本で読んでるだけではなく、実際にその地に立つことはとても重要です。
今回奈良の「山辺の道」と言う、古代からある都と都をつなぐ道路を数時間歩きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/2c/140d5b90fb2359a141f85727ae456b52.jpg?1715904826)
その時に見た風景は、飛鳥時代の人々が見たものだし、その後の平安、鎌倉、江戸時代など、折り重なっていくたくさんの時代の人がその道を「飛鳥時代の道だ」と思いながら通ったのです。
昭和に生まれた私が令和に飛鳥時代の道を通る。
うん。ロマンチック。
山辺の道は三輪山の裾野にあります。と言ったら姉が,私が三輪山の裾を一周したと勘違いしていました。
いや、都と都を繋ぐ道言うたやん,となりましたが、そんな風に勘違いされるのかな?と(笑)
三輪山に登ったこと。
その裾野から飛鳥に繋がる道をまあまあ歩いたこと。
あの時代の古墳の上に立ったこと。
相当濃かったです(笑)
三輪山の秘密(?)は人に言えません。
禁止されているから、というより強い呪詛がかかっているから。
霊感の強い人なら、あの強さというか、触れてはならない感はわかると思います。
だから、誰にも言わないんでおしえてくだいよーと言われても言いません(笑)
だって、人智を超えたというか、あれはある意味稲荷山より強いですよね。
怖くはない。むしろ神々しい。だけど、神様ってたぶん完全なる善ではないのです。
人に近いマスターと呼ばれるような神様ならば善で動くのですが、あの山は本質そのもの。
つまり、善でも悪でもなく、ちからそのもの。
だから、約束を破れば簡単に…となる。
そんなすごい地響きを感じるほど強いパワーがありました。
うむ。
登ってくれたまえ。
感じてくれたまえ。
としか言えませぬ。
登ったことで私の中で1つはっきりしたことが思ってよかったです。
三峯神社と三輪山の繋がり。
そこに漂う秦氏とかその辺りの一族の歴史。
そして下鴨上賀茂や京都の北側にある山々、とくに鞍馬山。
正直言って、姪っ子ちゃんが
伏見稲荷、嵐山、金閣寺、下鴨上賀茂神社、貴船神社を見たいからよろしく。
と言ってきた時は
うむ。
(一個も今回行きたい場所がない!)
と思ったけれど。
三輪山の神様を祀っていた人たちが、とある王国(やまとなんたら)の人たちに追い出され、自分たちの神様を連れて上賀茂神社を作ったということがあるのを途中で気がついて。
いや、奈良の三輪山や出雲村(三輪山の麓にある)の人たちが移動したのって、出雲大神宮をはじめとする京都北側やん!
とかなったわけで。
流れなのかもしれぬ。
とも思いました。
私が探し求めるそれぞれの系譜は深い場所で繋がっていて、その大元が出雲と繋がります。
三輪山の麓の出雲村は相当重要。
時々、京都と出雲がひどく近い表現で出てくることがあるのですが、それはきっとこの村のことを書いているのではないかなと思っています。
実際に出雲に行ったからこそ、出雲の須我神社の奥宮の空気が三輪山にとてもよく似ていたことも体感できたわけで。
歴史の教科書にあまりちゃんと書かれていないのですが、大和朝廷ができる少し前の時代、あちこちに王国がありました。
出雲王国もその一つ。
多少争いはあったものの、縄文時代からの平和なエネルギーを持った国であり、国王は国民のために命を犠牲にする、そんなシャーマン的な要素を持っていたと、それぞれの地方の伝説に書かれていたりします。
それが武力や詐欺的な行為でそれぞれの国の王を殺し、その国を乗っ取り、1つの国にしていった。
本当に怒られますが、歴史の教科書にのらない理由をお察しください。(笑)
神を崇めていた国を乗っ取り、その神を自分たちのものにすげかえた。
密かに私はそう思っているのです。
秘密だよ(笑)