神の羊は神の御声を聞く

「わたしの羊はわたしの声を聞く」黙示録も予言されました。「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。」

キリスト教賛美歌「神は人がいくつの道を進むべきか予め定めた」歌詞付き

2020-03-31 19:19:04 | キリスト教賛美歌

キリスト教賛美歌「神は人がいくつの道を進むべきか予め定めた」歌詞付き
神が導く道はまっすぐではない
それは穴だらけの曲がった道だ
道が険しいほど
私達の愛が明らかになると神は言う
こんな道を開ける者は他にない
私は他の人々のようになりたくない
彼らの道を歩きたくはない
私は献身を果たす道を選んで
最後まで歩んでいく
人がどれほど苦しみ
どれほど遠くまで行くかは
神により定められ
人が互いを救うことは出来ない

私は多くの道を歩いた
不安定で岩だらけの道を
悲しみに耐え、悲嘆にくれたが
神が導く道だと信じている
だから、やまない痛みに耐える
私は他の人々のようになりたくない
彼らの道を歩きたくはない
私は献身を果たす道を選んで
最後まで歩んでいく
人がどれほど苦しみ
どれほど遠くまで行くかは
神により定められ
人が互いを救うことは出来ない

これは神の定め
誰も逃れられない
私はどんな祝福もいらない
ただ求めることは
神の意志に従い
歩むべき道を歩むこと
私は他の人々のようになりたくない
彼らの道を歩きたくはない
私は献身を果たす道を選んで
最後まで歩んでいく
人がどれほど苦しみ
どれほど遠くまで行くかは
神により定められ
人は互いを救うことは出来ない
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より


迫害と逆境によって得た成長

2020-03-31 00:57:40 | 福音を証しするシリーズ

迫害と逆境によって得た成長

山東省徳州市 パァィ トゥオ

かつて、私は「神様の知恵はサタンの策略を伴って実践され、神様は賢い方で、サタンは神様に敗北した敵である」ということを理論として知っているだけで、実際の認識や体得はありませんでした。その後、神様が用意して下さった環境を通して、私は真理のこの側面に対する実体験を得ることができました。

ある日の午後、集会に参加していると、地区指導者が突然私に駆け寄ってきて、「あなたのお母さんが赤い大きな竜に連れ去られた。しばらくの間、自宅に帰らない方がいい。教会があなたにホストファミリーを用意するから。」と言いました。青天のへきれいのようなこの知らせにびっくりしてしまい、呆然としてしまいました。「お母さんが赤い大きな竜に連れ去られたですって?赤い大きな竜はお母さんにどんな拷問を与えるつもりだろう?お母さんは耐えられるのかしら。もう二度とお母さんに会えないかもしれない。どうしよう。」そんなことを考えると私の心は痛み、涙が止まりませんでした。集会が終わった後、私は教会が用意してくれたホストファミリーの家に案内されました。そこでの生活が落ち着くと、また母のことを考え始めました。私が家族の中で最も母に近い存在でした。未信者の父は私に信仰を捨てさせようとし、姉は私が神を信じたからと私を無視し、親戚もみな私と縁を切りました。それでも私が寂しくならなかったのは、同じ神様を信じる母がいたたからです。霊的にも肉体的にも、母は常に私を助け、愛情を注いでくれました。何か問題があれば、いつでも母に相談することができました。心の支えだったと言えます。その唯一の支えだった母が、赤い大きな竜に連れ去られたのです。私は突如として孤児になったかのように感じ、これからどう歩んでいけば良いのか、困難に直面したら誰に相談すれば良いのか分かりませんでした。その後数日間、私は泣き続け、苦しみと落胆の中にいました。その状態から抜け出すことができずにいると、自分の中で導きがありました。「そのように闇の中を歩き続け、サタンに笑いものにされるままになっていたいのですか。神の働きの中で神を認識し、光の中で生きていきたいと思わないのですか。」この言葉により、私はすぐに目覚めました。その通りだと思いました。こんな風に闇の中を生きてサタンの笑いものにされたいのか。いいえ、そんなのは絶対に嫌です!私に降り掛かったこの状況は、神様のご好意に違いない。その後、私は何度も神様の前に出て祈り求め、私を啓き、神様の御心が理解できるようにと願いました。

