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祈り
ことばに本気の心を乗せることができたなら、
祈りは最も強い愛の波動となって、
一瞬で宇宙の経てまでも届くんだよ。
だからあきらめないで、今日も世界のために祈り続けようね
ばいペンジェル
今日のメッセージは祈りで。
ほんとびっくりしました。
というのも、昨日のブログに、
はじめて作ったコトダマ、というプチエッセイを書いていて。
そこで思い出したことがあって、
ただ、
世界が平和でありますように
と言葉だけで祈るのももちろんいい。
何も祈らないより何倍もいい。
だけど、心の底から魂と一致した言葉であればあるほど、
その祈りには愛の力が加わり、さらに強まっていく、
ということを体験から感じたことをちゃんと伝えたいと思っていた。
昨日は時間なくて書けなくて。
どういうことかと言うと、
世界が平和になりますように
という言葉はコトダマとしてのパワーはもつけれど、
私の魂のエネルギーが必ずしも乗っているとは限らない。
というのも、
その世界にはなんとなくアバウトな感覚でしか捉えられないものがあり、
リアルに好きで好きで大切でたまらないものではないからだ。
それが、こどもたちがしあわせになりますように
だと、本気も本気大本気の思いを乗せられる。
もう、イチミリもウソがない感覚と言うか。
社交辞令的な感覚がまったくない。
でも、世界平和であればいいは、本気も本気ではあるけど、完全に自分そのもののすべてを注ぎ込むほどの熱意があるといえばウソになる。
でもそれが、
昨日の日記に書いたように、
私、私の家族、私の友達、だとしたらどうだろう。
世界より感情移入しやすい。
ちょっと話それるけど、ワンピース(漫画)に
ある人が、世界でたったひとり、世界を滅ぼす古代兵器を呼び起こす古代文字を解読することができて、そのためセイフにそれをさせられるかもしれない、という状況に置かれた。
それは世界を滅ぼすことに繋がるから、セイフに協力することを止めるよう働きかける人がいて。
でも、その古代文字を解読できる人は、セイフに協力しなければ、一緒に旅を続けてきた仲間を殺すと脅されていたことがわかったとき、その協力するのを止めようとした人は、それ以上何も言えなくなったというシーンが出てきた。
その古代文字を解読できる女性が言った台詞が私は大好きで、つい涙が出る。
それで世界が滅ぶとしても、その仲間のほうを選ぶっていうのか?
みたいなことに、彼らが無事に出航できるためなら(つまり殺されずに無事でいること)
たとえ世界が滅ぶことになっても、構わない!ときっぱり答えるのだ。
世界が滅べばどっちみち仲間も死んじゃうのに。
でも、それでもなお、仲間を殺すより世界が滅ぶほうを選ぶ。
そう答えたその人に何も言えなくなったとその止めようとした人が言うのもなんかわかんないけど感動して。
なんとなくそれに似ているんだと思う。
世界が滅ぶというリアリティより、目の前の大切な仲間が殺されるというリアリティこそが真実。
うまく言えないんだけど、世界を守るんじゃなくて、自分、自分の家族、自分のトモダチ、自分の仲間、と、自分からはじまって、リアリティのある関係がどんどん広がり、それがやがて世界になったとき、心からその世界を愛しているといえるし、心からこの世界を守りたいといえる。
外から世界というのか、自分から繋がっていく、内側から出た世界という言葉なのか。
その同じ世界が、という台詞でも、この感覚があるのとないのでは、強さが違うとそう思って。
世界が平和になりますように。
このときの世界は、どこかにある世界みたいな抽象的なものではなく、自分から繋がる大切な人たちで作られた世界。自分からはじまるこの大切な人たちの先に繋がる愛すべき世界。
これがね、平和でいられるように祈りたいというのは、誰の心の深いところにも存在していると思う。
そう祈れない状態の人もいると思うからこそ、そういう人もまた、心に平安を持っていられるような『世界』になってほしいと今すぐ祈れる!
これを読んだ方はきっと、それを祈りたいかと聞かれたら、祈るくらいならって感じでもなんでも、きっと祈ってみたいと思ってくれると思う。
読んだ人がね、そうただクチにするだけで世界は昨日より平和になる。
地球ポイント(笑)は、昨日より上がる。
だから祈り
はすばらしい!!
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