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競馬のスポーツとしての魅力や、感動的な人と馬とのドラマを熱く語ります。

キングジョージ

2006-08-06 04:03:03 | 競馬観戦記
"The race we'll never forget"
レース翌日、英国レーシングポスト紙の一面にはそう記されていた。
私も忘れることのできないレースとなった。

欧州の12ハロン路線は王道である。
その頂点に立つレースは聖域といっても過言ではない。

英国、キングジョージ。
仏国、凱旋門賞。
欧州調教馬以外でこれらのレースに勝利した馬は存在しない。

伝統を重んずる欧州の歴史を覆す。
それを成し遂げるのが果たしてこの馬で良いのだろうか。
レース前にはそんなことが私の頭を過ぎっていた。

そんな歴史的快挙を成し遂げるのはそれ相応の馬であって欲しい。
日本競馬史上最強馬と呼ばれる様な馬こそ相応しい。
だが、この馬はそんな存在なのだろうか。

1年前まではこの馬は一流馬と呼べるかどうかすら疑問だった。
G1での上位入線も勝負が決まった後で突っ込んできた印象しか無い。
つまりは勝ちに行ったものでは無いとしか思えなかった。

それが突然素質が開花し無敗の三冠馬に勝利を収めた。
返す刀でドバイでも圧勝して見せた。
だが、これだけで歴史的快挙を成し遂げるような名馬と言えるのだろうか。

プレップレースを使わずに4ヶ月の休み明け。
レースの2週間前に現地入りし、欧州でのレースも初めて。
そんな簡単に勝ってしまって良いのだろうか。

それでも現地のこの馬の評価は高かった。
昨年の凱旋門賞馬。
今年のドバイワールドカップ勝ち馬。
それらと並び三強と呼ばれていた。

本当にそこまでの馬なのだろうか。
結局、そんな気持ちのままゲートが開いた。

欧州の競馬は厳しい。
作られた競馬場ではなく自然の草原に柵を立てたようなコース。
芝は長く路面は平らに均されて無く細かな起伏がある。
そして、この舞台は世界でも有数なくらいタフな競馬場である。

20m、7階立てのビルに相当するほどの高低差。
それほどの急坂をスタート地点から800mに渡り下って行く。
コーナーを回り残り1600mを今度は延々と上って行く。
中山の高低差2mを急坂と呼んでいる競馬とは別物でなのである。
そんな違いをものともせずにこの馬は進んで行く。

上りに差し掛かり少し手ごたえが悪くなった。
そのときに、ああやっぱりと思った。
同じような臨戦過程で最高峰に挑んだ馬たちもこんな感じだった。
競馬をさせてもらえずに惨敗を喫した。
やはりこの馬では無理なのだ。
だが、すぐに持ち直しライバルたちの直後に取り付いている。
勝負に参加している。

最終コーナーを回るときには抜群の手ごたえで上がって行く。
既に追い始めた凱旋門賞馬を交わし去り前へ進んで行く。
直線に入り満を持して追い始めた。

グイグイと足を伸ばして行く。
前を行くドバイWC勝ち馬に並びかけ交わした。
この馬が先頭に立った。
行け、勝てる。
レース前のモヤモヤした気持ちなど忘れていた。
残り300m。

2頭の叩き合いで内に隙間が生まれた。
そこを一度交わした凱旋門賞馬が足を伸ばしてきた。
三強の叩き合いになった。
頑張れ、もう少しだ。
残り200m。

最内から凱旋門賞馬が力強く伸びる。
交わしたはずのドバイWC勝ち馬も差し返してくる。
もう脚は残っていない。
それでも脱落することなく競り合いを続けている。
勝利を目指しゴールへ突き進んで行く。
私の胸が張り裂けそうになる。

先頭でゴールに飛び込んだのは凱旋門賞馬だった。
そこから半馬身遅れてドバイWC勝ち馬。
さらに半馬身差でゴールを駆け抜けた。

よくやった。
この瞬間、心からそう思えた。
レース前に頭で考えた理屈はもうどうでも良かった。
ただ、この馬の走りに胸が一杯になった。


このレースは彼のものである。
私のレースではない。
だから、このレースで私の何かが変わるわけではない。
急に彼のように頑張れるようになる訳ではない。

でも、ふとした瞬間に彼のことを思い出すことがあるだろう。
それがほんの少しでも私のレースに影響を及ぼすかも知れない。
あるいは全然関係無いのかも知れない。

それでも私は彼のことを忘れない。
必死に勝とうとした彼の姿を。

そして、忘れてはいけない。
そのとき感じた想いを。

第5回アメリカンオークス

2006-07-03 23:23:13 | 競馬観戦記
無謀な挑戦なのかも知れない。
昨年、一昨年と日本馬は良い成績を残している。
しかし、過去の2頭は何れもクラシックホース。
それも圧倒的な才能を持った特別な馬達だった。