しばらくして、私は、それまで理解しておらず、実践することができなかった真理の一部において成長した自分に気が付きました。かつて私は家庭で甘やかされ、食事やファッション、そして遊びが私の時間のほとんどを占めていました。私の肉は自分の考えと異なる扱いや僅かな困難にも耐えられませんでした。私が家を離れてホストファミリーと暮らすようになって数日もすると、私は、家にいた時のように、したいこともできなくなり、好き勝手はできなくなりました。徐々に、私の甘やかされた性格や悪い癖は減り、食べ物と着る物がある生活に満足すべきであると理解するようになりました。また、肉の本質を見抜けるようになり、二度と肉の満足を追い求めなくなり、被造物にとって神様を満足させることを追い求めることが最も重要だと知るようになりました。かつて、母がまだ家にいた頃は、肉体にまつわる問題であれいのちの問題であれ、常に母に頼り、解決してもらいました。問題が起きた時には、神様に祈ることも真理を求めることもせず、神様とも正常な関係を築いていませんでした。母が連れ去られてからは、私は困難に遭遇した時に頼れる人がいなくなってしまいました。今まで以上に神様の前に祈り、神様の言葉を飲食し、御心を求める他ありませんでした。徐々に、私の心の中に占める母の場所は小さくなり、神様の場所が大きくなっていきました。必要であればいつでも神様は私を助けることができ、一瞬たりとも神様の側を離れることができないと感じました。さらに、私は、問題を解決するために、祈りに頼り、真理を追求することに頼ることも学びました。神様の側にいることによって得る平和、確信、信頼感を味わうことができました。家にいた頃は、神様を信じる人と信じない人は互いに相容れない二つの異なるグループであることは知っていましたが、自分の両親と姉だけが私の家族で、教会の兄弟姉妹は部外者のように距離を感じていました。神様は私が家から“追い出される”経験を用い、私が朝から晩までずっとホストファミリーの兄弟姉妹と過ごすようになったことで、兄弟姉妹の私に対する思いやりと配慮、忍耐と理解を感じることができました。私たちは同じ言葉を話し、同じ志を抱いて、助け合って生活しました。この人達こそ私の本当の家族で、教会の兄弟姉妹こそ私の父、母、兄弟だと、心から感じました。兄弟姉妹との間に距離を感じることはなくなり、大家族の中にいる温かさを感じるようになりました。兄弟姉妹と過ごす環境の中で、互いに愛し合い、赦し合い、支え合って生活することを学び、私は正常な人間性を取り戻していきました。家で生活し、集会と説教に頼って生活していた時には実践できなかった真理でした。母が赤い大きな竜に連れ去られて私が家を出なければならないという特異な環境の中、知らないうちに神様は私にこの真理をもたらし、理解を深めるようにしてくれました。この真理に入ってからは、神様を愛し、満足してもらう心がかつてないほど強くなり、人生の全てを神様のために生きるという思いが確固たるものになりました。かつての自分、つまり、神様を信じてはいるけれど、目的もなく、問題があればすぐに弱ってしまうような自分が、徐々に変化していきました。神様が私に授けてくださったものは、私が想像できないほど素晴らしいものでした。私の心に神様に対する感謝と称賛が溢れました。

ある日、私がディボーションをしていると、神様の次のような言葉を目にしました。「この働きを行うに際して、神は、サタンによって堕落させられた人間が自身の素晴らしい救いを受けられるようにしただけでなく、自身の英知、全能性、および権威を人々が知るようにもした。そして最後に神は、人が自身の義の性質を見るようにする。つまり、邪悪な者を罰し、正しい者を報いる。神は今日まで戦ってきて、一度も負かされたことはない。それは神が知恵に満ちており、神の英知はサタンの策略に基づいて行使されるからだ。……神は今日、依然として同じ現実的方法で自身の働きを実行している。さらに神は、自身の働きを実行するとき、自身の英知と全能性を示す。」(『言葉は肉において現れる』の「あなたは人類全体が現在までどのように発展してきたかを知るべきである」より)神様の言葉は突然私の心を照らしました。私は心の奥底からの感嘆の言葉を漏らしました。神様は本当に賢いお方!神様は本当に素晴らしい、人間には予測できない働きをされる。私の今の状況は一見、唯一頼ることのできた母が赤い大きな竜に連れ去られたために私は家に帰ることが困難になり、神様への信仰が妨げられ、サタンに屈服し、信仰的に弱り、信仰を手放すように赤い大きな竜に脅されているようなものと映るかもしれませんが、神様の知恵はサタンの策略の上に働いており、サタンの策略を大いに利用しているのです。神様は、私が自分の快適な巣から離れてこの環境にいることで私の意志を鍛え、試練を通る決意を完全なものとし、自立して生活できるように訓練し、正常な人間性を生きることを教え、真の人間になることを教えられました。楽で心地よい環境では理解することのできない、得ることのできない真理でした。この環境を通して、神様は私の人生において真理と神様そのものを教え、そうすることによって、赤い大きな竜による迫害に屈しないばかりか、神様からの真理を得て、神様の救いに導かれたのです。それだけでなく、赤い大きな竜の迫害により、神に抵抗する竜の残忍さと残酷さを更にはっきりと知りました。今まで以上に赤い大きな竜を嫌うようになり、神様を愛する気持ちが益々強くなりました。

