『ドラえもんの大予言』(てんコミ1巻)
「ただいまあっ。行ってきまあす。」小学校のときってこんな感じだったっけなぁ、と少し懐かしさを覚えた。今は帰宅してから遊びに行くなんてまず無い。時間が時間なので当然か。
〔22世紀のマジックハンド〕で強制的に部屋まで運ばれるのび太。階段を素早く上がっていく様子が面白かった。このシーン、原作では外のまま。セワシくんをスムーズに登場させるためか。リニューアル後初となったセワシくんは松本さちさん。至極自然な演技でよかったと思う。のび太に似すぎず違いすぎず、といった感じ。
セワシくんを見送るドラえもん、得意満面に「泥舟に乗った気でいてくれ」。さすがののび太も呆れ顔。ギャグセンスは置いといて、このセリフのおかげでセワシくんが再度姿を見せる理由付けとなっていた点は評価。原作では冒頭のシーンでセワシは登場しておらず、突如として出てくるわけだが、うまくまとめられていたと思う。なお、原作を読む上では〔未来のくにからはるばると〕に続く話になっているためにセワシがドラえもんに不安を感じて顔を出すことに不思議はない。
自分のアルバムで大ケガの様子を目の当たりにして驚くのび太。原作での「もともと悪かった頭がいっそうパーに…」は残念ながらカット。こういうセリフも思い切ってそのまま使ってもらいたいが難しいか。しずちゃんに用件を伝えられず窮するドラえもん、ドラやきに釣られて出かけることに。特製ケーキがドラやきに変更されたのは話をより分かりやすくするには良かったかと思う。
安全のためによその家を通り抜ける2人。お馴染みの顔を並べてラーメンをすする一家、表札にもきちんと〔小池〕と書かれていた。しょっちゅうダンプカーが突っ込む家のおじさんだが、ダンプカーが突っ込んだ後も終始笑顔だったのはちょっとどうだろうか。
「この写真は何だったの?」と読者・視聴者を代弁するかのようなのび太のセリフ。原作のままでは確かにあっさりしすぎていて、特にアニメにした場合に「これで終わり?」と思いかねないので、写真に振り回されたのび太のセリフとしては適当だったと考えられる。
『白ゆりのような女の子』(てんコミ3巻)
「写真くらい撮っておけばいいのに」と何気なくつぶやくのび太。「誰でもカメラを持てるような時代じゃなかったんだよ」と説明くさいセリフのドラえもん。今や携帯電話に高画質のデジカメが付いていて小学生までもが普通に手にしているような時代なので、細かいながらも親切な配慮かと。いつぞやの活動写真と同じく。
いざ昭和20年へ行ってみると学童の姿が見えず。和尚さんから寺の近くの畑を耕しに行ってると聞きそちらへ。和尚さんは何気なく〔近く〕と言ったが、のび太らにすれば遠かったようである。暑さに茹だり、足を止め汗を拭い空を見上げる現代っ子なのび太(とドラえもん)。雲ひとつない快晴の空。と、一転して畑を耕す学童の姿。原作ままではあるが、この対比は実に見事だと思う。
肝心な瞬間は見せずともビンタは健在。直接的描写はなくとも上手く画面を切り替えることで十分表現できるものですな。「戦場の兵隊さんたちのご苦労を思え!」と厳しい言葉もそのまま。
原作ではしっぽを引っ張って姿を消すドラえもん。しっぽは現在では機能停止のスイッチに設定が変えられているために道具を使って姿を消すことに。取り出したのは〔石ころぼうし〕でしたがここは〔透明マント〕などの方がよかったかな。原作では泣き叫んでも周りの人に気にされなかったほど効果の強い〔石ころぼうし〕でしたので気づいてもらうためには少し不適だったような。言うほどのものではありませんが。
踊れ・どれ・ドラ ドラえもん音頭
わさドラ初となる歌モノ。いろいろ不安に思っていたものの意外というか何というか。非常にオーソドックスかつ王道な音頭になっていたかと。水田さんの歌声というのも初めて聞きましたが曲調によく合っていて良かったと思う。これを期間限定でエンディングにしてしまっても差し支えない気がするが何故か次回予告の後の放送。
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本日の2本には両方ともスネ夫とジャイアンが登場せず。しずちゃんのセリフも少なめ。わざわざガン子を使ってきたあたり、サブキャラもそれなりに出番を期待してもいいのかもしれない。静香役のかかずゆみさんが先日ご妊娠された旨を発表されたことで色々と憶測が飛び交っているが、出番のない話や溜め録りで上手くつないで欲しく思う。リニューアルされて未だ半年すら経過していない段階で代役というのはできる限り避けてもらいたい。
最近の傾向として大山ドラ時代の作画に近づいてきているカットが多いような気がするのだが…。次週は「かげがり」と「テストにアンキパン」。「かげがり」では大原さんに 悪そうなのび太のセリフが多く回ってきそうだが演技の程はいかがだろうか。
