Andante

ルードヴィヒの日記のような戯言集
画像サイズ1072*768推奨ですよっと

模様眺め中

2005年10月28日 22時09分55秒 | 大航海時代
現在11月パッチによるバランス改変のため模様眺めしております。

復帰はは落ち着いてからかなぁ。(・・`)

PKに徒党組まれるのも嫌だし
PKがいなくなるのも嫌なんだな。@@

初の模擬戦

2005年10月16日 22時47分28秒 | 大航海時代
久方ぶりにヨーロッパに帰ってきました。
これだけ長い間ヨーロッパを離れているのも初めてで、ほんとに帰ってきたんだなぁという気になります。

さまようよろいことEWANに模擬戦に誘われたので模擬戦に参加しました。

模擬戦自体初めてですし、転職とスキルの準備に手間取ってガレオンが準備できなかったのでちょいと厳しいかなぁと思いつつ、開き直って商用ジベで参加しました。

メンバーはこちら。



まあ、なんと言うか戦列艦強すぎです。@@
ケツクリ喰らったガレオンたちががばったばった倒れて逝きます。
ずっと同じチームでよかったよぅ。(;´Д`)

あと、私みたいなスキルだとジベじゃ攻撃の役に立たないのもよく分かった@@
やはり、スキルをあげるかガレオンに乗るかしないとだめですね。orz
クリは結構当てたけどダメージがちょっとねぇ。
これでも、もともとは軍人だったのにぃ~~~><;
でも、模擬戦自体はとっても楽しかったですね。
また機会があればやってみたいものです。


とりあえずEWANだけは沈めてみた。イヒ
(残念ながらEWANは切れちゃった)

さて、しばらくは軍人家業ですよ。


ぼちぼち

2005年10月12日 22時56分23秒 | 大航海時代
実家帰ったり、他ゲームのオープンβやってみたりと更新滞ってました。(・・`)

ぼちぼち縫製上げにも飽きてきたのでヨーロッパに帰ろうと思います。
ヨーロッパに帰ったら久しぶりに軍人になろうかと思います。

イングランドとフランス その2

2005年10月03日 20時06分52秒 | 大航海時代
前回の続き~^^;

王号を手に入れたとはいえ所詮ノルマンディはフランスの一地方。当時のイングランド王国にいたってはその一地方領主に簡単に征服される程度ですので、フランス王との対立もその後500年もの間続くほどのこともなかったと思われます。(もっともフランス王直属の領地自体も一地方領主の域を出ていませんでしたが)

この力関係に大きなに大きな変化が起きるのはアンジュー伯アンリ・ドゥ・プランタジュネという幸運な男の存在によります。詳しくは書きませんがこの男、父方の相続からアンジュー、メーヌ、トゥレーヌを、母方の相続からノルマンディ、イングランドを、妻の相続から広大なアキテーヌを得、フランスの西半分を影響下におく大貴族に成長しました。

よそのゲームからですが1187年頃のフランス周辺。右の青いのがフランス王国、左のオレンジがプランタジュネ家。ブラターニュ半島(左の青いの)のブラターニュ公国、ブリテン島のウェールズ侯国、スコットランド王国もプランタジュネ家の影響下にありました。

フランス国王としては目も当てられない状況で当然のことながらどうにかして勢力を削ごうと躍起になります。イングランド王国はともかくフランス国内の領地には自分に封主権がある以上、これを最大の武器にして何とかしようと画策を始めます。

こうしてジョン(欠地王)はフランスのフィリップ2世(尊厳王)にフランスから叩き出され、その息子アンリ(アンリ3世、ヘンリー3世)もルイ9世(聖王)にこてんぱんにされてお情けでガスコーニュ地方(南アキテーヌ、ボルドー周辺)の領有だけを認められるという、なんとも情けない結果となりました。(これら(アンリ2世のイングランド相続からアンリ3世の和約まで)を第1次百年戦争と呼んだりする場合もあります。)


コラム ~封主権~

なんで、こんなものが英仏戦争の切り札になるかというと中世の領地というものは封主に認められて初めてそのものの領地と認められたからです。また、王国や公国の範囲というものは基本的に変わることがなかったようです。
例えばプランタジュネ家はイングランド王、ノルマンディ公、アンジュー伯、アキテーヌ公などなど多数の称号を獲得しましたが、イングランド王としての権力が及ぶのはブリテン島のイングランド王国内だけでノルマンディ公やアンジュー伯としてはフランス王の臣下ということになります。
フィリップ2世はアキテーヌ公国内の伯爵とプランタジュネ家の対立をあおり、フランス王としてその対立に介入していくという手法でプランタジュネ家から領地を奪っていきました。