神様に感謝します!このような経験をしたことで神様の全能性と支配を実際に理解し、また、神様の知恵がサタンの策略の上に働くことを経験することができました。私に降りかかることで人間の観念にそぐわないものには全て、神様のご好意が含まれているのだと分かりました。サタンがどれほど策を講じても、神様は常に賢いお方であり、神様の敵であるサタンは敗北するのです。それを理解した私の神様に従う意志は更に固いものとなったので、これからも信仰に満たされて前進していきます。

 


ノアの日々が来た」終わりの日の箱舟に乘る 日本語

2020-03-29 12:04:55 | 福音を証しするシリーズ

「ノアの日々が来た」終わりの日の箱舟に乗る  日本語 


ノアの時代の人類を振り返りましょう。悔い改めることを考えずに、人はあらゆる種類の邪悪な活動を行いました。誰も神の言葉を聞きませんでした。人々の頑固さと悪は神の怒りを呼び起こし、ついに大洪水の災いに人々は飲み込まれました。ノアと彼の八人の家族だけが に耳を傾け、生き延びられました。今日、世の終わりはすでに到来しました。人類の堕落はさらに深刻になってきています。誰もが悪をあがめます。宗教界全体は世界の潮流に従います。人々は真理を少しも愛しません。ノアの時代はすでに到来しました。人類を救うために、人類の中で世の終わりの裁きの働きを行おうと、神はもう一度再来しました。これは神が人を救う最後の時です。人類は何を選べばよいのでしょうか。
これは実話です。四川省の清平镇の住民たちは全能神の国の福音を受け入れることを繰り返し拒否したため、二度の災いを経験しました。汶川大地震の間、全能神を信じる多くの兄弟姉妹たちは神によって奇跡的に保護され、生き残りました。これらの事実は証しを立てられました。神を受け入れ従う人々と神を否定し抵抗する人々です。これらの二種類の人々には、ふたつの非常に異なる結末があります。

