☆Lorosae(太陽が昇る)ブログ☆

ロロサエという言葉は、東ティモールで使われているテトゥン語で、つまりは「日の丸」です。

大船渡つばきまつり

2016-02-14 15:14:02 | 旅行
大船渡の「つばきまつり」の会場への行き方がようやくわかって、2月13日、釜石駅から三陸鉄道で、盛駅へ行きました。

昨年、椿が咲く時期に行けたのですが、下調べではまだ大船渡線があった頃の情報を見ていたようで、細浦駅から大船渡港を見て、前回は時間切れとなりました。

三陸鉄道の「つばきまつり号」、偶然です。



朝日が昇るころ乗った三陸鉄道、まだ太陽が届かない眠たげな色の海。

三陸沿岸の景色は大きなガラス瓶にとじこめたくなるぐらい美しいです。



世界の椿館・碁石への行き方です。

盛駅から、碁石海岸行のバスが往復3便出ています。行って戻るまでのバスの時間分、存分に楽しめます。

今回は釜石に宿泊したので、三陸鉄道で降りた時間とバスの時間のあいだが結構開きましたが待合室に飽きさせない工夫が沢山あり、「おおふなと昔がたり 合併継承2013第19号」という冊子をみつけました。



震災のことを伝えようとしたものに気付かなかった暮らしがあったことを戒める内容の投稿が記載されています。

そうこうしているうちに、バスが来て、乗りこみます。



盛駅から碁石海岸への道は復興工事現場を通る道で、高台を走る道で、乗るだけでも現状を把握した気持ちになれたり、風光明媚さに心奪われる路線です。





そうこうしているうちに、世界の椿館につきました。バス停から道路をわたったすぐそこです。



椿は、今まさに花開く時を迎えています。良い香りがします。



バス停すぐ近くにはレストハウス、そして碁石海岸です。



三陸ジオパークのホームページでは夏に楽しめるレジャーが紹介されています





美しいです。

11時から、食堂が開いて、さんまラーメンを食べました。碁石海岸のレストハウスのさんまラーメン、今月末から放送されるテレビドラマ「恋の三鉄 列車コンで行こう!」とコラボした特製さんまラーメンが今後味わえるらしいです。



さんまは味醂干しのもので、南部鉄器で注文を受けてから焼くそうです。
焦げ目がしっかりついて香ばしくそれでいて身がほわほわです♪出汁もさんま。さんまの香りです。


この、バス停碁石海岸エリアは、世界の椿館、碁石海岸、レストハウス、そして、大船渡市立博物館もすぐそばです。



レストハウスから自転車を借りて楽しむこともできるようで「大船渡市」のシール付自転車、並んでいます。

時間が来たので、最終バスに乗り込み盛駅へ。

盛駅で、もう一つの目的地、「ちっちゃなクレープ屋さん」に行きました。

何回か、お店までは行ったことがあるのですが、偶然お休みだったり文化祭に出店中ということだったりで、食べるのははじめてで、しかも、椿の咲く頃だけの「つばきクレープ」を食べることができました!



この「つばきクレープ」、旅行前に知ったのですが、大船渡で世界椿サミットが開催される年が2011年3月19日、20日だったのだそうで、そこでお披露目されるクレープだったそうです。

世界の椿館に行くとほほぅと思うのですが日本原産である椿(Camellia)は世界中で品種改良され、愛でられています。

椿を紹介できる場所は日本を紹介できる場所でもあると思えました。

海、松、断崖の絶景。秋刀魚、鹿踊り、椿。

路線バスで行けるところです。

ちっちゃなクレープ屋さんは、盛駅の駅舎を背に、右へまっすぐいったところ。
クレープ屋さんを出て、信号を渡ると、左手にTHE BURGER HEARTS(ザ バーガーハーツ)というアメリカンなお店があります。



そこでは、恋し浜のホタテをつかった恋し浜バーガーが食べられます。



タルタルソースがきいてて(大船渡牛乳なるものもあるようで、乳製品も滋養豊富で新鮮なのだと思います)すっごい貝柱のまっすぐ具合、丈夫具合、すごいです。



食べ終わって信号のあった道にもどってしばらく行くとサンリアショッピングセンターがあり、そこで盛岡行のバスがあることを、深夜バスではなく4便往復していることを知りました。



