瞑想会に参加いただいた皆様、ありがとうございます。
このところ、色々お掃除していたためか、とてもすっきりして気持ちよかったです。
最初は渓谷に流れる清流を見ていたのですが、どんどん上昇して、森が下に見えました。その状態でどんどん風に乗って流れていくイメージで。
雲になって風景を見ているのかもしれないと感じました。
すると、ふいに川の流れが急になって自分が川になっていき(千と千尋のハクが川に同化するような感じ)そのまま流れていくと、滝がありました。
滝をざーーーっと気持ちよく滑っていくと、その滝に打たれている存在がいて、その背中に水が流れていくのを感じました。
映画のシーンのようにくるくる視点が変わって。
滝に打たれている自分に意識が同化すると、それが前世の自分であり、滝行をしているうちに、意識が拡大して自然と同化し、雲になり全体を眺めてから、自分の背中と繋がっている川そのものになっていたことがわかりました。
滝行をすると意識が飛んで、自然と自分が一体化していたみたいでした。
見上げるといつの間にか夜になっていて、滝が落ちてくる岩壁の上に、月が出ていました。
次に、川岸の板状の岩に座り、焚火に当たっていました。
火を前に座禅を組んでいた私は、
自分を浄化すること、自分を向上させることに集中しすぎて、終わりのない修行を繰り返すことの愚かさを悟り、目を開けました。
例え未熟なままであったとしても、里に下りて、人々に直接出会い、教えを説き、救われない魂を救うことをするべきなのに、愚かなことをしている。
と思うのです。
昨日の朝前世にシンクロしようと思っていた、修行僧の前世にシンクロしたのかもしれません。
人里離れた渓谷まで山を伝ってたどり着いていて、そこで誰もいない場所で自分と向き合う日々を過ごしていたようで。
それでは誰も救えない。
技術がなくて救えないと思って自分を高めるために修行していたのにと悟ったというか。
なんだかおもしろいなと思いました(笑)