といったところで百年戦争へと続きます。と、とりあえず不定期連載ということで@@


※本文中でイングランド王といわれた人たちもフランス名表記になってるのは彼らの本貫地があくまでフランスだったことを強調するためにそうしてあります。ヘンリー5世までは英語もしゃべれませんでしたしね。


イングランドとフランス

2005年09月30日 22時05分11秒 | 大航海時代
相変わらずカルカッタ在住中のルーです。ベルベットの売り相場が悪いのでブログ書いてます。^^;

今回は亡命元と亡命先であるイングランドとフランスのお話をば。

互いに密接な婚姻関係(プランタジネット朝時代)を持ちながらも百年戦争なっかやってたりしてすごく犬猿の仲だったイングランド王国とフランス王国なんですが、事の発端はというとノルマンディ公ギョーム(ウィリアム征服王/征服公ギョーム)によるノルマン・コンクエストにまでさかのぼります。

もともとノルマンディ公とフランス王は仲が悪く、このイングランド征服自体も「王号を手に入れてフランス王と(称号上で)肩を並べてやれ」といった思惑もあってはじめられたものらしいです。が、フランス王としては臣下(ノルマンディはフラン王国内の一地方)が王号を名乗ったのでは面白くない。で、抗争はさらに激化していった模様です。

といったところで、相場に移動があった模様。残りは次回に。m(__)m





もしかして長くなるかも@@

聖王ルイ

2005年09月26日 17時48分36秒 | 大航海時代
なんやかんやでばたばたしてると更新がすぐおろそかになるルーです。

最近はカルカッタに引き籠ってますので特に更新することもないのですが、前回の予告どおり「聖王の鎧」持ち主、ルイ9世についていってみようかと思います。

Q1)いつの時代の人?
カペー朝の第9代国王。というとわかり難い事この上ない。@@
13世紀の人で第7回、第8回十字軍に参加。有名な尊厳王フィリップの孫といった方がわかる人にはわかりやすいかも。

Q2)なぜ聖王?
死んでから列聖されたからなんです。
生前から清廉潔白な人で、信仰に篤い人だったとか。十字軍にもすすんで参加したようです。

Q3)何をした人?
父の死により12歳で即位。即位後の反乱を母ブランシュの尽力で針圧した。
王権の中央集権化、アラゴン王国との国境紛争の解決。アキテーヌ公(イングランド王)との戦争に勝利し有利な条件で講和したり、対立を続ける教皇インノケンティウス4世と神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の仲裁(失敗しましたが)などなど、いろんなことやってます。
もっとも有名なのは十字軍への参加ですね。

第7回の時には36000人の軍を率いダミエッタを占拠。イスラム側はアイユーブ朝末期で、時のスルタン、アル・サーリフも病床にあったことから、第5回十字軍の時と同じ講和条件(エルサレムの譲渡)を出すほどで、十字軍側に非常に有利でした。ルイにとっての不幸はロベールという弟がいたこと。彼は、上記の講和条件よりもカイロ征服をルイに決断させ、また、マンスーラへの奇襲成功後、兄の制止を振り切り市内に突入し、逆に後のマムルーク朝スルタン、バイバルスに討ち取られる。この後形勢が逆転し、退却中にルイはとらわれの身となり釈放のために多額の身代金を払うこととなる。

第8回十字軍では途中で方向転換しチュニスに向かうもその地で病没。この辺はクエストにも出てくるのでそちらもやってみてください。^^;

意外に知られてないのが第7回十字軍に先立ちキプロス島に滞在していたときにモンゴル帝国と使者のやり取りをしたことかな。使者を送ってきたモンゴル帝国皇帝グユク(オゴタイの子でチンギスの孫)はネストリウス派のキリスト教に強い関心があったらしく、西欧との同盟(もちろんモンゴル優位のだろうけど)を考えていたのかもしれない。まあ、これはルイが使節を送り返したときにはグユクが死んでいたという、なんとも皮肉な結果で終わったわけですが、これが成功していたら歴史もずいぶん変わっただろうなぁとか思ったりします。

第7回、第8回と十字軍に出征し長い間国をあけていたにもかかわらず反乱がおきなかったという点では、やはり人徳者と言えるのだろうけれども、外征による疲弊は次のフィリップ3世に重くのしかかったようです。