それに比べてクラシックどころか重賞の勝ち鞍すら無い。
主役にはなれないその他大勢の存在である。
そんな馬が果たして海外で勝てるのだろうか。
疑問の声が上がるのは当然だろう。

だが、彼女には長所があった。
類稀なるスピードは同世代の中ではトップクラスのものであった。
それを活かせそうな舞台へのチャンスが舞い込んだ。
自分の走りができればこの馬でも主役になれるかも知れない。
過去の栄光は無くても未来の可能性に賭けたチャレンジなのである。

彼女の挑戦には心強い味方が居た。
同じ競馬場の前日のレースに出走する牝馬である。
奇しくも彼女が出走するレースに一昨年出走した先輩だった。

人間でも知らないところに一人で赴くのは心細い。
馬でもそれは同じだろう。
でも彼女はひとりじゃない。
遠い異国の地でも平常心で過ごすことができた。

レース前日、頼もしい先輩は一昨年の雪辱を果たした。
次は彼女の番である。
日本の普通の3歳牝馬の挑戦となるゲートが開いた。

互角のスタートを切った。
しかし、出足はそれほど良いとは言えずにほんの少し遅れる。
このほんの少しが致命的となった。

引込み線からのスタートでコースは緩やかにカーブを描いている。
自然と全馬内側に切れ込んで行く。
最内枠から僅かに遅れた彼女の前に次々と他の馬達が入ってくる。
あっという間に後ろから3番手のポジションを余儀なくされた。
そのままの体制で1コーナーを通過した。

スピードを活かしたい彼女にとっては最悪のパターン。
このままの位置で終わってしまってもおかしく無い。。
これでは何の為にここに来たのか分からない。
それくらい絶望的な状況に見えた。

向正面でもそのままの位置。
末脚勝負ができる馬とは思えない。
もう終わった。
そう思ったときだった。

3コーナーに差し掛かったところで鞍上の手が動き始める。
ここから捲くって行こうというのか。
昨日のレースではあるまい。
彼女にそんな競馬はできはしまい。
一瞬、無駄な足掻きのように見えた。

しかし、彼女はジワジワと前との差を縮めていった。
昨日の先輩のような華麗な脚では無い。
だが、懸命に前を追いかけて先行集団に取り付く。
彼女がこんな走りをできるとは思いも寄らなかった。
4コーナーでは3番手まで上がってきた。

直線でも必死で前を追いかける。
2番手の馬はもう目の前にいる。
だが、先頭の馬は遥か前に抜け出している。

それでも彼女は最後まで諦めずに脚を伸ばした。
長所を活かしきったとは言えないこの展開でも。
日本でもしたことの無い競馬でも。
ただ、直向に前へ。

前の馬を捕らえて2番手に上がったところがゴールだった。
彼女の挑戦は終わった。


勝利と言う最高の結果は得られなかった。
だが、堂々と胸を張って帰れるのではないだろうか。
あの状況であれだけの脚を見せてくれたのだから。
見るものの胸が震える様な走りを見せてくれたのだから。
脇役でもここまでやれると知らしめたのだから。

一緒に来た先輩もこのレースでは2着だった。
同じように忘れ物はまた今度取りに来れば良いんだ。
そのときは今の彼女と同じような後輩と一緒なのかも知れない。
彼女が切り開いた道を行く名も無き挑戦者と。