路線バスを制するものは岩手を制す。

乗ってみたいです。

今年初三陸鉄道は、釜石から盛への列車でした。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

りくぜんたかたウェルカムバックツアー2016 ツアーの〆はボランティアの拠点基地

2016-02-07 23:30:00 | 旅行
このツアーの最後は、矢作小学校が簡易宿泊所【二又復興交流センター】となっている場所です。

今回、陸前高田へ行く時、一番見たかった光景があります。
それは、2015年に戻ってきたという白鳥が、ベルトコンベアーがなくなった広い空を渡っていく姿です。

脇ノ沢漁港から陸前高田市役所の脇を抜けて、坂道をあがりつつあるとき、バスの窓から、真っ白い鳥が羽を動かして一羽飛んでいくのが見えました。

白鷺が一番紛らわしいのだけど、顔に黒い白鳥の特徴があって、あ!白鳥だ!!と分かりました。

一羽だけの姿だったけど、見ることができました。

他に、猛禽類も広々と飛んでいます。



行く途中に撮った、大船渡線の線路



そして到着。おもいきり小学校です。





矢作小学校は震災があった年の3月で廃校となったようです。
校章、たかたのゆめちゃんっぽいねって、ゆめちゃんファンの方々と会話してました。ゆめちゃんぽいですよね。

日直ってかきたくなる黒板。二月だから、鬼の絵がかいてあります。



子ども達とつくったと思われる観光地図。小さい子でも行ける場所の証拠です。



ここではめぐ海のおやきの工房めぐ海の方々によるハレの日の御煮しめとおにぎりと、そして、陸前高田のあたりでは「はっと汁」と呼ばれているそうなのですが、「ひっつみ汁」と紹介された汁もの。すっごく美味しかったです。



複数人で泊まりこむのに、とても素敵な施設だと思います。
そして、甘酸っぱい小学生気分や、学校の先生気分を味わうのにも最高の施設です。

ここで、今回のツアーはおしまいでした。



陸前高田からの帰り道、すごく高い道を走ってバスは行きます。
すぐ山、すぐ海、だからこそできた、ここだけの景色、味があると思いました。

陸前高田をはじめ、三陸海岸が一致団結したら、凄まじい観光エリアになると思います。

いいところが共有できて、移動しやすさが整ったら、こんな風に簡単に近づけないくらい予約待ちの空間になるに違いないです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

りくぜんたかたウェルカムバックツアー2016 陸前高田の牡蠣!編

2016-02-07 23:00:00 | 旅行
このツアーにおける、ものすごい重点的な場所、脇ノ沢漁港の視察です。

震災後の陸前高田しか知らず、工事現場であり、近づきにくい場所であった海。

遠くからは見たことのある海。

今回のツアーで初めて間近で見ることができました。


2016年2月7日の広田湾です。



船、見てください。日本テレビの24時間テレビ、すごいと思いました。





陸前高田の牡蠣は、前年、川崎フロンターレのイベントで神奈川県川崎市で食べられるチャンスはあったのですが、
三陸パエリアに並んだあとでいいやぁなどと思っていたらアッという間に売り切れいていたのでした。
川崎フロンターレは岩手県陸前高田市を応援しています

その後、ツイッターで流れてきた写真に、川崎フロンターレの選手が陸前高田を訪れ、漁港で牡蠣を食べていました。
その場所に来ています。参照:フロンターレ日記



大和田水産に、川崎フロンターレのポスター!


陸前高田の牡蠣は。銀座あたりで、すごい時は一つ2千円の値がついたこともあるそうです。
そのぐらい水質が良好であり、そして、灼熱の真夏、お湯につけて養分を吸い取ってしまう貝から牡蠣を守る作業など、こまごました手間がかけられています。

大和田水産の代表取締役、大和田さんの話によると、震災後、沢山のボランティアの方々が助けにきてくれたそうですが、今でも印象深いのは、半年ほどいた、近くの小屋を仮住まいにし、洗濯物は近くの川で。体が汚れれば海につかり、手伝ってくれた方。
千厩の奥あたりの空き家を借りて、一年通いつめてくれた元警察官の方。この二人に関しては、実際どこかで同じような災害があった時、自分も同じことができただとうかと思えるほど、献身的に支えてくれたそうです。

どれほどの回復ができたのか、牡蠣を食べてみないと分からないということで!試食タイムが!!



