なにごともない朝でよかった。
外は寒いんだけど、
車に乗っているとけっこう陽ざしがきつい。
紫外線にやられた。
きょうは一日がかりの予定があったのに、
昼までで終わってしまった。
それはそれで拍子抜けしたけど、
まあなにもないのはいいことだ、ということで。
まちがって借りてきた、
万城目学さんの「悟浄出立」は、
なんか前に読んだことあるような気がする。
まあ、あんまり内容おぼえてないからいいか。
気になってた本が図書館にあったので借りてきた。
「多数決を疑う」
目を引くタイトルでとりあえず手に取らせるっていうのは、
新書でよくあることだけど、
岩波でもそれをやるんだなあ、と。
民主主義=多数決ではない、というのはわからないでもない。
小泉郵政選挙のときや、
民主党の政権交代のときのように、
ひとつの政策の信任投票のように宣伝されて、
そのほかの政策のことを考えないで、
投票するのも正しいと思わないし、
あんまり複雑に選択肢を増やすと混乱して、
結局、投票率が下がってしまうような気もする。
ここに書かれていたように、
強硬な政策をとる候補者と穏健な政策をとる候補者が、
ともに中間層の支持をねらうために、
中間的な政策を打ち出したとしたら、
選挙民はどっちを選んでも同じだと判断して、
結局、選挙に行かないってことになりはしないのかな。
で、当選したあとに路線変更をするのもよくあることだし。
というか、この本のタイトルから想像していたのは、
理屈っぽい数学的な話ではなくて、
多数決で決まってしまうこと、
それ自体が本当に正しいのかどうかということだった。
「民意」っていうのもあやふやな言葉で、
正確な情報や知識を持たず、
聞こえのいい美しい言葉に左右されてしまう「普通の人」の意志を、
そこまで信用していいものなのか。
「自分たちのことを自分たちで決める」というのは、
すごくいいスローガンだけど、
その自分たちの考えが正しいのかどうかは誰に判断できるのか。
現在進行形でいま破滅に向かってそうな国もあるけれど、
日本があの戦争に突き進んだように、
正確な情報を知らされずに踊らされた市民に、
正しい選挙行動ができるのかどうか。
「制度」を進歩させることも大事だとは思うけど、
それを使う人のほうも進歩していかないといけないような。
「100分de名著」中原中也の2回目。
ずっと出てきてるあの帽子の写真がどうも苦手。
それと失恋の詩は、
ちょっと自分の不幸に酔っているみたいであまりぴんとこない。
命までとられるわけでもないのにって思ってしまう。
でも、そのあとの詩はすごいと思う。
その前にも落第とか挫折はしていたわけだから、
ほんとうに万能感に満ち溢れていたということもないのだろうけど、
若気の至りで有頂天になっていた躁のような状態から、
しゅるしゅるって本来の自分に戻っていくような。
そしてその本当の自分を受け入れたということ。
これが「晩年」っていうのはどうかな。
やっぱり若い人が書いたものという気はする。
こういう生きていることそのものを詩にしていた人が、
もっと年を取ったときにどういう詩を書いたんだろうか。
ファルコンズ戦。
NFLを本格的に見始めたとき、
マット・ライアンはまだルーキーだったような。
すっかりベテラン。
ベテランというとバビノーも古いし、
フリーニーがいたのも知らなかったし、
シーホークスにはヘスターもいた。
トニー・ゴンザレスがいるあいだに、
これくらい強かったらよかったのに。
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