Andante

ルードヴィヒの日記のような戯言集
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聖王ルイ

2005年09月26日 17時48分36秒 | 大航海時代
なんやかんやでばたばたしてると更新がすぐおろそかになるルーです。

最近はカルカッタに引き籠ってますので特に更新することもないのですが、前回の予告どおり「聖王の鎧」持ち主、ルイ9世についていってみようかと思います。

Q1)いつの時代の人?
カペー朝の第9代国王。というとわかり難い事この上ない。@@
13世紀の人で第7回、第8回十字軍に参加。有名な尊厳王フィリップの孫といった方がわかる人にはわかりやすいかも。

Q2)なぜ聖王?
死んでから列聖されたからなんです。
生前から清廉潔白な人で、信仰に篤い人だったとか。十字軍にもすすんで参加したようです。

Q3)何をした人?
父の死により12歳で即位。即位後の反乱を母ブランシュの尽力で針圧した。
王権の中央集権化、アラゴン王国との国境紛争の解決。アキテーヌ公(イングランド王)との戦争に勝利し有利な条件で講和したり、対立を続ける教皇インノケンティウス4世と神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の仲裁(失敗しましたが)などなど、いろんなことやってます。
もっとも有名なのは十字軍への参加ですね。

第7回の時には36000人の軍を率いダミエッタを占拠。イスラム側はアイユーブ朝末期で、時のスルタン、アル・サーリフも病床にあったことから、第5回十字軍の時と同じ講和条件(エルサレムの譲渡)を出すほどで、十字軍側に非常に有利でした。ルイにとっての不幸はロベールという弟がいたこと。彼は、上記の講和条件よりもカイロ征服をルイに決断させ、また、マンスーラへの奇襲成功後、兄の制止を振り切り市内に突入し、逆に後のマムルーク朝スルタン、バイバルスに討ち取られる。この後形勢が逆転し、退却中にルイはとらわれの身となり釈放のために多額の身代金を払うこととなる。

第8回十字軍では途中で方向転換しチュニスに向かうもその地で病没。この辺はクエストにも出てくるのでそちらもやってみてください。^^;

意外に知られてないのが第7回十字軍に先立ちキプロス島に滞在していたときにモンゴル帝国と使者のやり取りをしたことかな。使者を送ってきたモンゴル帝国皇帝グユク(オゴタイの子でチンギスの孫)はネストリウス派のキリスト教に強い関心があったらしく、西欧との同盟(もちろんモンゴル優位のだろうけど)を考えていたのかもしれない。まあ、これはルイが使節を送り返したときにはグユクが死んでいたという、なんとも皮肉な結果で終わったわけですが、これが成功していたら歴史もずいぶん変わっただろうなぁとか思ったりします。

第7回、第8回と十字軍に出征し長い間国をあけていたにもかかわらず反乱がおきなかったという点では、やはり人徳者と言えるのだろうけれども、外征による疲弊は次のフィリップ3世に重くのしかかったようです。

以上、フランス王の話をしているとモンゴル帝国の話が出てくるといううそのような本当の話です。w

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