東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。


あなた方は祝福をどう理解しているのか

2020-03-28 16:55:10 | 書籍

あなた方は祝福をどう理解しているのか


この時代に生まれた人々は、サタンと汚れた悪霊たちの堕落の影響下にあるが、人々がこの堕落のゆえにすばらしい救いを受けることができるのもまた事実である。その救いは、ヨブが手に入れた山野を覆い尽くすほどの家畜の群れや多くの家産よりも、ヨブが試練の後に受けた、ヤーウェに会うという祝福よりもすばらしいものである。ヨブがヤーウェの言葉を聞き、雲の中からヤーウェの雷鳴のような声を聞くことができたのは、彼が死の試練を通った後であった。だがヨブはヤーウェの顔を見ておらず、ヤーウェの性質も知らなかった。ヨブが得たものは、単に肉の喜びをもたらす物質的な財産と、その町と周辺で最も美しい子供たち、そして天上の天使たちの保護だけであった。彼はヤーウェを見たことがなく、義人と呼ばれていたとはいえ、ヤーウェの性質を知っていたわけではない。今日の人々は、物質的な楽しみを一時的に欠いていて、敵意に満ちた外の環境にさらされてはいるが、わたしは過ぎ去った時代の人間たちには常に秘密とされ、一度も明かされなかったわたしの性質と、古代からのわたしの神秘を最も卑しい人々にはじめて明らかにし、彼らに最もすばらしい救いを与えた。わたしはこれまでこのような働きをしたことはなく、あなた方はヨブよりもはるかに劣るにもかかわらず、あなた方が得たものと見たものは、ヨブのそれらをはるかに越えている。あなた方は様々な試練と苦難を通ったが、それはヨブの受けた試練のようなものではなく、自身の反抗と抵抗のゆえに、そしてわたしの義なる性質のゆえに受けている裁きと刑罰である。それは義なる裁きであり、刑罰であり、呪いである。ヨブは、イスラエルの民の一人であり、ヤーウェの偉大な愛と慈悲を受けた義人の一人であった。彼は邪悪な行為を何一つせず、ヤーウェに反抗することはなかった。彼は忠実にヤーウェに自らを献げ、義の故に試練を受け、ヤーウェに忠実に仕える者であったがために、火のような試練を通ったのである。今日の人々は、自身の汚れと不義故に、わたしの裁きと呪いを受けるのである。人々の試練は、ヨブがその家畜、財産、従者、子供たち、そして愛するすべてのものを失ったことによる試練とは比較にならないが、彼らが被るのは火による精錬と火刑であり、ヨブが経験したものよりも深刻なことに、この種の試練は彼らの弱さ故に軽減されたり取り去られたりすることはなく、人生の最後の一日まで長く続くのである。これは懲罰であり、裁きであり、呪いである――それは無慈悲な火刑であり、さらにそれは人類の正当な「遺産」なのだ。それは人々にふさわしく、わたしの義なる性質の表れる場である。それは周知の事実である。しかし人々は今まで耐えてきたものを遙かに超えるものを得てきた。あなた方は単に自らの愚かさにより挫折を経験したわけだが、あなた方が得たものは試練の百倍にも及ぶ。旧約聖書に書かれているイスラエルの律法により、わたしに反抗するすべての者、わたしを公然と批判するすべての者、そしてわたしの道に従わないにもかかわらず、大胆にもわたしを規定に反したいけにえを捧げるすべての者は、間違いなく神殿で火によって滅ぼされるか、選ばれた民の一部により石打ちで殺されるであろう。そして彼らの直系の子孫や、近い親族もわたしの呪いを受けるであろう。来るべき世界では、彼らに自由はなく、彼らはわたしの奴隷の奴隷となろう。わたしは彼らを異邦人の中へと追放し、彼らが祖国に帰ることはない。彼らの行動や態度に基づいて、今日の人々が耐えている苦しみは、イスラエルの民が受けた懲罰に比べたらその深刻さは比較にならない。わたしはむやみにあなた方の今の苦しみが当然の報いだと言っているのではない。それはあなた方が実際に一線を越えたからであり、もしあなた方がイスラエルの民の一人であったならば、あなた方は永遠の罪人の一人とされ、とうの昔にイスラエルの民によって体を切り刻まれ、ヤーウェの神殿で天からの火により焼き尽くされていたであろう。あなた方が得たものは何なのか。あなた方は何を受け取り、何を楽しんだのか。わたしはあなた方の中に、わたしの義なる性質を明らかにしたが、その中で最も重要なのは、人類の贖いのためのわたしの忍耐を明らかにしたということである。わたしがあなた方の間でしたことはすべて、忍耐の働きであり、わたしの経営のためであり、さらにそれは人類の喜びのためであるとも言えるだろう。

