乳ガンを患ってからの私

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CVポートの手術

2019-01-23 15:21:59 | 乳ガン患ってからの日々
1泊入院だし、たいしたことないと思いながらも、そわそわ。9時手術開始なんで、8時半には、病院入りしないとダメで、次女は7時過ぎに保育所に預け、旦那と病院に行った。

服を着替え徒歩で手術室へ。分娩室には3度入ったけど、手術室は19才のころ、手首の腱鞘炎の手術した時以来だから、かれこれ30年ぶり(笑)
めっちゃ広くて綺麗だった。
生体検査の時に、麻酔効かなかったので、部分麻酔だし心配だと担当医には話したけど、本当にそれだけが心配だった。
なんだかんだと、用意され執刀医の先生がきた。…あの時の生体検査の先生だった。
麻酔効いてないから「痛い❗」って言ったら「まだちゃんと麻酔効いてないのかなぁ…すぐ効くから、大丈夫…ガシャン」
ピアッサーみたいなので、胸に針刺して細胞を取った。…効いてないのに、少し待ってくれるのかと思ったのに、続けてやられた。「痛い❗」そんなにすぐ効くわけないやん❗って思った。
そして麻酔効かないまま生体検査終わった。
今回は切るんだし、そんな事はないはず。さすがにないはず…って思った。
準備出来て手術始まった。部分麻酔だし意識はっきりある。
スーってメスで切られてるのとか、痛くないけどわかる。
なんか入れようとしてるのもわかって「痛い❗」って言った。
「あ、痛かった。麻酔追加してくね」先生が言った。そしてまたごそごそ始まって、「痛い❗」を何度か繰り返しその度に麻酔追加された。
どうも麻酔効きにくい体質みたいで、無事に終わって病室戻って担当医がきてくれた時に「麻酔すごい追加しましたけど、気分とか大丈夫ですか?」って言われた。
「大丈夫だけど、やっぱり痛いの我慢させられた時ありました」って言った(笑)
実感として、ガンの治療始まるんだなって、ちょっと思った。
翌日無事に退院して、週末の治療に備える事になる。

運命の日

2019-01-22 15:05:06 | 乳ガン患ってからの日々
運命の日…。予約の時間に病院行ったけど、かなり待ったと思う。旦那もついてきてくれたけど、待合室では会話もなくお互いに携帯ゲームして時間潰す。

名前呼ばれ診察室に入ると、先生は「残念ながら悪性でした。あなたの腫瘍は乳ガンです。胸のシコリは1つですが、大きくて4センチ、脇の下には2.8センチのがあります。他の臓器などには転移は今のところ見られませんでした」
そう言ったとたんに、旦那がすすり泣いた。正直驚いた…私がしっかりしなきゃって思った。

「リンパにあるから、怖いので(転移)まず、化学療法からやって、腫瘍が小さくなったら外科的治療をしようと思います」淡々と説明をしてくれる。

「あの、すみません私の進行度合いって、どんな感じなんですか?」と質問した。どれくらい生きられるのか、小林麻央のようになるのか、北斗晶のようにいられるのか、知りたかった。

「ステージ2Bというところです。転移がないので。でも腫瘍の大きさだとギリギリです。もう少し放置だったら3になっていたかもしれません。急いで治療開始した方がいいと思っています。小さいお子さんいる事を考えたら進行は避けたいです」
先生は、そういってくれました。
お任せしよう、知識ない自分より先生のいうこと聞こうって思った。

「10日後に鎖骨の下の静脈を確保するCVポートって言うのを、埋め込む手術をしたいと思います。1泊2日の入院になりますが、それを入れる事で、抗がん剤の点滴で細くなった血管に、失敗しながら針を刺すような事がなくなります。抗がん剤は、点滴の時間も長いので、くつろいで出来る状態を保てますし、おすすめします。イヤだったら、毎回血管探しになりますけど…」

旦那は「わかりました。お願いします」即答だった。
私は子供たちの事もあるし、日にち選びたかったから今日で話をつけると思ってなかった。

「10日後に手術した週末の金曜日から点滴開始しますね。3週間毎に4回同じ薬をしてから、薬を替えてもう4回です。日程を確認しますね。抗がん剤は、3月16日と4月6日と…」
「あ、待って下さい。4月6日は長女の小学校入学式です。早めるとか、遅らせるとか出来ますか?」
「そうなのー?じゃあ、早めるのはダメだから、そこだけ4週空けましょう。それと、点滴した2週後に採血しないとダメなんだけど、それも予定しておいて下さいね。白血球が下がりやすい時期で、下がってたら上げないと次の治療出来ないの。注射でね、上げるんだけど、少しぐらいならしなくてもいいけど、その時の数値でまた説明します」

