遊月(ゆづき)の日々これ修行なり~

パワースポット研究家(おたる案内人)でセラピスト遊月のブログ
【パワースポットニッポン(VOICE)北海道担当】

ステレオタイプの人はいない

2023-11-21 08:42:00 | 母親という仕事
昨日、とある小説の中に出てくる「虐待する側」がステレオタイプだったと書いたことですが。
なぜそう感じたんだろうといろいろ考えていました。


サンタさん^ ^

それはきっと、「とても悪い人だ」と丸わかり的なキャラクターだったからだと思いました。

いい人そうなのにちょっとつつくと、あっという間に綻びを見せてしまって。
被害者以外のごく普通の人たちに、あーこいつやってんなってばれてしまう。
そんな人たちばかりだったんです。
だから何か違うと思ったんです。

実際はそんなにすぐに隙を見せないし、なんならすごく知恵が回るし。
そんなふうにすぐにバレないから厄介なんです。

「誰にも届かないと思って声を出していたら、声が届いてたくさんの人に助けられた」と展開にも違和感がありました。

あんなにすぐに受け入れてもらって、じゃあこうしよう!と善意の提案を人はしてこない。
しかも出会う人がみんなそうとか。
そういう場合もあるけど、物語がその積み重ねだったから、違和感があって。

まず、自分がそうなっていることがおかしいと気づけなかったり、被害者は加害者に洗脳されているから、自分が悪いと思っている。
だからそもそも声を出そうと思わない。
むしろ庇う。

それにもし頑張って声に出した時、善良な人々からさらに傷口に塩を塗られてしまうんです。

虐待する側、DVを振る側は、滅びを見せたりしません。
その程度の人ならば深刻にはなりにくいかなとか。

隙を見せず、用意周到に完璧にいろんな種をまいて準備している。

だから頑張って被害者が他者にその声を出したとしても、あっさりと、
「それはきっとあなたが悪いんだよ」
とか、
「大袈裟なんだよ!あんなにいい人がそこまでできるわけがない」
とか、
「お母さんだって親なんだから、話せばわかってくれるって。会話が足りないだけかもよ」
なんて頓珍漢で心を抉る善意を示してくる。

そんな善良な人たちによる、善良な回答が、より傷を深くし、人を絶望に向かわせるのです。

被害者の声の真意をわかってくれるのは、名探偵ばりの観察力がある人か、そういった道の資格を持っているようなスペシャリストか、同じような経験をした人です。

それ以外の人たちには、
それでも親なんだから話せばわかってくれるよ。
と、多分普通の世界なら当たり前のことを、その人たちがいかに平和に生きていたかを思い知らせるような解決策を提示してくれます。

そういうことじゃないんです。
と答える気力なんて湧いてもこない。

せっかくなので、このブログを読んでいる人にはいないと思いますが、
そんなアドバイスをした人がいたら(多分いないけど笑)その後に、
あれからちゃんとお母さんと話してみた?などとお節介は厳禁と伝えたい(笑)

伝えたと嘘をついて、うまくいったでしょー、ほらーとドヤ顔されたり、
まだ伝えていないと答えて、
そういうところ!とか言われたら、
(めっちゃステレオタイプの善人像笑)

あー、この人と二度とくちきかんわ。
うっかり話した自分を呪うわとか思われるのでやめといてください。
それは善行ではなく悪行です(多分笑)

あと主人公が、愛が欲しくて寂しさからDV男から離れない描写があって。
違うんだよ、寂しいからじゃない。
愛が欲しいからじゃない。
自分の価値が低すぎて、善意の人間のそばにいると、この人を汚してしまうと感じるし、悪意のある人間の中でそだったから、そこが自分にふさわしいんだと思い込んでいるから。
我慢する人生だったから、しゃっくりが止まった後のように、我慢していないことがちょっと居心地が悪くて、我慢させられると、ああ、私ってこういう環境にあるべきなんだと思っちゃう。
つまりホメオスタシスからきている。

寂しいから離れないという描写が、結構違和感だったな。

話はそれましたが、虐待をする親たちが、子供を単純に憎んでいるかと言えば、そうでもないんです。

そうだ、あの物語のもう一つの違和感は、どの親も虐待する親は、みんなこの子がいたせいで自分が不幸になった、この子は邪魔だと思っていたことです。

そう思って虐待をする親もいると思いますが。
1番厄介なのは、自分は子供を愛している良い親だと思っている加害者です。

本気で愛しているし、そう信じているし。
子供側もその言葉は本当だと理解しているので、別の側面で、命を脅かすほど暴力を振ってきたとしても、表裏一体すぎて、親の愛から切り離して考えられないのです。

そしてそういう人は本気で子供を愛していると自分で心から思っていますから。
周りには子煩悩な親だと思われていますし、その思いが少し行き過ぎてきつく叱った程度だろう的にしか受け止めてもらえないのです。

あの物語にはそういうタイプの人が出ていなかったからだ。

まぁ、そんないろいろ深く考える必要もなかったんですけどね。
加害者側の心理とか、共感したくもないし、考えたくもないと思ってしまいますが。
そちらの方をもっといろいろ学んでいくことで、防げることってあるのかもしれないなぁと今日思いました。

DVや虐待する側って、割と同じように幼い頃とかに被害にあってきた人が多いと思うんです。

中にはやってしまってから、自分の親と同じことをしていると罪悪感を抱く人だっているでしょう。

なぜ止められないのか。
それを弱いからの一言で片付けてしまっては、虐待は減らないなぁと。

私は虐待にあう子供たちを1人でも多く減らしたい。

それは「親から切り離す」的なシンプルなことではなく、そもそも虐待する側の親をどう矯正していくのか、そこにもしっかり切り込んでいかないと、いつまでたっても「被害者が加害者の親になっていく構造」は変わらないんじゃないかなぁと。

されてきた側としては、する側の気持ちに寄り添うなんてできないんですけどと思ってしまうのですが(苦笑)

これはきっと克服して、次の一歩に進むのに必要なのかな、と思いました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 連鎖する鎖を切ること | トップ | ホロスコープは人間関係の取... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。