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第27連合野

アニメとか自転車とか映画とかゲームとか

blog/1+1が3になるということ(「ジサツのための101の方法」最終回)激しくネタバレ含可能性有

2005-06-22 | 明日から衣替えなので、エロゲをやって、ブ
よしこまちこ先生萌え!> 黒岩萌え!> 田ノ中萌え! >= 辻斬萌え!> 宮元萌え!>= 笹原萌え!萌えぇxr!こんにちはヤナセイです。意味がわからない人は検索してください。番長もすてきです。

さて「Routes(ルーツ)」は、これまで(今回のblog内)のゲームとは感じが違ってて(文字の表示、フォント、雰囲気など)なんか読みづらい。もっとやらなきゃよくわからんね。
ということで「ジサツのための101の方法」最終回です。これは最後までとっておこうと思ったんですが考えがまとまったので打ってしまいます。激しくネタバレする可能性があるのでこれからやるかもしれない人は読まないほうがいいです。

「ジサツのための101の方法」ははっきり言ってすごいです。やった人ならわかる通りすごいです。クソゲーに分類する人も間違いなくいると思います。6800円(定価)も出してこれをやるならフリーのゲームでよしこまちこ先生といちゃいちゃするのを妄想していたほうがいいとさえぼくは思います。完成度も非常に高いです。ぼくは修正ファイルを当てずにやってしまったのでよりそう思うのかもしれませんが完成度という意味では「ジサツのための101の方法」は非常に低いです。完成すらされてもいないかもしれません。でもぼくはそんな作品が大好きなんです。周囲の方には何度か話したことがありますが、ぼくは完成されていないものが好きです。そんな作品の多くに面白いと思う傾向があります。"完成度"という言葉の定義をぼくはよくわかっていませんが、説明するのも面倒なので各自判断してください。

まず、「ジサツのための101の方法」には3人のヒロインがいるわけですが、シナリオがひとつです。ひとつなのに3人ヒロインがいます。しかも紅葉にいたってはシナリオすらありません。なのにエンディングがあります。正確に言えば、ひとつのシナリオの中で各ヒロインに迫る分岐(部分)があります。物語がはじまり途中分岐してラストは同じ終着点へという感じです。よってエンディングはみな同じ。文章もぼくが言うのはなんですが支離滅裂と言えるかもしれない。いや意味はわかるが統一性というか全体を通すと意味がわからんというかこれまでやった3つのゲームと比べるとあまりに狂ってます。でもそれは「ジサツのための101の方法」というタイトルに合っているのかもしれません。まぁぼくの文章が支離滅裂なのは気にしないでください。

次に「ジサツのための101の方法」というタイトル。プレイする前にぼくが抱いたイメージとこのゲーム内容はまったくかけ離れたものでした。わからなくもないというか意味を見出そうとすればできそうだけどよくわからん。「天使のいない12月」は話からピンとこないけど意味は通じていると思います。まぁこれはぼくの読解力不足ということか。

あとCGがあまりに・・・ぼくがこれまでにやったゲームの中ではあまりにインパクトが大です。文章の読み返しができないのも製品としてはいまいちだと思います。でもそれらは「スペランカー」で主人公がほんの少し落ちただけで死んでしまうのと同じでそういう仕様だと思えばなんでもありません。"そういう仕様"これがぼくにとっての"原作絶対主義"です。