そして、彼女は証明してみせるだろう。
特別な才能が無くてもチャンスさえあれば成功できることを。
直向な心で挑戦すれば不可能は無いということを。

キャッシュコールマイル

2006-07-02 18:31:39 | 競馬観戦記
忘れ物を取りに彼女は再び海を渡った。

2年前のあの日。
勝てたレースだった。
今でもそう思う。

強い馬が必ずしも勝つわけではない。
だが、強さを証明するには勝ってみせるしかない。
しかし、彼女はスランプに陥り雪辱の機会は訪れなかった。

今年の春、彼女はプライドを取り戻した。
気高く強く美しい、あの頃の走りを思い出した。
そんな時、舞い込んできた海の向こうからの招待状。

彼女の復活を待ち侘びていたようなタイミング。
そして、舞台はあの日と同じ競馬場。
雪辱を果たす時が来たのだ。
自らの力を証明するゲートが開いた。

大外枠からのスタート。
直後に1コーナーへ差し掛かる。
この枠順とコース形態では楽に先行とは行かなかった。
道中は後方から3頭目のポジションとなった。

平坦小回りの芝コース。
仕掛けが遅いと先に抜け出した馬を捕らえ切れない。
2年前がそうだったように。
一瞬、嫌な予感が頭を過ぎった。

だが、彼女は全く動じていなかった。
一度どん底を味わい、そこから立ち直った。
それで彼女は強くなった。
もう、2年前とは違うのだ。
満を持して3コーナーから進出を始めた。

馬群の外をグングン上がって行く。
次々に内の馬達を抜き去って行く。
4コーナーで遂に先頭に並びかけた。

そこから更に脚を伸ばし一気に抜け出す。
1馬身、2馬身、3馬身。
後続はもう彼女について行くことができない。

今日の直線は彼女のステージだった。
華麗なる女王の舞。
そこには凛とした強さを感じる。
気まぐれなお嬢様は日本を代表する名牝と成長したのだ。

そのままゴール板を駆け抜け彼女は忘れ物を取り戻した。


超良血の期待に違わぬクラシック制覇。
牡馬相手に互角の勝負を繰り広げた3歳秋。
自分でレースを止めてしまうようなスランプ時。
そして、今年の春の復活の勝利。
デビューからの彼女の姿が走馬灯のように蘇ってくる。
自分の娘の成長を懐かしむかの様に。

彼女が母となる日はもう遠くは無いだろう。
その日は娘を嫁に出すような気持ちになるのだろうか。
でも、今の彼女ならば何も心配することは無い。
しっかりした良い母となる姿が目に浮かぶ。
母の血を受け継いだちょっとヤンチャな仔の姿も。

その仔がデビューを迎えたとき今日の彼女の姿を思い出すのだろう。
「お前のお母さんは綺麗で強かったんだぞ」
そう名牝の仔に語りかけながら。

第29回帝王賞

2006-06-28 23:23:55 | 競馬観戦記
空港へと続くモノレールは込み合っていた。
だが、大多数の人は空港の遥か手前の駅で降りて行く。
そして、ライトアップされた夜の競馬場へと吸い込まれて行った。

ナイター競馬でこれだけ人が集まるのは滅多にに見られない。
やはり、地方と中央のダート王対決に誰もが期待しているのだろう。
胸を高鳴らせながらカクテルライトに照らされたパドックへ向った。

パドックでの両雄は対象的だった。

中央のダート王は引き手に任せるように大人しく歩いている。
外の人ごみへと向ける瞳には素直な内面が滲み出ている。
ライトに照らされ血管が浮かび上がる皮膚の薄さは美しさを感じる。

一方の地方のダート王は時折、荒々しく首を振りながら歩いている。
人間を威圧するかのような鋭い視線を外に向けながら。
雄大な馬格と相俟って他馬を圧倒するオーラのようなものを感じる。

返し馬でも両馬は対象的である。
中央の雄は馬場に出るなりスムーズにサッと流す。
いかにも鞍上の意思に合わせて自由自在に動くといった感じである。
地方の雄は入念にダクを踏んでからキャンターに入る。
首を低く下げた走りはまるで血が滾るのを何とか抑えているように見える。
両雄の臨戦態勢は整った。
イルミネーションの光が消えファンファーレが夜空に響き渡った。

ゲートが開き飛び出したのは地方の雄。
鞍上の手が動きハナを主張する。
中央のダート王は天性のスピードで自然と前に進み出る。
逃げ馬を見るように3番手で1コーナーを回った。

先頭を軽快に地方の雄が行く。
策を弄することなど全く考えないように飛ばして行く。
付いてこれるものなら付いて来てみろ。
その強気な逃げはそう言っているようだった。

この走りに抗うことができるのは中央の雄だけだった。
自然と2番手で前をマークする形となり3コーナーから差を詰めに行く。
4コーナーでは早くも鞍上の手が動き始め一気に勝負に出た。

