TBA

(仮)

伝える道具 伝わらない気持ち

2020-01-29 | ブログ

 

きのうは4月並みの気温で20度近くあったらしい。

道理で暑かったわけだ。

一人で汗かいてたけど、もうあせもできてた。

そんなに汗かいたっけ? びっくりだわ。

 

ゆうべはしんどすぎたのかうたた寝もできず。

しんどすぎると寝られないし、

夜寝られないかも、とか我慢して起きていても、

やっぱり寝られないときは寝られなかったり。

寝られないときはむりに寝ようとしないほうがいいとは聞くけれど、

次の日のことを考えたら寝ないわけにもいかないし。

 

うたた寝しなかったので「さんま御殿」を見た。

断捨離でもなんでも自分のものは勝手に好きにすればいいと思うけど、

人のものを捨てるのはダメだよねえ。

こどももりっぱに一人の人間なんだし。

そうやって大事なものを捨てられた経験のある人は、

なにが大事なのか自分ではわからなくなるのでは。

自分で気づいていないそういうトラウマをこどもに押し付けてるのだとしたら、

DVとか虐待とそんなに遠くは離れてないようにも思える。

 

ちっちゃいときに大事にしてたものを、

いとこにあげさせられた記憶がすごく残ってて今でも忘れてない。

たぶん、いとこは欲しくもないものをもらったところで喜んでなかっただろうし、

とっくにもう捨てられてこの世にないんだろう。

 

で、反動でなにも捨てられない人になった。

 

 

録画してた「短歌de胸キュン」も見た。

いつぶりだろう。

「祖父母」の題だと哀しげな歌が多いのはなんでだろう。

元気なじいちゃんばあちゃんだっていっぱいいるだろうに。

 

あと、添削がやっぱり好きになれない。

井戸田さんの千円の歌はそのままでもいいような気がするし、

小沢さんの「眩しい」→「今も忘れない」も、

永島さんの「カメラ目線で」→「本棚の上で」も、

詠み手の気持ちと変わってるように思える。

 

歌としての形があるとして、それになにがしかの瑕疵があったとしても、

やっぱり詠み手がその時の感情にしたがって言葉を選んだのだとしたら、

それは尊重したほうがいいんじゃないのかな、と。

短歌ってそういうものじゃないと言われたらしかたないけれど。

 

録画が重なったときに、まあいいかってあきらめてしまえるのはだからかも。

 

関係ないけど、ずっと気になってた井戸田さんの「イトリ」の由来が、

やっとわかってすっきり。

 

 

『京極夏彦が断言「SNSは炎上しないほうがおかしい」』

この記事おもしろかった。

さすがレンガみたいな本を書く人が言うことには説得力が。

 

140字で本意が伝わるわけもなく文脈や流れがあってはじめてわかるもの。

だから、誤解を生むようなことは軽はずみに書くもんじゃない。

それでも書くというのなら批判も炎上も覚悟のうえで。

 

あと、切り取り拡散のひどさも。

 

それに関連するけれど、“募る”と”募集”はニュアンスが違うように感じる。

募るは希望する人に声をかける感じで募集だと幅広く人を集めるイメージ。

 

まあ、なにをしたところでクレームをつける人はつけるし、

悪意で切り取る人はわざと誤解を生むように切り取る。

それでも、少し前と比べるとメディアリテラシーも上がって、

切り取り拡散に対する免疫はついてるような気はするけれど。

 


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