よって、なにが言いたいのかといえば結局完成度が低いということです。ぼくの中で完成度が高いと思う作品(ゲーム以外も含む)は、「EVER17」とか「うたわれるもの」とかアニメ「攻殻機動隊」みたいなのを指します。作品全体の意思がきっちり統一されているものという感じですかね。いや少し違うか。
この前のF1グランプリはどこでやったのかわかりませんが、ミシュラン勢が抗議して走らなかったそうで6台だけで走ったそうです。見たかった。F1は毎年毎年ルール(タイヤ交換できなくするとか燃料補給できなくするとかABSの禁止とか)を変えてくるので最高のマシンができあがったと思っても次の年にはそのルールにあったマシンを作らなければならず、だからこそ各チームは技術を毎年競えるわけで。なにが言いたいのかというとF1は完成されていない。だからこそ毎年毎年新鮮でおもしろい。もちろん6台だけで走ってもおもしろくないだろうしサーキットに行った人からは文句も出ると思うけど、F1はそういう意味でもすごい。
ぼくはアニメの歌、声優さんが歌う歌が好きです。「ハッピー☆マテリアル」とか「こいこい7」のOP曲とかエクセルガールズが歌う歌が好きです。なぜそれらの歌が好きなのかと問われれば、アニメの歌、声優さんが歌う歌は完成されていないからです。歌がうまい声優さんはたくさんいると思うけど、J-POPとして歌われる歌とはなにかが違う。音楽のことはよくわからないし、自分の中でもそれがなにかはまだわかっていないのだけど、なにかが違うんです。それはぼくの精神的なものかもしれないし、技術的なことかもしれない。声優さんに限らずアーティストさんの曲でもぼくはデビューしたての歌のほうを好む傾向があります。例えばぼくはSMILE(現在は活動休止。解散?)が好きなんですがアルバムは1枚目2枚目が好きです。坂本真綾さんも好きです。どのアルバムもいいけど、1枚目2枚目のアルバムのほうがおもしろいです。何曲も何曲も歌を出されているとぼくにはその人の歌がどんどん枠にハマっていく(個性がなくなっていく)ような気がしてしまいます。だからオレンジレンジはいろんな歌を出してきてすごいと思います。

「ジサツのための101の方法」の話に戻って、シナリオが支離滅裂、統一性がないと言いましたが、他の例を挙げると『エイリアン9』『スクールランブル』が挙がります。エイリアン9もスクランももちろんそれ自体の話のスジは通っているけど、なんと言ったらいいのかどこかがおかしい。ストーリーが破綻している。ぼくはこの言葉の意味をよくわからず使っていますがたぶん破綻している。スクールランブルにおいてはその現われが顕著で、大抵の似たような作品ではありえない展開が起こっている。なんというかなにかがちがうんだよね。なにかがわからないいんだよねそれらの作品は。

こういうことが未だうまく説明できないぼくの"完成度""完成されている"という言葉のとらえ方の一部です。以前N-EXTさんとも話したけど、完成度が高い作品にはつけ入る隙がないんです。「攻殻機動隊」なんてもうがっちがちでおもしろいんだけど、そういう意味ではあまりおもしろくない。「エヴァンゲリオン」のようにむずかしい用語を並べ立て、キャラによくわからいことを話させると見ているこちらは、なんだなんだと惹きつけらたりする。実はたとえそこになんの意味もないんだとしても謎(なんだかよくわからないもの)に惹きつけられてしまう。そして謎は明かされず謎のままのほうがのちのちまで楽しめる。手品のタネを知らないほうが楽しめるように。

ここまで文章を打ってきて、はたして考えがまとまっていると言えるのかという感じだけど言いたいことは言ったという感じです。時間を置いて読み返せばまたよりまとまると思います。
で「ジサツのための101の方法」という作品はぼくにとってはこれと同じような感じなんです。製作スタッフの方々がなにを考えてこの作品を作ったかをぼくは知らないけど、それは結局力不足、はたまた資金不足などの現実的な理由なのかもしれないけど、本当の理由を知ってしまったらぼくはなにも言えなくなるので今は知らなくてもいいです。知ったらこの文章がどんなに恥ずかしいものになるかもしれないけど、今現在におけるぼくの感想は、「ジサツのための101の方法」を作った人は言いたいことは言い切った!そう思います。そしてそれだけのパワーをひしひしと感じることができる。そしてエンディングの佐藤裕美さんの歌。ラストの涙のヒロイン。それでいいじゃないか!そう思えるだけの力がある。そう思います。レヴューサイトさんもこの歌はいい歌だと言っていてあらためてぼくの感覚は間違っていなかったんだと思い、この文章も意味が通じることをほんの少しだけ願います。あーやっぱり意味わからんね。
これにて「ジサツのための101の方法」は終了。


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