直線の入り口ではその差は1馬身。
そこから並びかけようと末脚を繰り出す。
だが、その差は縮まらなかった。
前を行く地方の雄はここで満を持して追い出しに掛かる。
今まで抑えていたものを爆発させるように雄大な馬体が躍動した。

逃げる地方のダート王。
追う中央のダート王。
直線の入り口からその差は全く変わらない。
追いかけても追いかけても並びかけることができない。
まるでそこに壁でもあるかのように。

火の出るような激しい一騎打ちのように見える。
だが、どこまで走ってもこの差は詰まらない。
完全に雌雄は決した。

永遠の1馬身を保ったまま地方の雄は先頭でゴール板を駆け抜けた。
電光掲示板にはレコードの文字。
走破時計は砂の首領が24年ぶりに更新した記録を破っていた。
昨日今日と雨は降らず乾いた良馬場だったのにも拘らず。
自ら逃げてのこの時計に一瞬背筋が凍るような戦慄を受けた。
力で捻じ伏せた文句の付けようが無い勝利だった。

勝者がウイニングランでスタンド前に戻って来た。
ゆっくりと走るその姿に合わせて拍手が漣のように広がって行く。
鞍上がガッツポーズを見せると歓声が飛ぶ。

「よっしゃ」
「よくやった」

皆、自分が勝ったかの様に喜んでいる。
まるで自分が地元に錦を飾ったかの様に誇らしげな表情で。
ホームの地で中央のダート王に地元の馬が勝利する。
その喜びをスタンド全体で分かち合っている様な光景だった。
生まれ故郷の祭りの夜のようなどこか懐かしい匂いがした。

第47回宝塚記念

2006-06-25 20:52:47 | 競馬観戦記
鉛色の空は既に泣き出していた。
雨足はさほど強くないもの、止みそうな気配は全く無い。
春競馬の締め括りはこの季節のらしい雨の中で行われることとなった。

天気は何とか持って欲しかった。
良い馬場で走らせてあげたいというのはもちろんある。
だが、一番の理由はレースが観られないかも知れないからである。
傘で視界をふさがれターフビジョンすら見えなくなる。
それでは何のために現地観戦したのか分からなくなってしまう。
私は競馬場に到着するなり傘を差しスタンドに向かった。

この天気でまだお昼時ではさすがに人も疎らである。
だが、一番前のベストポジションには空が無い。
いつものゴール板付近の場所を諦め4コーナー側へ歩く。
結局、ターフビジョンの前に落ち着くことにした。
一番前とはいかないがその直ぐ後ろならば大丈夫だろう。
この場所を死守するためにレースまで立ち尽くす覚悟を決めた。

周りを見回すと私と同じような人が居る。
傘を差し馬場を見て佇む若者。
合羽を着て楽しそうに会話している父と娘。
頭にタオルを乗せただけで既にびしょ濡れのカップル。
皆、雨などものともせずただその時を待っている。
嫌なことなど全て忘れてしまうような爽快な瞬間を。

予想通り雨は止まず、時折雨粒の大きさが増した。
馬場は軽いスピードだけでは通用しないものへ変わって行く。
今日のレースは様々な意味での力勝負になる。
ならば、今日もいけるだろう。
そう私が期待する馬がターフビジョンに映し出された。

パドックでの姿はいつも通りだった。
最初はスキップを踏むようにチャカつく面をほんの少し見せる。
その後は気分良さそうに尻尾を振りながら悠然と歩く。
雨を嫌がることもなく、欠伸でもするように口を開け舌を動かす。
海外への壮行レースでもあるここでは負けられない。
そんな周囲からのプレッシャーなどどこ吹く風である。
だからこそ、あれほど常識外れのレースができるのだろう。
今日も楽しく走ってくれそうだ。

本馬場入場となり待ちわびたファンの表情が明るくなる。
皆、笑顔で姿を追い近くを通るとつい声が出る。
私も彼の首を下げたゆったりとキャンターを見て頬が緩む。
長時間立ちっぱなしだった疲れもどこかへ行ってしまった。