めっちゃくちゃいい香り、真珠のような輝き



そしてそして蒸した牡蠣もさることながら、社長夫人自らつくってくださった牡蠣の煮しめというのでしょうか牡蠣スープ!
固形スープの素にしたら売れるんじゃないの?!というぐらい、うどん入れたい、餅入れたいという気持ちが止まらない牡蠣味凝縮の、雪どけ水が流れてくる場所の特権のような甘い水による、やわらかい、おいしい味!!!



大和田水産の牡蠣は、昨年復活したふるさと納税でのお礼品になっているようです

おいしい思いをして、それで感謝されるなんて不思議な気分ですが・・・

漁港の奥の方、地盤沈下しているのが分かります。



まだまだ、まだまだ、はじまっていくところです。



今年のゴールデンウィーク、旅行に行くなら、あの時テレビやラジオで耳にした陸前高田を選んでみてはどうでしょうか

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「りくぜんたかたウェルカムバックツアー2016」 普門寺編

2016-02-07 22:07:35 | 旅行
2月7日 朝、陸前高田の街は、新しくできた公営住宅の向こうから朝日が昇り、明るい陽射しに包まれました。



写真は、キャピタルホテル1000からの眺めです。

この日は東日本大震災にて、陸前高田の方々を弔い、また、まだみつからない(判明していない)方々の身内の方々の心のよりどころとなっている「普門寺」と、ボランティアの方々の手伝いにより復活をとげた牡蠣の養殖をしている漁港の視察という内容です。

海辺の街では雪はありませんでしたが、普門寺周辺にはずいぶんと雪が残っていて、寒暖の差が一つの市内に明確にあることが印象的でした。



気仙大工さんの手によると思われる精巧な造り。

このお寺の中には、盛岡の女性が手掛けた、高田松原の海辺をモチーフにした祭壇と呼ぶのか、様々なかたちで陸前高田へ奉納された仏様が並んでいます。

真っ白い砂浜、雲の上。

悲惨な災害が起きた時、現れ、一瞬にして楽に天界へ導くという菩薩様と呼ぶのでしょうか、その姿の絵などが置かれています。



蓮の絵だけ、岩手の蓮めぐり用に撮影しましたが、仏像に関してはカメラを向けませんでした。



また、ねがい桜という、散らない桜に願いをこめた奉納品が祀られています。


もともとお寺というのは、世界中の取り決めというのか、何かあったときの避難所のような場所で、宗派を超えて助け合う場所になっていたりします。
なので、見知らぬ土地で疲れ果てて困った旅人が、お寺に泊まるという昔話があったりします。それが外国人であった場合、お寺は領事館などの役目をになったりしています

でも、津波があったとき、高台にあるこのお寺に、誰も来なかったそうです。
ほんのしばらくのち、福井県の職員さんたちが(さすが永平寺のある福井県)、手助けに来たとき、ここを宿としていたそうです。



亡くなった方々のご遺体を、最初は土葬される予定だったそうです。
でも、埋めるにあたって、土をならさないとならない。
そして、その人数は日に日に多くなり、千葉県より、こちらで火葬しましょうということで、
300名の方々が、千葉県の空の煙になっていったそうです。

お骨になっても、いまだ、DNA鑑定により、どこの誰であったのか、わかっていない方がいるそうです。

陸前高田という場所を知ったのは、たかたのゆめちゃんというキャラクターですが、東北の震災後、放射能の影響で、京都の大文字焼きに使われるはずだった松の薪から放射能の反応が出たということで、中止になったニュースはよく覚えていました。

自分の親戚がその大本になった地域に住んでいて、農家をしていて、放射能の影響で全部伐り倒すことになったことを知った頃だったので、関西の対応に腹をたてながら見ていたのを覚えています。

その大文字焼きにつかわれるはずだった薪の芯の方からは何の反応もなかったので、京都の学生さん達が仏像を彫ったそうです。そしてそれを、普門寺へ奉納したそうです。

そんな顛末があったことを、自分は一切知らず、その後の顛末に、興味を持たず過ごしていました。

参加してよかったと思いました。



以前より陸前高田を旅していて、蓮が咲くところはどこかにないかなと思っていたら、ここ普門寺に、平泉の蓮が咲くことを知りました。



まだまだこの日は氷の奥の蓮ですが、夏に、必ず、行ってみたいです。


津波の被害に遭われた陸前高田の方々と同じ数になりつつあるという仏像、そして、五百羅漢。



椿の花はまだ固いつぼみでしたが、多分きっと、3月11日には、花が咲くのだと思います。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「りくぜんたかたウェルカムバックツアー2016」 キャピタルホテル1000編

