はい。おっつー
立て続けにアップデートをするぞい KCすごいぞい
だけれど今日は少し真面目なお話。
さて、KCはケープコーストに行ってきたぞい。
ケープコーストは首都アクラから海岸線に西に60-70km程行った場所に有る都市。
ここの名物はケープコースト城。
でも王子様やお姫様が住んでいたお城で無いのだよ。1653年にスウェーデンにより建築され、当初は木材や金の貿易拠点として使用されたのだけれど、その後イギリスに占領され、その後19世紀に入ると奴隷貿易が盛んになり、この城は奴隷貿易の中継拠点、即ち、国内から集められた奴隷をこの城に閉じ込め、その後海外から船が到着すると、奴隷を海外へ送り出す、そうした拠点として使用されたのだそうです。
現在は負の世界遺産に登録されています。2009年にはオバマ大統領が訪問。
KCも最初はそう思っていたのですが、奴隷貿易は西洋人がガーナやアフリカの奥地にまで奴隷を捕まえに行ったのでは無いのだよね。 当初はそうだったらしいのだけれど、段々と、労働力を欲しがっていた西洋人と現地のアフリカの有力部族の間で、奴隷の取引が成立。即ち、現地のアフリカの有力部族は部族間で争いをしていたのだけれど、そういった部族は争いに欠かせない資金や武器を獲得する為に、西洋人に奴隷を差し出しす事とし、その為に国の奥地まで奴隷を捕まえにいったとの事で、現地人同士で奴隷として捕まえたり捕まえられたりしていたのだそうです。
直接は西洋人が関わっていなかったとしても、間接的には関わっていた訳だけれどね。それにそういった部族間の競争を利用して自分達に利益が有る様な構図を作ったのかもしれません。(こういったところは事実はどうだったので有るか、どの様な見方が出来るのかと、学者や研究者の皆様の間で調査や研究がなされているのだと思います。)
本によれば例えば草原で遊んでいた少年のところに有る日突然銃や短剣を持った人が訪れ襲撃をし、少年は鎖でつながれて仕舞う。
他にも捕まった人達は互いに鎖でつながれ、数日間見知らぬ土地を歩きまわされた上、海岸の砦に到着する。
そして砦の牢獄に船が来るまで押し込められ、船が来たら、数週間-数カ月かかって異国に運ばれる。その間に何人もの人が病気などで死亡し、その数は諸説有るのだと思いますがとある本によれば1-2割とも言われます。もう祖国には帰れない。
以下は男性用の牢獄の入り口。中は写真を撮らなかったけれど、下り坂になっていて、地下に何百人が入れる様(実際には人と人が折り重なる様に押し込められたそうですのでもっと多くの人が閉じ込められたのだと思います)な岩を掘った洞窟が有ります。
当初は実地見学くらいの気持ちで望んだKCでしたが、実際に牢獄の中を見たり、奴隷貿易の歴史の説明を見たり、当時の鎖等が飾ってあるミュージアムを見たりした後には、とても重い気持ちになりました。
今はケープコーストは漁港としても栄えています。以下はケープコースト城から見下ろす形で撮った現在のケープコーストの写真。
今はみんな何事も無かったよう様に元気に過ごしているけれど、そういった、過去を知るとどうしても複雑な気分になります。
KCはガーナとガーナ人に対する見方が少し変わりました。
短いけれども今日はこのくらいで。
ではでは。
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