ちょうど目の前がゲートだった。
発走時間が近づき直ぐ近くに集まり輪乗りを始める。
ここで私は傘を閉じた。
雨は相変わらずであったが私の傘で視界を遮られる人がいるだろう。
折角の現地観戦でレースが観られないのでは忍びない。
やはり皆で感動を分かち合わなくては。
それに対して今私ができるせめてもの行動だった。
さすがに周りにも行動を促すことはできなかったが。
だが、そう思っていたのは私だけではなかった。
周りの人たちが次々と傘を閉じ始めた。
最前列の人までもが。
そんな暖かい雰囲気に溶け込むようにファンファーレが響き渡った。

ゲートに入る瞬間をこの眼で見届ける。
直後、乾いた音と共にゲートが開いた。
スタートは可も不可もなく普通に出たように見えた。
そして、いつものように先行争いを尻目にのんびりと1コーナーを回った。

向正面流しに入り、先頭から順番に映し出される。
この時点ではまだ後ろだなと思ったとおりに最後方近くを走っていた。
そして、また前に視線を戻して徐々に後ろへと移して行く。
最近はこの辺りで猛烈な勢いで上がって行く彼を捉えることになる。
だが、今日はまだ後ろの方に居た。
一瞬「えっ」と思ったが直ぐにあの時のレースが頭を過ぎった。
この地で偉業を達成したあのレースが。
あの時も同じような展開だったじゃないか。
いや、あの時の方がもっと絶望的だったじゃないか。
だから、白く煙る景色に紛れて彼を見失っても不安にはならなかった。
4コーナーで大外に持ち出すころでようやく彼を見つけた。

既に先行集団から抜け出す位置まで来ていた。
そして、まだ前で粘る馬を捕らえるべく追撃を始める。
そんな場面で私の目の前を通り過ぎて行く。

騎手、馬ともに泥だらけ。
しかし、そんなものは意に介さず前だけを見据えて走って行く。
重心の低いフォームは前向かって跳躍しているかの如く。
そう、彼は今日も飛んでいた。

先頭を走る馬も良く伸びていた。
だが、彼はあっさりと交わし去りさらに脚を伸ばして行く。
まるで目標はもっと先だと言わんばかりにひたすら前へ。
遥か遠くのものを追い求めるようにただひたすら前に。

ジョッキーが右手の鞭を逆手に持ち替える。
その手をグッと握りかみ締めるようなガッツポーズ。
そのまま世界への扉と繋がるゴール板を駆け抜けた。


勝者にのみ許されたウイニングラン。
スタンドの観衆は拍手で彼を迎えた。
その拍手はどこかいつもと違うように私は感じた。
素晴らしい映画のエンドロールで巻き起こる拍手のような。
心に染みる音楽を聴いた後の感動の拍手のような。
とにかく手を叩かずには居られない。
スタンディングオベーションという表現が相応しい。
そんな、興奮だけとは少し違う暖かさを感じるような万雷の拍手だった。

それは彼が私たちの夢、そのものだからなのだろう。
日本の馬が世界最強に。
そんな競馬ファンが必ず一度は想像する夢。
だが、それは競馬を観続ける程に分かってくる。
実現不可能な儚い夢だと。

でも、彼の走りを観ているともしかしたらと思えてくる。
忘れかけていた想いを蘇らせてくれる。
そして、今日も彼は素晴らしい走りを見せてくれた。
私たちの前で飛んでくれた。
無限の可能性を見せてくれた。

胸が熱くなったとき、人はただ手を叩くしかないのだろう。
それを見せてくれたものに感謝の気持ちを込めて。


やがて、勝者の証を身に纏い再び彼が姿を表す。
スタンドからはもう一度、大きな拍手が巻き起こる。
鞍上の男もパートナーへ馬上で拍手を贈る。
皆、最高の笑顔で英雄に対して拍手を送り続けた。

第56回安田記念

2006-06-04 20:47:42 | 競馬観戦記
香港の英雄と呼ばれる馬がいる。
デビューから連戦連勝の地元最強スプリンター。
その英雄が満を持して未知の距離にチャレンジした。

その場に集まった観衆は英雄が勝つことだけを期待していた。
その期待に応えるように直線で先頭に立つ。
マイルでもやはり強い。
そう思った瞬間、何者かが英雄を急襲した。
ゴール板では僅かにハナだけ差しきっていた。

その馬は英雄と同厩のトップマイラー。
ゴール前で僅かに脚が鈍った英雄をそれ以上の末脚で差し切った。
最も得意な距離で自らの最高のパフォーマンスを見せた勝利だった。

