☆Lorosae(太陽が昇る)ブログ☆

ロロサエという言葉は、東ティモールで使われているテトゥン語で、つまりは「日の丸」です。

映画「ポセイドンの涙」を鑑賞しました

2015-03-22 20:15:07 | 映画の感想
3月20日まで上映していた、「ポセイドンの涙」を観ました。
関東では渋谷だけ、大阪でも一カ所だけ、
全国で二か所だけで上映されていた映画でした。


ポセイドンの涙は、東日本大震災の時に活動していた自衛隊のうちの、海上自衛隊の活動に焦点を充てた内容で、
当時の様子をそれぞれの自衛官、そして、被災されたそれぞれの人との、点が線になる内容でした。

子どもが、「ここに玄関があって、ここに階段があって、ここに窓があって、また暮らしたいな」
と、津波で流された家のことを、更地になった場所で紹介する場面に、ほんとに、酷なことが起きたのだなと実感しました。

横須賀には海上自衛隊の基地があり、太平洋沿い、福島県・宮城県・岩手県までは、横須賀が担当するそうです。
東日本大震災の時、横須賀軍港めぐりのフェイスブックに公開されている文章によると、護衛艦さわゆきが最初に向かい、最後までいたそうです

引用】「2011年3月11日(金)午後2時46分、東日本大震災が発生。
横須賀も大きく揺れ、港内は波が立っているのがはっきりと目視できるほどだったと言います。

その直後の午後2時52分には、早くも自衛艦隊司令官が出動可能な全艦艇に出港命令を出します。
ここから、海上自衛隊の長い闘いが始まりました。

当時横須賀港に停泊していたすべての艦艇は直ちに出港準備を始め、発災からわずか43分後の午後3時39分、真っ先にこの「さわゆき」が港を離れ、いち早く被災地に向かったのです。
その後、午後3時45分に試験艦「6102 あすか」が出港したのをはじめ、横須賀港の艦艇を含むおよそ60隻の艦船が東北沖に集結。災害派遣作戦が展開されました。
その中で「さわゆき」は、一番最初に被災地に行き、最後まで残って活動をしていた護衛艦なのです。」

その「さわゆき」は、去年除籍となったそうです。

そして、

引用】「横須賀港に今日も停泊している護衛艦「181 ひゅうが」も、災害派遣で活躍した1隻。
この船は、米軍が展開した「トモダチ作戦」との調整役としても、重要な役割を果たしました。

しかもこの船は震災当日はたまたまドック入りしていたのですが、何と翌日には被災地に駆けつけるという離れ業をやってのけました。
この「ひゅうが」は転籍のため、まるで3.11を見届けるようにして、間もなく横須賀を離れ、京都・舞鶴基地へ旅立ちます。」

私がはじめて護衛艦ってすごいと感心をもった、ひゅうがも、除籍になりました。
ひゅうがは、今、舞鶴に、いるようです

この映画がまた上映されるかどうかは分かりませんが、
自衛隊の講義に使われそうな感じも否めませんが、実際自分がもしも人助けをして、その助けた人が
あまりにも酷い状況だった時、自分に会ってしまったら、嫌だったことを思い出すのではないか。

また、自分が誰かに助けられて、だけど、助けられたことを、当然と思うのか、人として有難いと思うのか、
そういう部分を見つめる時間になる気がします。

もしも、また上映するようだったら、観て欲しい映画です。


:参照:

海上自衛隊 活動内容 東日本大震災

「海が震えた日」、地震直後の横須賀港で何が?-軍港ブロガーの記録 横須賀経済新聞
では、
引用】「15時32分、海自試験艦「くりはま」が一番手で出港。15時54分に護衛艦「はるさめ」、その後、特務艦「はしだて」、護衛艦「おおなみ」、掃海艇数隻が出港。16時22分にイージス艦「ちょうかい」が出港。浦賀水道にいた民間艦船は緊急出動する「ちょうかい」に航路を譲ったという。(「ちょうかい」は13日、福島沖15キロで漂流していた男性を救出した)」

とあり、実際はどの護衛艦が最初に起動したのか、記録をたどらないと分からないかもしれません。

海上自衛隊の3.11の様子を参照できるブログ「ふりかけ日日日報
20150311 快晴横須賀(速報)
『YOKOSUKA軍港めぐり』(0416)「東日本大震災 災害派遣継続中」

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