遊月(ゆづき)の日々これ修行なり~

パワースポット研究家(おたる案内人)でセラピスト遊月のブログ
【パワースポットニッポン(VOICE)北海道担当】

9月になると蘇るアトランティスの思い出

2024-08-26 09:09:28 | スピリチュアルエッセンス
こちらは、2002年5月2日発行のメルマガに書いたものを再び掲載します(*^_^*)

ここに書いた出来事があったのはある年の9月13日のこと。
あとちょうど一ヶ月で29歳になると思った瞬間に、何かが怖くなったのです。
あと一年、たった一年で30歳になってしまうと。

当時の私は20代まではまだ稚拙さが残っていてもいいが、30代からは完全に大人になっていなくてはいけないと勝手に思い込んでいまして。
それなのに、まだまだダメ人間で、全然理想に程遠い。
それなのにたった一年しか猶予がないと愕然としたのです。

その日を境に私が代わっていく出来事について書いています。

これまだアーカイブのブログにもアップしていないです。
文章はちょっと手直ししてありますが。



【見えないハードル】(メルマガ掲載のエッセイ)


私は昔とても苦しんだことがあった。
苦しみは、その苦しみを取り除くことで救われると思う。
でもその時の私には、自分が苦しいという感覚がわかるだけで、何故苦しいのかが分らなかった。

スピリチュアルとかニューエイジという言葉を知ったのはそう遠い昔ではない。
けれど、そういう類の知識を持たないままで、生まれながらにそういう世界に生きていた。
目の前の現実に名前や知識なんていらなかった。
世界がスピリチュアルそのものだったから。

実際は、知識を得ないままスピリチュアルの世界にいることが、すべていい方向に働くとは限らないと気付けずにいたのだ。

そしてそのまま大人になった。

生きていくうちに、どこからかずっと「違和感」を覚えて生きていた。
自分の居場所はココじゃない。
今私がしていることは私がすべきことじゃない。
漠然とそう思うけど、その本当の居場所も、本来すべきことも何かもわからなかった。
ただ違和感だけがあり続けた日々。

子供が生まれ、さらにもうひとり生まれた頃から、私は「本当の自分」と「今表に出ている、意図的に出している自分」とのギャップを辛いと感じるようになっていた。

2人目が生まれた後、そのピークはやって来た。
理由がわからないまま、自分が自分であることが辛かった。
正確には、私として表に出している人格を、これからも生きていくことがしんどいと思っていた。

魂は感じていたのだ。
これは魂が求める私の姿ではないと。
けれど当時の私は自分が魂の求める姿で生きていると勝手に思い込んでいた。

今なら、あの頃は表に出していた人格、私がそうなろうと努力していた人格は、「社会的に理想の人間像」であって、スピリチュアル的な「真実の人」ではなかったと気付ける。

だけど当時は、社会が求める人間像に自分を寄せていくことが正しいと思い込んでいたから、頭と心が乖離していったのに、それに気づけなかったのだ。

私は正しい生き方をしていて、正しいはずなのに、正しいと思えば思うほど苦しくなり、混乱した。
誰かに何かを教えて欲しかった。
私に何が足りないのか、どういう方向へ行けばいいのか、その取っ掛かりが欲しかった。
でも周りにそんな人はいなかったし、今と違ってスピリチュアルな本など、ほとんど本屋に並んでいなかった。

当時は営業の仕事だったので、時間の都合をつけることが出来た。
そして、自分が辛さで一杯になったと感じた日、私は出会った。
その看板には、『アトランティスのことを覚えているか?』と書かれていた。

そこは私の営業先からわずか1丁ほど離れたブロックにある店で、通りかかるたび、怪しい文句だとこっそり思っていた。
ひとりで入ろうなんて勇気がどうしてあったのか。
でもその日は、そこに行かなければ自分が壊れてしまうような気がしていた。

『私はね、本当は覚えているよ!』
そう自分に言い聞かせ、その店に足を踏み入れた。

店には、エジプトを感じさせる女性が居て、いくつか説明をしてくれた。
先生と呼ばれる気功師の方が、それぞれに必要な石を選んでくれるというので、お話してもらうことになった。
けれどその先生は、奥から出てくると、お店に立っている私を見て一言メモに書き記してすぐに奥に戻っていった。

受付の女性が先生から受け取って私に渡してくれた紙にはこう書かれていた。

『人のせいにしているうちは変わらない』

ちょっと待ってと思った。

その頃の職場や家庭の人間関係はひどかったが、その原因は常に相手にあると信じていた。
人のせいにするなと言うけれど、私に非はないのよ。あの人たちが一方的に弱い私をいじめているの。
それなのに何故その私が責められるようなことを書くのよ!

