エアコンの工事が午前中ってことだったので、
いちおう予定を開けて、せんぷうきとスポーツドリンクを冷やして待つことに。
あさイチで連絡があって、11時から1時の間になりますと。
うーん、午前中なのかどうなのか微妙な感じ。
ほぼ11時くらいに来ていただいて、12時半くらいには工事終了。
細いすきまを室外機をかついで通り抜けていただいてすみません。
エアコンで快適になりました。ありがとうございました。
こういうことがあると落ち着かなくて、
前の晩は眠れないし、朝もムダに早起きして、いまごろしんどい。
湿度が高いのに雨が降らないから暑いし。
まあ、うたた寝はした。
「ケンミンショー」見てて、長野にもジンギスカンってあるんだあ、って、
思ったのが最後の記憶。
でも、目がさめたら「ダウンタウンDX」だったからたいして寝てないみたい。
「アメトーーク」はなんかいまいちで「夜の巷」のほうがおもしろかった。
フリーペーパーを作る側の人にもいろいろあるらしい。
それこそむかしの個人HPのようなことをわざわざお金をかけてやってる人も。
ハンドルネームで知り合ってオフ会で、みたいな、いい意味での趣味的なのではなくて、
趣味のようでもありつつ、実際にきちんと仕事にもつながるやり方をしてるっていうのが、
デジタルとアナログが混ざったような新しい時代なんだろうかな。
で、新しいことを始めるのに東京ではなくて、地方でっていうのも、
デジタル化が進んでるからっていうこともあるのだろうし。
つながろうとする人はつながれるし、需要と供給がダイレクトになった感じ。
ほんとに、意志あるところに道は開ける、っていうのが身近になった時代なんだな。
この言葉ってリンカーンなんだな。
初めて知った。
リンカーンさんもいまはたいへんらしい。
いまの価値観で過去の出来事を測るのは意味がないのでは。
一面だけを切り取って、功績すべてを消し去るのも違うような気がするし。
過去を改変しても、いまある問題が解決するわけではない。
むしろ変えてしまうことで問題がもっと根深くわかりにくくなってしまうように思う。
高橋是清はだまされて奴隷として売られたけれど、総理大臣にまでなった人。
奴隷扱いされていた”東の果ての野蛮人”がその扱いをはねのけて、
そういう人たちと肩を並べて、先進国と呼ばれるようになるまで国を発展させた。
そうなるまで100年あまり。
高橋是清がアメリカに渡ったのは1867年。
奴隷解放宣言は1862年…
過去を消しても意味なんかない。
恥じるべきは奴隷扱いされた側ではなくて、奴隷扱いしたほう。
だからといって、いま奴隷扱いした人たちを責めてもやっぱり意味はない。
いまの自分たちはそういう扱いから抜け出すために努力をして、
ここまで発展させてくれたご先祖様たちを誇ればいいのだし、
そのご先祖様たちに恥じないように生きていくだけ。
なにがしかの理由があったとしても、法に背くようなことをして尊敬されるとは思えない。
自分たちで自分たちを律することができないで、
ただ環境のせいにしていてもなにも変わらないし、変えることはできない。
誇るべき過去がまだないのなら、これから作ればいいと思うのだけど…
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