☆Lorosae(太陽が昇る)ブログ☆

ロロサエという言葉は、東ティモールで使われているテトゥン語で、つまりは「日の丸」です。

サクラ咲く

2015-03-31 22:07:42 | 日記


桜が咲いていた。

先週末、膨らんだ蕾を見て、土日を過ごした。

そして、月曜日、職場に行く電車から見える桜さくら

これは、目黒川沿いも咲いているのでは??とお使いのついでに遠回りしたらば!!!

咲いていました!!!!!



東急東横線の中目黒駅から見える桜は、霞か雲かを味わえます。
下から撮ってみる中目黒駅。





明るい時間帯だと月が映るのが嬉しい。



桜、ほんとに綺麗です。

今週中に花吹雪まで進みそうです。

映画「ポセイドンの涙」を鑑賞しました

2015-03-22 20:15:07 | 映画の感想
3月20日まで上映していた、「ポセイドンの涙」を観ました。
関東では渋谷だけ、大阪でも一カ所だけ、
全国で二か所だけで上映されていた映画でした。


ポセイドンの涙は、東日本大震災の時に活動していた自衛隊のうちの、海上自衛隊の活動に焦点を充てた内容で、
当時の様子をそれぞれの自衛官、そして、被災されたそれぞれの人との、点が線になる内容でした。

子どもが、「ここに玄関があって、ここに階段があって、ここに窓があって、また暮らしたいな」
と、津波で流された家のことを、更地になった場所で紹介する場面に、ほんとに、酷なことが起きたのだなと実感しました。

横須賀には海上自衛隊の基地があり、太平洋沿い、福島県・宮城県・岩手県までは、横須賀が担当するそうです。
東日本大震災の時、横須賀軍港めぐりのフェイスブックに公開されている文章によると、護衛艦さわゆきが最初に向かい、最後までいたそうです

引用】「2011年3月11日(金)午後2時46分、東日本大震災が発生。
横須賀も大きく揺れ、港内は波が立っているのがはっきりと目視できるほどだったと言います。

その直後の午後2時52分には、早くも自衛艦隊司令官が出動可能な全艦艇に出港命令を出します。
ここから、海上自衛隊の長い闘いが始まりました。

当時横須賀港に停泊していたすべての艦艇は直ちに出港準備を始め、発災からわずか43分後の午後3時39分、真っ先にこの「さわゆき」が港を離れ、いち早く被災地に向かったのです。
その後、午後3時45分に試験艦「6102 あすか」が出港したのをはじめ、横須賀港の艦艇を含むおよそ60隻の艦船が東北沖に集結。災害派遣作戦が展開されました。
その中で「さわゆき」は、一番最初に被災地に行き、最後まで残って活動をしていた護衛艦なのです。」

その「さわゆき」は、去年除籍となったそうです。

そして、

引用】「横須賀港に今日も停泊している護衛艦「181 ひゅうが」も、災害派遣で活躍した1隻。
この船は、米軍が展開した「トモダチ作戦」との調整役としても、重要な役割を果たしました。

しかもこの船は震災当日はたまたまドック入りしていたのですが、何と翌日には被災地に駆けつけるという離れ業をやってのけました。
この「ひゅうが」は転籍のため、まるで3.11を見届けるようにして、間もなく横須賀を離れ、京都・舞鶴基地へ旅立ちます。」

私がはじめて護衛艦ってすごいと感心をもった、ひゅうがも、除籍になりました。
ひゅうがは、今、舞鶴に、いるようです

この映画がまた上映されるかどうかは分かりませんが、
自衛隊の講義に使われそうな感じも否めませんが、実際自分がもしも人助けをして、その助けた人が
あまりにも酷い状況だった時、自分に会ってしまったら、嫌だったことを思い出すのではないか。

また、自分が誰かに助けられて、だけど、助けられたことを、当然と思うのか、人として有難いと思うのか、
そういう部分を見つめる時間になる気がします。

もしも、また上映するようだったら、観て欲しい映画です。


:参照:

海上自衛隊 活動内容 東日本大震災

「海が震えた日」、地震直後の横須賀港で何が?-軍港ブロガーの記録 横須賀経済新聞
では、
引用】「15時32分、海自試験艦「くりはま」が一番手で出港。15時54分に護衛艦「はるさめ」、その後、特務艦「はしだて」、護衛艦「おおなみ」、掃海艇数隻が出港。16時22分にイージス艦「ちょうかい」が出港。浦賀水道にいた民間艦船は緊急出動する「ちょうかい」に航路を譲ったという。(「ちょうかい」は13日、福島沖15キロで漂流していた男性を救出した)」

とあり、実際はどの護衛艦が最初に起動したのか、記録をたどらないと分からないかもしれません。

海上自衛隊の3.11の様子を参照できるブログ「ふりかけ日日日報
20150311 快晴横須賀(速報)
『YOKOSUKA軍港めぐり』(0416)「東日本大震災 災害派遣継続中」

いわて若者文化祭と、あまくらぶと、臼澤みさきさん

2015-03-17 21:27:13 | 旅行
昨年の2014年11月15日~16日にかけて、岩手県で、若者の力を発揮し集結させるイベント、
いわて若者文化祭」というのがありました。

知ったきっかけは、相変わらず、岩手ぴこ専門官のツイートでありましたが、
岩手県では、あまくらぶという海女さんで高校生の北三陸PR軍団、そして、臼澤みさきさんという、
被災地に生まれ育った歌姫がいて、それぞれを好きになりました。