だが、スタンドは勝者を祝福するような雰囲気ではなかった。
余計なことをしやがって。
そんな空気に満ちていた。

その馬は悪いことをしたわけではない。
むしろ褒められるべきことを成し遂げたのである。
しかし、最後まで主役は勝ち馬ではなかった。
このレースは英雄が負けたレースとして人々の記憶に刻まれた。

その後、この2頭は揃って日本へ遠征してきた。
そのレースでも目立ったのは香港の英雄だった。
適距離ではないはずなのに直線では脅威の粘りを見せる。
勝つことはできなかったが香港の英雄の力を存分にアピールした。

僚馬のトップマイラーも持てる力は出した。
直線鋭く追い込んでの4着。
だが、英雄の影に隠れその好走に気が付く者は少なかった。
日本でも主役になることは無かった。


それから1年の月日が流れた。
香港のトップマイラーは再び日本の地に居た。
英雄と呼ばれた僚馬の姿は無い。

今年の遠征馬ではこの馬が大将格と言える。
チャンピオンズマイルを連覇しこのレースに望む。
アジアのマイル王となる資格のある唯一の馬なのだから。

香港の期待を背負いゲートを飛び出した。


道中は中団の内目を進む。
そのままの位置取りで4コーナーを回る。

今の府中は内が伸びる。
故に内ラチ沿いに殺到し馬群がゴチャ付く。
だが、ここを通らないと勝てない。
有力馬たちは狭いのを承知で内を狙っていた。

しかし、その馬群の外側を力強く抜け出す馬が居た。
雄大な馬格から繰り出される力強いストライド。
その走りは香港の英雄と比べても遜色の無い迫力だった。

真に強い馬はコース取りなど関係無い。
そう嘲笑うように内側の馬群を一気に交わし去る。
そのまま後続を突き放し先頭でゴール板を駆け抜けた。

スタンドの一角で小さな旗を振る集団が祝福の声を上げる。
その光景は昨秋に香港の英雄が日本で勝ったときと同じだった。
彼は遂に主役の座に上り詰めたのだった。

あれから、負けても負けても走り続けた。
遠いドバイの地にも果敢に遠征した。
帰国後も直ぐ地元で走り約1年ぶりの勝利をあのレースで挙げた。
そして、7歳になった今年も日本に乗り込み敵地で力を見せつけた。
アジア・マイル・チャレンジの100万ドルのボーナス。
彼はそれを受け取るに相応しい馬と言えよう。

彼の挑戦はそれだけの価値があったのだから。
あの屈辱を乗り越えたのだから。

第73回東京優駿

2006-05-28 21:37:44 | 競馬観戦記
ダービー馬のオーナーになることは、一国の宰相になることよりも難しい。
ある人はそう語った。

賞金はいらない。他の馬の邪魔はしないからダービーを走らせてくれ。
ある男はそう叫んだ。

ダービーを勝ったら騎手を辞めてもいい。
あるジョッキーはそのくらいの決意でこのレースに臨んでいた。

全てのホースマンの夢。
ダービーの季節がやってきた。

今年は群雄割拠の混戦模様。
どの馬にもチャンスがある。

2003年に生を受けた8823頭のサラブレッド。
そこから選ばれし18頭がパドックに現れた。

手入れの行き届いた馬体は日差しを受けて輝いている。
鍛え上げられた筋肉は盛り上がり踏み込みも力強い。
歩く姿だけで最高峰の争いであることが伺える。

その中でも今日の主役と目されているのは意外な馬だった。
二冠の権利を有する唯一の馬にそんな言い方は失礼であろう。
だが、昨年の主役が眩い太陽ならば、今年は味わい深い燻し銀。
決して万人受けする輝きとは思えない。
それでも支持されるのは皆この馬のストーリーに惹かれてしまうのだろう。

小さな牧場で生まれた馬。
傍らに寄り添う苦労人の騎手。
エリート達を相手に挑む夢舞台。

自らに重ね合わせ応援せずにはいられない。
自らの夢を託すように。

やがてパートナーを背に馬場へ現れる。
その堂々たる姿は頼もしい。
まるで今日は自分が主役だと分かっているようだった。

ファンファーレが響き渡りスタンドのボルテージは頂点に達する。
何もかもが歓声に掻き消される中、夢へのゲートが開いた。

遅い。
思わずそう呟いてしまうほどにゆっくりとスタンド前を通り過ぎて行く。
ターフビジョンに映し出された1000m通過は62秒台。
完全に逃げ馬有利のペースである。