ヨブはヤーウェからの試練を受けたにもかかわらず、彼はヤーウェを崇拝する義人であり続け、あのような試練を経てもヤーウェの不平を言うことはなく、むしろヤーウェとの出会いを大切にした。今日の人々はヤーウェの臨在を大切にしないばかりか、ヤーウェの顕現を拒絶し、忌み嫌い、不平を言い、嘲笑う。あなた方は、多くのものを得たのではないのか。あなた方の苦しみは、本当にそんなにも大きかったのか。あなた方の受けた祝福は、マリアやヤコブが受けたものよりも大きいものではなかったのか。あなた方の反抗は卑劣ではないか。わたしがあなた方に要求したこと、あなた方に求めたことがあまりにも大きく、多すぎたということなのか。わたしの怒りは、あなた方に直接放たれのではなく、わたしに反抗したイスラエルの民にのみ放たれたのだが、あなた方が得たものは、わたしの無慈悲な裁きと暴露、そして止むことのない火による鍛錬だけであった。にもかかわらず、人々は依然として従順の気配も見せず、わたしに反抗し反論する。しかも、わたしから距離を置いてわたしを否定する者すらいる。そのたぐいの者は、モーセと対立したコラやダタンの集団となんら変わらない。人々の心はあまりにも頑なになり、その性質はあまりにも頑固である。彼らはその古いやり方を変えることは決してないだろう。わたしの語る言葉により、彼らは昼間の明るい光の中で娼婦のように露わにされ、わたしの厳しい言葉は、人々の性質を「見苦しく」日の光の中に露呈する。しかし、人々はただ頷き、少し涙を流し、ほんのわずか悲しむに過ぎない。一旦それが過ぎれば、彼らは山々に住む野獣の王のようにどう猛になり、自らの姿を自覚することは一切ない。このような性質の人々が、自分たちはヨブの百倍以上の祝福を享受しているなどと分かる筈もない。自分たちが、遠い昔から誰も見たことがないような、誰も享受したことがないような祝福を受けているなどと、気づく筈もない。懲罰を伴うこのような祝福を、彼らの良心が感じ取れる筈もない。率直に言ってわたしがあなた方に求めているのは、あなた方がわたしの働きの模範となり、わたしの性質全てと行動全ての証人となり、それによってあなた方がサタンによる苦痛から解放されることだけである。しかし人間はいつもわたしの働きに不快感を覚え、意図的に敵意を抱く。そのような者が、イスラエルの律法を復活させ、イスラエルの民に対してわたしの怒りを注ぐようにとわたしを煽り立てずにいられる筈はない。あなた方の中にはわたしに「従順」な人々も多くいるが、「コラの仲間」と同類の人間はもっといる。一旦わたしが完全な栄光を得ると、わたしは天からの火で彼らを焼き尽くし、彼らは灰となる。わたしはもはやわたしの言葉で人々を罰することはないが、イスラエルの働きを実行する前に、わたしは、わたしに反抗する、とうの昔に排除した「コラの仲間」の同類を完全に焼き尽くすということを、あなた方は知らなくてはならない。人類にはわたしを享受する機会はもはやなく、彼らが見るものは天からの怒りとわたしの「炎」だけである。わたしはすべての人々の結末を明らかにし、すべての人々をそれぞれの種類に分ける。わたしは彼らのひとつひとつの反抗的行為に注目し、そしてわたしの働きを終わらせる。そうすることで、地上においては人々の結末が、わたしの判決とわたしに対する彼らの態度とに基づいて決定される。その時が来ると、彼らの結末を変えられるものはない。人々に自らの結末を明らかにさせよう。人々の結末を天の御父に引き渡すことにしよう。

 


キリスト教讃美歌「人の子が現れました」神の祝福がゆえに本当の楽しみがある

2020-03-27 21:16:49 | キリスト教会漫才

キリスト教讃美歌「人の子が現れました」神の祝福がゆえに本当の楽しみがある
世界の東から(東…東…)
一筋の光が現われ(光…光…)
西の果てまで照らします
人の子が地に降臨しました

救い主が戻られました、彼は全能神
真理を表し、新時代を始めました
人の子が現れました。(本当?)
神が来られました。(おお!)
神は人類に永遠のいのちの道をもたらします
新しい天と地、新しい時代
新しい人間、新しい道、新しい生活
新しいエルサレムが地に降臨しました

私達は神の家へ戻り
教会生活をおくり
神の言葉を毎日飲み食いし
神の愛の中で育ちます
さあ、来て歌いましょう!(よし!)
私は踊ります!(踊ろう!)
私達の生活はまことに楽しい。(真に楽しい)
私達は神と一緒にいます。(真に楽しみます。)
私達は神の祝福を得ています。(真に幸せ)
キリストの国は暖かい家庭です

全能神、終わりの日のキリスト
私達がお慕いする最愛の人
神が発するあらゆる言葉は真理で
私達を潤します
神は振る舞い方、正直になる方法を
私達に教えてくださいます
神の祝福の中で生き
私達は心から神を愛します

神の言葉の裁きは全ての人々の心を征服します
神の民は清められ、神を証しします
心を一つにし(本分を尽くす)
神の愛に報い(神を証しする)
神の国の福音を宣べ伝えよう。(神の国の福音)
神の言葉は世界中に伝わります
神の聖き名は皆に賛美されます
キリストの国はこの地に実現されます
心を一つにし(本分を尽くす)
神の愛に報い(神を証しする)
神の国の福音を宣べ伝える。(神の国の福音)
神の言葉は世界中に伝わります
神の聖き名は皆に賛美されます
キリストの国はこの地に実現されます
キリストの国はこの地に実現されます
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より


東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。