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『捜査官X』で、徐百九さんが劉金喜の出身地について疑問を抱くきっかけとなったのは、村の酒場のテーブルに置いてあったという"却鬼丸"。
金喜が荊州出身と言いながら、却鬼丸を知らなかったということが、捜査官のアンテナにひっかかります。
この却鬼丸について、次郎藍天さんが、さっそく調べてくださいました。
春節の行事~「卻鬼丸」! 詳しい説明はこちらへ。
私は、ちょっとおまけを。
正月に魔よけとして却鬼丸を身につけるという風習について書いてある「荊楚歳時記」ですが、中国、南北朝時代の荊楚(現在の湖北・湖南省)の年中行事を記した書で、6世紀中ごろの成立といわれています。
実際に民間に行われた生活や習俗をありのままに記した書として、広く引用されるようになったそうです。
奈良時代、日本にも伝わり、影響を与えています。
たとえば、正月のお屠蘇や、3月3日の曲水、5月5日の菖蒲なども、この書と関係があると考えられています。
博識な徐百九さんのことです。きっと、この書物のことも知っていたにちがいありません。
「荊楚歳時記」に記されている風習なのだから、荊州出身者が知らないはずはないと。
却鬼丸は「荊楚歳時記」の中の正月の食べ物飲み物についての項に出てきます。
是において、長幼悉く衣冠を正し、次を以て拝賀す。
椒柏酒を進め、桃湯を飲み、屠蘇酒・膠牙湯を進め、五辛盤を下し、敷于散を進め、却鬼丸を服し、各おの一鶏子を進む。
凡そ飲酒の次第は小より起む。
梁、天下をたもち、葷を食わず。
荊、此れより復た鶏子を食わず。
以て常則に従う。
「却鬼丸を服し」とあるので、これが薬だったとわかります。
これが、魔よけとして身につけるものになったのは、あるエピソードから↓。
その昔、人には見えないさまざまな鬼が見える劉という男がいた。
劉は、正月に市場で一人の書生を見かける。
その書生が近づくと、鬼が一斉に逃げ出すのが見えた。
いったいどういう術を使ったのかと劉がたずねると、
「出かけるとき、先生に丸薬を一つ袋に入れて肘にかけて持って行くように言われたんです。悪い気が払えるからと」。
それを聞いた劉は、その丸薬を借りて、鬼の居る所へ持って行ったところ、鬼は、ことごとく逃げ出した。
それ以来、世間では、武都雄黄丹散二両を蝋を使って丸め、正月に男は左の肘、女は右の肘につけるようになった。
これは、「荊楚歳時記」の注に他からの引用として書かれています。
また、別の書物「歳儘応制」には、大晦日の夜、朱泥を使って却鬼丸を作る風習があるという説明もありました。
6世紀中ごろからあるというこの却鬼丸の風習は、今、どのぐらい残っているのでしょうね。
詳しく調べて下さってありがとうございます\(^_^)/
それにしても、卻と却、同じ繁体字でも台湾版と香港版で漢字が違うなんて思いもよらずでした。
そして次郎藍天さん仰るように繁体字にも地域差あるのはまた一つ学びました~~
私は香港版見たんですが字幕では繁体字簡体字でも「却」ですね~。
こちらこそ、画像も含め、わかりやすくアップしてくださってありがとうございました。
「歳時記」だけあって、俳句協会のブログにもこの風習についての記述が引用されていて、日本でも知られているんだなと。
台湾版と香港版では、セリフもいろいろ違うんですよね。
普段はあまり注意を払っていないだけに、気付いてびっくりでした。
コメントに書いておられたように、龍眼のような何かの実に見えますよね。
それが、丸薬だったとは。
あの大きさでは、もはや薬として飲み込むのは無理ですね。
今度、中国の知人に会ったら、「却鬼丸って知ってる?」と聞いてみることにします。