「ただいまあっ。行ってきまあす。」小学校のときってこんな感じだったっけなぁ、と少し懐かしさを覚えた。今は帰宅してから遊びに行くなんてまず無い。時間が時間なので当然か。
〔22世紀のマジックハンド〕で強制的に部屋まで運ばれるのび太。階段を素早く上がっていく様子が面白かった。このシーン、原作では外のまま。セワシくんをスムーズに登場させるためか。リニューアル後初となったセワシくんは松本さちさん。至極自然な演技でよかったと思う。のび太に似すぎず違いすぎず、といった感じ。
セワシくんを見送るドラえもん、得意満面に「泥舟に乗った気でいてくれ」。さすがののび太も呆れ顔。ギャグセンスは置いといて、このセリフのおかげでセワシくんが再度姿を見せる理由付けとなっていた点は評価。原作では冒頭のシーンでセワシは登場しておらず、突如として出てくるわけだが、うまくまとめられていたと思う。なお、原作を読む上では〔未来のくにからはるばると〕に続く話になっているためにセワシがドラえもんに不安を感じて顔を出すことに不思議はない。
自分のアルバムで大ケガの様子を目の当たりにして驚くのび太。原作での「もともと悪かった頭がいっそうパーに…」は残念ながらカット。こういうセリフも思い切ってそのまま使ってもらいたいが難しいか。しずちゃんに用件を伝えられず窮するドラえもん、ドラやきに釣られて出かけることに。特製ケーキがドラやきに変更されたのは話をより分かりやすくするには良かったかと思う。
安全のためによその家を通り抜ける2人。お馴染みの顔を並べてラーメンをすする一家、表札にもきちんと〔小池〕と書かれていた。しょっちゅうダンプカーが突っ込む家のおじさんだが、ダンプカーが突っ込んだ後も終始笑顔だったのはちょっとどうだろうか。
「この写真は何だったの?」と読者・視聴者を代弁するかのようなのび太のセリフ。原作のままでは確かにあっさりしすぎていて、特にアニメにした場合に「これで終わり?」と思いかねないので、写真に振り回されたのび太のセリフとしては適当だったと考えられる。
『白ゆりのような女の子』(てんコミ3巻)
「写真くらい撮っておけばいいのに」と何気なくつぶやくのび太。「誰でもカメラを持てるような時代じゃなかったんだよ」と説明くさいセリフのドラえもん。今や携帯電話に高画質のデジカメが付いていて小学生までもが普通に手にしているような時代なので、細かいながらも親切な配慮かと。いつぞやの活動写真と同じく。
いざ昭和20年へ行ってみると学童の姿が見えず。和尚さんから寺の近くの畑を耕しに行ってると聞きそちらへ。和尚さんは何気なく〔近く〕と言ったが、のび太らにすれば遠かったようである。暑さに茹だり、足を止め汗を拭い空を見上げる現代っ子なのび太(とドラえもん)。雲ひとつない快晴の空。と、一転して畑を耕す学童の姿。原作ままではあるが、この対比は実に見事だと思う。
肝心な瞬間は見せずともビンタは健在。直接的描写はなくとも上手く画面を切り替えることで十分表現できるものですな。「戦場の兵隊さんたちのご苦労を思え!」と厳しい言葉もそのまま。
原作ではしっぽを引っ張って姿を消すドラえもん。しっぽは現在では機能停止のスイッチに設定が変えられているために道具を使って姿を消すことに。取り出したのは〔石ころぼうし〕でしたがここは〔透明マント〕などの方がよかったかな。原作では泣き叫んでも周りの人に気にされなかったほど効果の強い〔石ころぼうし〕でしたので気づいてもらうためには少し不適だったような。言うほどのものではありませんが。
踊れ・どれ・ドラ ドラえもん音頭
わさドラ初となる歌モノ。いろいろ不安に思っていたものの意外というか何というか。非常にオーソドックスかつ王道な音頭になっていたかと。水田さんの歌声というのも初めて聞きましたが曲調によく合っていて良かったと思う。これを期間限定でエンディングにしてしまっても差し支えない気がするが何故か次回予告の後の放送。
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本日の2本には両方ともスネ夫とジャイアンが登場せず。しずちゃんのセリフも少なめ。わざわざガン子を使ってきたあたり、サブキャラもそれなりに出番を期待してもいいのかもしれない。静香役のかかずゆみさんが先日ご妊娠された旨を発表されたことで色々と憶測が飛び交っているが、出番のない話や溜め録りで上手くつないで欲しく思う。リニューアルされて未だ半年すら経過していない段階で代役というのはできる限り避けてもらいたい。
最近の傾向として大山ドラ時代の作画に近づいてきているカットが多いような気がするのだが…。次週は「かげがり」と「テストにアンキパン」。「かげがり」では大原さんに 悪そうなのび太のセリフが多く回ってきそうだが演技の程はいかがだろうか。