2016-02-06 22:00:00 | 旅行
岩手県北観光が企画したという陸前高田市を楽しむイベント
楽しめるようになった、ボランティアの方々への感謝のイベントなるものに、たかたのゆめちゃんが来るということで、
図々しくも参加したことを数回にわけて、綴りたいと思います。

2月6日、一ノ関駅からのバスに乗り参加しました。
千厩は、ひな祭りの準備で、通り道に華やかな幟がたっていました。

渓流を見ながら、北上川を渡り、いつの間にか海になり、気仙沼に入りました。

そして、張り巡らされたベルトコンベアーが役目を終え、解体され、橋っぽい部分が残されていて、見えやすくなった奇跡の一本松が見えてきて、まずは、慰霊碑へ、挨拶をし、黙とうをしました。





空が広くて広くて、がらんどうという言葉が浮かびました。

土だらけで、空だらけ。

そして、宴の会場となる、キャピタルホテル1000に入りました。

私の一番の目当ては、陸前高田で食べる三陸パエリアです。



三陸パエリアだと広範囲をさすようで、陸前高田に特化したパエリアには「にゃむにゃむ」という名称がついていました。監修したシェフ栗原靖武さん自ら調理していただき、壇上で解説もされました。
ピースサインではなく二種類のパエリアだという紹介のシーンをパチリ。



この日は、クリガニや牡蠣などの贅沢海産物のパエリアと、それから、生まれてはじめて食べる鹿肉のパエリア、二種類が用意されました。






シカ肉のパエリアです。生姜の効果なのか鹿肉の特徴なのか、マグロに近い食感で臭みなどは一切感じませんでした。

その他、ホタテが使われているか、ビンビンな歯ごたえの貝柱が入ったかき揚げや、大きい牡蠣をつかった料理、可愛いケーキ、鶏肉の料理、お寿司!そしてワカメのしゃぶしゃぶ!!


いろいろあったけど、パエリアに感動しているうちに即売り切れ、みんなみんな、舌鼓、お腹の中へ消えていきました☆

氷上太鼓の演奏のとき、手拍子の誘導があって、陸前高田で、手拍子をしたことが妙に感慨深かったです。
振動が、空まで届いたらいいのにと、勝手な気持ちを抱きました。



動く七夕、見に行ってみたいと思いました。

市長さんの話によると、震災のあった3月11日、新しい体育館ができて、そのお祝いを言いに、午前中、市長さんはその学校の、体育館の壇上にあがったそうです。そして、その日の夜、その体育館は、避難所となったそうです。

りんご系アイドルグループ、アップルガールズの皆さんと、たかたのゆめちゃんによる、やなせたかしさんが作ったという「一本松音頭」、この踊りは、ボランティアで来て下さった全国からの皆さんをもてなすために生まれた踊りなのだそうです。



そして、手土産に林檎をくれました。





ゆめちゃんも「今日の舞台よかったねー」って言っているかのような一枚。

そして、盛岡さんさ踊りの加藤家の皆さんが現れました
まさか陸前高田で、さんさ踊りが見られると思っていなかったから、すごく嬉しかったです。





加藤家の皆さんは、陸前高田市の文化会館建築へ支援をしたシンガポールにて盛岡さんさ踊りを披露して、そして、シンガポールに、陸前高田の方々を代行してお礼をしたそうです。その時に預かったお手紙を、陸前高田市長に届けることも兼ねて、来たそうです。

「幸乎来チョイハヤッセ」を、陸前高田で。



参加した人数よりおもてなしに来て下さった地元の方の方が多いイベントでした。



右の奥に写っている若い女性は、「みなみの福興ラジオ」のDJ、美南さんです
今回の司会は、小笠原聖さんと美南さんが担当していました。



市長さんとゆめちゃんをパチリ。

宴が終わって、やってやるぞという空気に包まれた熱気さめやらず、キャピタルホテルの夜、星を見に外へ出ました。

工事現場を知らせる二色の灯りが点滅している夜の陸前高田市。
空を見上げるとまあるく見えて、オリオン座と、北斗七星が分かりました。

波の音がささやかに聴こえた夜でした。

今年の初岩手旅行、目的地は、陸前高田市でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界の時間