以上、フランス王の話をしているとモンゴル帝国の話が出てくるといううそのような本当の話です。w

ダレイオス1世とエパメイノンダス

2005年09月17日 12時18分12秒 | 大航海時代
縫製上げのためにインドまで来てますが、一応冒険メインのつもりなのでたまには発掘に行ったりしてます。

で、今回の発掘品の「ダレイオス1世の兜」。手持ちの服(鎧)のどれに合うかなーといろいろと試着。




やはり兜ですので鎧によく合う。2番目の「聖王の鎧」でもいいんですが、やはり同時代同地域の「エパメイノンダスの鎧」(5番目)の方がよく似合う。意外と1番目の古代人の服も似合ってたりして。^^;といったところで解説。

ダレイオス1世

アケメネス朝ペルシアの君主。ギリシア語でダレイオス、ラテン語でダリウス、ペルシア語ではダーラヤワウ。紀元前500年頃の人。
元々は分家の出であったが当時混乱していたペルシア帝国をまとめて王となる。
帝国内の混乱を静めると内地の整備に取り掛かる。帝国を20州に分け総督を派遣し、有名な「王の目、王の耳」と呼ばれた監察官や密偵に巡察させたり、「王の道」をはじめとする道路の整備、新都ペルセポリスの建設などがこれにあたる。
大王と称された王の治世中にアケメネス朝は最盛期を向かえ、インダス川からトラキアに至る広大な版図を誇った。晩年には有名なペルシア戦争の端緒を作った。

エパメイノンダス

ギリシアのテバイ(テーベ)の政治家、軍人。紀元前400年頃の人。
当時はスパルタがギリシアの覇権を握っていたが、エパメイノンダスとペヒタロス両名によって、急速に力をつけてきたテバイはスパルタとの和平決裂を機にスパルタと開戦。ギリシア随一のスパルタ軍のファランクスをエパメイノンダス考案の斜線陣をもって破り(レウクトラの戦い)、ギリシアの覇権を握った。
マンティネイアの戦いにおいてエパメイノンダスが戦死するとテバイは急速に力を失い、覇権はこの後マケドニアへと移っていった。

エパメイノンダスについてはこちらのページでもとりあげられてますね。少々古い記事ですがtrackbackつけちゃお^^。

次回は今回出てきた「聖王の鎧」のルイ9世を予定。




追記(9/17 22:45)
ペルシアといったらやっぱりこれ。わかる人だけわかってください。w

織工の憂鬱

2005年09月14日 20時40分13秒 | 大航海時代
なんだかんだと言いつつ縫製ランクが11+1になったので縫製の星カルカッタに来てみました。


さすがにすごい人だかりです。

さて、早速ジョーゼットを織ろうと思って相場を覗いてみます。









ただでさえジョーゼットしか織れないのに、どうも今日は相場が悪いようです。



今日はこのままチャットで終わりそうです。><;


大航海時代のありえない話 その1

2005年09月13日 01時08分17秒 | 大航海時代
ネタに困ったらこういうことやってみようかと思います。

第1回目はこちら

黒檀製バイオリン


黒檀っていうのはヴァイオリンの指版(真ん中の黒いところ)の部分に使われる素材で、黒色で非常に堅く他の木材に比べて重いです。こんなものでヴァイオリン作ったらちょいと大変なことになりそうです。音は甲高そう(註)だし、肩凝りそうだしねぇ。@@









前回こだわりを褒めたの台無しだorz

(註)ヴァイオリンは本体の素材となる木材が堅いと甲高く聞こえるそうです。


大航海時代の細かいこだわり

2005年09月11日 03時19分29秒 | 大航海時代

一応ルーの中の人はへたくそではあるがヴァイオリンを弾きます。
そんな中の人が見つけた大航海時代の細かいこだわりを今日は紹介します。



左が大航海時代、右がルーの中の人のヴァイオリン(チェコ製)です。
こんなところでヴァイオリンスタンド(註1)が役に立つとは思いもよらなかった。w
一見して違うのは左下の黒い部分(顎当てといいます)。
演奏するときに顎を乗せる部品なんですが大航海時代のものにはない。

これは、手抜きではなく当時のヴァイオリンにはこの部品がなっかったからである。


ええ、そう信じたいです。キットテヌキジャナイハズデス。

実際当時は今と逆の位置に顎を置いて演奏してました。



↑実際に逆の位置に顎を置いて演奏してるでしょ。
ポリゴンとかの都合じゃないはずです。





きっと


こういう細かいところ以外にもこだわりを持ってやってほしいですね。


↑”インドの歌”(作リムスキー=コルサコフ 編クライスラー)を演奏しているつもりのルー




(註1)普通ヴァイオリン弾く人はヴァイオリンスタンドなんか持ってません。主に陳列用に使われます。