腹が立ち、この人は本物じゃないと思った。
とりあえず必要な石をいくつか注文したものの、心中穏やかではなかった。
メモを捨てたい衝動に駆られながら、とりあえずお財布に入れて、おもしろくない気持ちのまま帰っていった。
そして事件はその夜起きた。

夕飯の後片付けをしていると、突然奥の子供部屋から、1歳になったばかりの次男のけたたましい泣き声がしたのだ。
次男は基本的にあまり泣かない子供だった。
それだけにただ事ではないと駆けつけると、泣いている弟をどうしたものかと見詰める、1年生になったばかりの長男の足元に、次男は倒れこんでいた。
 
転んだだけかと抱き上げて私はゾっとした。
次男の口から、長男が大切にしていた戦闘用のおもちゃの剣がぶら下がり、そこから血が滴っていたのだ。
 
次男がその剣を咥えて歩いている姿を数回見かけいて、長男に、
「危ないから弟の手の届くところおいてはいけない、約束を守れないなら捨てる」と話していた矢先の出来事だった。

血を見て動転した私は、長男にこう言い放った。
あんたがおもちゃを出しっぱなしにした『せい』でこの子が怪我した!と。

病院に行くためにタクシーに飛び乗り、落ち着きを取り戻して気付いた。
私はさっき、あんな小さい子供に向かって、あんたのせいだときっぱり言った。
あなたのせいだとこの口はそう言っていた、と気づいたのだ。

車中で次男を抱きしめながら、長男の悲しみを思って涙が出た。
 
目の前で、自分が散らかしたおもちゃを口にくわえて転んだ弟が怪我をした。
どうしようと思っていると、そこへ追い討ちをかけるように、母親があんたのせいだとヒステリックに叫び、ひとりで寝なさいと怒りながら出て行った。
ああ、彼はその時どんな気持ちになったのだろう。
母親が飛び出して行ってしまったので、まだ小さいのに、ひとりで寝る用意をして、今ごろ布団でひとりで眠っているのかもと考えたら胸が痛んだ。

目の前の怪我をした次男も不憫だったし、ひとりで眠る長男も不憫だった。
あんなにも自分が情けないと思ったことはないほど私は落ち込んだ。
そんな母親にはなるまいと誓っていた姿に私はなっていたのだ。

本気で防ぐつもりなら防げる事故だった。
責任者を探すとしたら、よちよち歩きの赤ん坊から目を離した、その時家にいた唯一の大人の私であるはずなのに、
まだ子供の長男にその責任を押し付けて、私は悪くないと本気でそう思っていた。
そんな自分がとことん情けなくて、昼にもらったメモのことを思い出していた。
本当に私はいつも人のせいにしていたと。

次男の怪我は、出血の割りにたいしたことなく、上あごを数ミリえぐっただけで、消毒程度で治療は終わった。
夜間病院から帰ると、長男はひとり自分の部屋で眠っていた。
起こしてごめんねと謝りたい気持ちをこらえながら、泣きながら枕もとに座ってただただ頭を撫でていた。

私はその日をきっかけに、人が私に忠告してくれることは、その人の誤解なんかじゃなくて、本当に私の一部なのだと思うことにした。
少なくともその人にとって、私はそう映っている。
何かしらその要素があるのだと、まずは受け入れようと。

それまで私は、誰かのせいにしたことなんて1度もない、もし誰かのせいだと私が感じることがあったなら、それは本当にその人のせいなのだからと、1ミリの疑いもなく信じていた。

人のせいにするのをやめなさいと言われたときもそう信じていた。
その夜、まるで私に知らせるために起きたような出来事で目が覚めるまで、かたくなにそう信じていた。

そのことをきっかけに、不思議なことを正式に捜し求めることを自分に許可した。
あの先生のような人にいつかなりたいと思った。
まだまだ道は険しいけれど、ひとつひとつ丁寧に自分をよくしていこう。
そしてその道程で得たことをもとに、同じ道を後ろから歩いている人に道を示す人になろうと。

その後、『聖なる予言』という本に出会いそれを読み、自分の中に混沌と存在した何かが、すっと形になるのを感じた。
ずっと感じていたこと、進みたいと思っていた方向、その一部が見えた気がした。

オーラソーマにも出会い、魂の話をできる人たちに出会った。
自分の住む小さい地域の中だけでも、すばらしい人たちが大勢いた。
少しずつだったけれど、自分が本当に行きたい場所が見えてきた。

私は、私の魂が求める生き方をしたかったのだ。
言葉にすればくさくなってしまうが、本気でそういう生き方をしたかったのだ。
そんな生き方をしている人に出会い、やっと、自分がやりたかったことが見えてきた。

そのためにいくつも越えなくてはならないハードルがある。
そこまでもそのハードルはあったはずで、何度もそれに気付かされていたはずだった。
だけどそれまでの私は、そのハードルが目に入っていても、それが自分の超えるべきものだと思わずやり過ごした。
そんなはずはない。
わたしはちゃんとできている、と。

私に見えたハードルは、私が飛ぶために存在する。
そのことを知ることが出来てから、私はハードルがどんどん見えるようになった。(見えたからといって飛べたことにはならないけれども)

ハードルから逃げても、ハードルは消えたりしない。
ハードルが消える唯一の方法は、飛び越えることだけだ。
そのことを知ってから、少しだけ前にすすむのが楽しくなった。

苦しみも悲しみもすべて消え去ったわけではないけれど、少なくても苦しみを取り除く方法を、そのとっかかりを見つけられた私はしあわせだ。
時には勇気を出して、行動するのはいいことだ(笑)


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