ドラえもんでのび太がプレゼントでよくもらってた。
夏休みに感想文を書かされる課題図書にもだいたい入ってたし。
やっぱり、そういう本ってあんまり好きじゃなくて、
物語みたいなのを選んでた気がするけど、
ベーブ・ルースとか、坂本龍馬とか定番のは買ってもらってたような。
あと、たぶんそんな感じで、アンリ・デュナンという人の伝記を読んでた。
なんでそれを選んだかな。えらい人だけどそんな有名でもないと思うけど。
で、いま好きなのはファーブル昆虫記のファーブルさん。
在野であれだけの研究をしたのがすごいと思うし、
たぶん本当に好きだったからやれたんだろうなあっていうのが、
さかなクンに通じるものがあるように思う。
きのう、マツコ有吉で切り絵の特集をしてた。
いろんな考え方があると思うけど、
やっぱりアートって結果じゃなくて目的なんだと思う。
売るためにっていう結果を求めるようになると、
それはもう仕事であってちょっと違うものになってるような。
最後の立体切り絵の人、ほんわかテレビかなにかでも見たことあるけど、
自分でもやりすぎってわかっていながら、
やらないと気がすまないっていうのがほんとの芸術家だと思う。
そういう人のことは尊敬するし、
それくらい夢中になれるものを見つけられたことをうらやましいなと思う。
やまとなぜしこで職人さんの話があったけど、
やっぱり、好きなことを始めたとしても、
お金を稼がないと生きていけないわけで、
そのへんはバランスが大事なんだろうな。
100分de名著の良寛さんの二回目でやってた、
「ひとり遊び」っていうのが、こういうことなんだろうか。
石垣島かどっかで暮らしてた人が追い出されたとかあったけど、
良寛さんって意外とあんな感じだったのかもしれない。
座標軸、っていう言葉があったけど、
変わらない人がいることで自分の位置を確認するっていうこともあるんだろうし、
こういう人が生きずらくなってる世の中なんだろうな。
なにもかも自分の思い通りにならないと、
気にいらない人が増えているような気がするし、
とりあえず大声を上げていれば要求も通るかもしれないから、
とりあえずわめき散らす人も増えてる。
というか、承認欲求が強すぎるのか、
自分のすべてを認めてもらえないと、
社会から受け入れられてないというふうに思い込んでしまうんだろうか。
クレイジークレイマーっていうか、
ノイジーマイノリティっていうか。
某お笑い芸人さんが、予約の時間より早く着いたら、
一分前ってことで店に入れてもらえなくて、
怒って帰ったみたいな話があった。
芸人さんの話だから大げさなのかもしれないけど、
逆に一分くらい待てないもんかって思うし。
みんなが思いどおりに生きているわけはないし、
それぞれなにがしか不満はあっても我慢して生きている。
自分だけが特別扱いされることがステイタスになるっていう文化もあるみたいだけど、
日本ではそういう価値観は共有されないと思う。
どっちかいうと、むしろ特別扱いされないように、
気を遣いあって後ろに下がろうって遠慮しあうのが日本人な気がするんだけどな。
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