この、あまくらぶと、臼澤みさきさんはどちらもまだ10代で、あまくらぶのメンバーは高校卒業とともに、
各自が北三陸観光大使に任命され、いまは卒業したことになっています。

臼澤みさきさんは、幼いころから民謡を習っていたそうで、歌声が(も)素晴らしいです。

自分が中学生や高校生の時に震災を体験していたら、どうだっただろう。
この女性たちを見るにつけ、自問自答する存在でした。

でも、だんだんだんだん、エンターテイナーとして力を蓄えていき、
いろいろ考えるより、楽しむようになってきたのが最近の心境です。

で、いわて若者文化祭、いろんな催しを各所で行っていましたが、
同時に、紅葉も見たかったので、見たい演目の時間に間に合うように、観光も楽しみました。

見たかったのは、岩手大学生の、さんさ踊りと、種市海鳴太鼓と、高松の池をテーマにつくられた映画です。

映画は、オムニバス形式でした。やっぱりさんさ踊りが出てきて、盛岡市民にとって、さんさ踊りは血や肉なのだと思いました。

種市海鳴太鼓は、ドラマのあまちゃんでお馴染み「南部ダイバー」になれる学校がある種市の、船の安全などを祈願する太鼓だそうです。

やはり津波による被害があり、後継者や太鼓そのものが流されるということがあったそうですが、劇団わらび座の方が協力して、今、その太鼓は、鳴りつづけることができているそうです。

そして、岩手大学生のさんさ踊り。

限定数だった、学生さんのつくった「りんごのお菓子」も入手し、街が文化祭をしている空間は、とても面白かったです。

臼澤みさきさんも出演されたようでしたが、見られませんでした。

今年もあるのだと思います。その時、あまくらぶの個々の活躍も、見られるのかな?と期待しています。

あまちゃんのど自慢大会に出てきました

2015-03-15 22:08:36 | 旅行
潮騒的MEMORY(潮騒のメモリーの中文替え歌を勝手に作成してみました)

2014-09-12 22:23:43 | 作品

で投稿した歌を、岩手県久慈市の「やませ土風館」で行われた「あまちゃんのど自慢大会」にて歌いました!
(2015.02.28 10:30~ の、イベントでした)

中国語をあてはめて勝手につくった潮騒のメモリー

震災があって、テレビで避難所の光景をみるにつけ、東北の人は歌が好きだから、
のど自慢大会をしたらいいのにと思っていたところ、2013年にあまちゃんのど自慢大会を開いたというのを見て、
またあった時、出てみたいと思っていました。

でも、なんの歌でもいいわけではなく、あまちゃんの恰好をするか、あまちゃんの歌を唄うか
更に、自分が育った横浜の味を出すとしたら、それは、あまちゃんは台湾でも人気だというし、
中国語圏の人が、久慈市にいったとき楽しめる遊び唄があってもいいのではないか。

更に、歌詞は単語の詰合せなので、中国語を知らない自分みたいな人が、
お土産屋さんなどで働いていたら、コミュニケーションに使えるのではないか

そう思い、作成しました。

歌声はカラオケ屋さんで収録したもので、ちょっと乱雑な歌声ですが、
その発音をここでするという目安に、見てみてください。

この大会では、特別賞をいただきました。
久慈市の皆さま、ありがとうございます。

そして、あまくらぶの定期公演を見ました。
遠くから見てました。
息をひそめて見てました。
あまくらぶへの想いは、また別に載せます。

…白樺号で盛岡から一緒だった方、のど自慢を観に来てくれて、また、お土産までくださいました。

ひとり前夜祭では、自衛隊岩手地方協力本部 二戸地域事務所の協力隊をされている「澪」の奥様に、お会いできました!

この、あまちゃんのど自慢に出た後、三陸鉄道を楽しもうと久慈の街に出たら、
ちょうど久慈市にいらっしゃっていた、小泉進次郎さんと、
そして、久慈市長さんがいらっしゃいました。

久慈市長さんは、一度お会いした(あまちゃんオフ会でのツアー参加時)だけですが、
さすが観光地の市長さん、自分のこと、覚えていてくださっていました。

とにもかくにも、小泉進次郎さんに興奮した私は、
「自分は神奈川県から来て、のど自慢に出た」と、片言になってしまう日本語で伝えたら、
「なんですって?!」と喜ばれ、一緒に写真を撮ってもらいました。
いつも持ち歩いているスカレーを出さなかったこと、
また、せっかく偶然いらした久慈市長さんと3人でも撮ってもらえばよかったこと、
いろいろ悔やんでいますが、小泉進次郎さん、めちゃくちゃ爽やかでかっこよかったです。

本当に、記念になる一日でした。
応募してみて、よかったです。
久慈市観光物産協会の皆さま、ありがとうございました\("jjj")/

更新予定メモ

2015-03-08 21:55:34 | 日記
またまた、ブログの更新内容がたまっているので、メモします。

☆また岩手県にいきました。

今回は、

高松の池で納得するほど白鳥を撮影してきたこと。

久慈市では、あまちゃんのど自慢大会に出場したこと、久慈市長さんと小泉進次郎さんに偶然お会いできたこと。
あまくらぶという、高校生で海女さんという「あまくらぶ」の最後の定期公演を見に行ったこと。

大船渡で、迷子になったこと。

それから、見にはいけませんでしたが、3月7日、デビュー以来応援していた「あまくらぶ」が卒業公演を無事に終えました。
今日の東京新聞に、特集が掲載されていました。

ではでは

世界の時間