なんか実感ないままスケジュールだけが組まれていった。
帰りの車でちょっと泣けた。でも、子供たちの前では、ちゃんとしようって思った。
家に帰ってしばらくすると、当時5年だった長男が学校から帰ってきた。

旦那は、1人で抱えてるのがイヤだったのか、長男に話してしまった。
私の父親(長男のじいちゃん)が3年前に肺がんで他界した。それを看病するために同居したので、長男は「がん=死」と思った…今でも思ってると思う。
長男は声をあげて泣いた。そして旦那と抱き合って2人で泣いてた。
これまた私、泣けないやん‼️って思いながら、2人を見ていた。

一般人の私

2019-01-21 22:14:52 | 乳ガン患ってからの日々
どこかに記しておこうと思ってブログを始めることにしました。
闘病始めて10ヵ月が過ぎたけど、色んなその時の気持ちなんか書けたらいいな。

今、47才で旦那同い年、長男12才、長女7才、次女2才。まだまだ子供に手がかかるのに…。

まず最初は、病院受信する前を少し書いておこう。

次女を45才で出産しただけでも、日々成長する次女に対して日々老いていく私(笑)

産後なんてありゃしない毎日。疲れは日常茶飯事。母乳出ないのにミルクだめで、

おまけに抱っこしてないと寝ない甘えん坊で、1日のほとんど抱いてる状態で、夕飯の仕度も

出来ない事も多かった。夏生まれだったので、涼しい時は窓開けてたから、泣き声の

すごさで、近所の人が来るほどだったから、放置出来なくて…(笑)

今思えば、あの頃から右乳を吸われると、痛かったのは、前兆だったのか

ちゃんと吸えてなかったからなのかなって思う。

あまりにも母乳足りなくて便秘で、体重も増えないし、

2ヶ月半頃から、野菜スープ始めたなぁ。

身軽だったからか、首も据わってないのに寝返りしたり、

超高齢出産で生まれたと思えないぐらいに、成長してくれた。

もう感覚は半分孫みたいなもんで、上2人がそれぞれ反抗期だし、癒しだった。

生後8ヶ月になった4月から、保育所に入れて近くにパートで働き始めたけど、夏までは色ん

な病気もらったり、あんまり仕事に行けなかった。

そんなこんなで、次女も1才を向かえしばらくしたある日、

お風呂で体を洗ってたら、右胸に小さなシコリを見つけた。

すごく不安になって、すぐにネットで調べたけど、卒乳してすぐだし、最悪の事は頭から

消して、家族にも言わずにそっと日々を過ごした。

11月頃から、右胸だけが生理前になると張って痛くなってきた。

生理終わると痛みがなくなるので、普通に過ごせた。

でも、あまりにも続くならそろそろ受診も考えなきゃなぁとは、思い始めたけど…。

年が明けて、また右胸張って(そろそろ生理か?)って思ってたら

乳首から出血してた。(ヤバい❗)そう思ってたら…

「オレやけど今、車にはねられて、救急車来るの待ってる。背中と首痛い」

旦那は、青信号を横断歩道を渡ってたら、右折してきた軽トラに後ろからやられたと。

頚椎骨折と、胸椎2ヶ所骨折で入院。

私は不安しかない状態で、子供たち3人と忙しく過ごした。

インフルが流行り始めた時期で、疲れからか家族の中で1番に発症。

私の頑張りもここまでかって思った。旦那は無理に退院してきてくれて、家事一切やってくれ

た。そして、次女と長男と旦那に移ってしまった。落ち着いた2月中旬に、初めて病院で受診

した。乳腺外科の先生は、女の先生で安心した。

経緯を話した。触診で怪しいって思ったようで、エコー、マンモ、CT、採血等の予約して帰宅

した。検査結果を旦那と聞きに行った。腫瘍があるのは間違いない。胸と脇の下にあるので、

生体検査をってまた予約。針で細胞を取る検査。部分麻酔が効かなくて、すごく痛かった。

そして、またしても私はインフルに。先にBになり次にA…よっぽど体弱ってたんだと思う。

腫瘍があるのは間違いないって、言われてから旦那は覚悟したように、私を自由にしてくれ

た。何気に私は、もうだめなんだって気持ちになった。

大好きなチームのJリーグ観戦。初めて家族5人で行った。J1残留をかけた大事な試合。

翌日には、良性か悪性の結果出る。残留決まった‼️…もしかしたら、私の結果も良性かもしれな

いって、微かな希望を持って翌日を迎える事に。