力プラントが位置する福島県では、災害の影響が特に深刻で有った。

問題の核心であったプラント冷却システムの一連の機能停止を伴う、プラントの6原子炉建屋の内の4建屋が一連の火災と爆発により損傷されたのちに放射能がプラントから漏れた。

プラントの回り20キロ(約12.5マイル)の排他区域が制定され、数万人の人が家の無い状態となった。

放射能は周囲の地域を依然居住に適さないままにしている。