先頭を行くのは今年で最後となるスーパーサイヤーの産駒。
逃げにより才能を開花させた巨大牧場グループの隠し玉。
完全に得意のパターンに持ち込まれている。

だが、今日の主役はそれに動じることはない。
枠順を利して内ラチ沿いを虎視眈々と進んで行く。
いつもと同じように前目の積極的なポジションで。

3~4コーナーでもペースは上がらず前残りのムードが漂う。
逃げ馬を早めに捕まえなければ勝負は決まってしまう。
そう思った瞬間、大欅で馬群が見えなくなった。
再び先頭集団が見えたときには外からあの馬が上がってきた。

馬群の最内にいたはずなのにいつの間に。
目立たないながらもその手綱捌きに思わず唸ってしまう。
そして、直線入り口では逃げ馬を射程権に入れた。

逃げ馬が突き放すようにスパートする。
後続は中々前を捕まえられない。
だが、ただ一頭しぶとく脚を伸ばす馬がいた。

鞍上の鞭に応えるように前を追いかける。
重心の低いフォームで力強く。
遂に逃げ馬と馬体を併せる。

こうなればもうこの馬は負けない。
鮮やかな切れる脚は無いかも知れない。
でも、競り合って負けない不屈の闘志がある。
苦しくても下がらない根性がある。

競り落として先頭に踊り出た。
そして、もう終わったとばかりに手綱を緩める。
そのまま、堂々と栄光のゴールを駆け抜けた。

その瞬間、スタンドは安堵の雰囲気に包まれた。
誰もが勝者を祝福するような幸せな空気に満ちている。
いつものお祭り騒ぎとはどこか違っていた。

鞍上の男はゴール後に何度か天を仰いだ。
愛馬の首筋を撫でウイニングランに入る。
スタンドからはまるで身内を労うような暖かい声援が送られた。

鞍上の男はゴーグルを外し顔を拭う。
そして、ヘルメットを脱ぎ小さく頭を下げた。
実直な人柄が表れた飾りの無い心からの感謝の気持ちだった。


圧倒的な才能や恵まれた環境が無くても頂点に立てる。
地道に努力をして直向に頑張り続ければいつか夢は叶う。
今日のレースはその他大勢の我々に勇気を与えてくれた。


帰り道に私はその名に惹かれて宝くじを買った。
夢の始まりの第一歩として。
終わらない戦いの小さな希望として。

第67回優駿牝馬

2006-05-21 21:49:55 | 競馬観戦記
樫の女王。
その道のりは厳しく険しい。

桜の舞台から一気に800mもの距離延長。
誤魔化しが効かない長い直線と坂。
過酷な条件を乗り越える忍耐力と精神力が要求される。

クラシック第一弾は満開の桜の下でスピードを競う華やかな舞台。
そこで活躍した馬はどうしても輝いて見えてしまう。
パドックでは華やいだイメージの彼女たちに眼を奪われていた。

小柄ながらも時折クビをグッと下げ気合を見せる桜の女王。
鼻筋の流星が美しくのんびり歩く天才の恋人。
しっとりと落ち着いている恋の歌姫。
私は彼女たちばかり見ていた。

地味に裏路線を歩んできた無敗の馬にはこんな印象しかなかった。
あの名牝と同じメンコだな。

返し馬でも同じ馬たちに注目していた。
盛んに入れ込む桜の女王。
小走りにゴール板まで歩く恋の歌姫。
その後ろを悠然とポストパレードする天才の恋人。
他の馬のことはあまり眼に入っていなかった。

梅雨の走りを忘れさせるような晴天にファンファーレが響き渡る。
一生に一度のクラシックの舞台。
3歳女王を決すべくゲートが開いた。

どの馬にも未知の距離。
故に序盤は慎重にならざるを得ない。
そんな騎手心理から毎年超の付くくらいのスローペースとなる。
ところが今年は様相が違っていた。

先頭を走る馬が後続をドンドン引き離す。
向正面に入る頃には完全に大逃げの体制に入っていた。
1000m通過タイムは58秒台。
この予想外の展開にスタンドは大きくどよめいていた。

4コーナーを回り直線で外から伸びようとする桜の女王と天才の恋人。
だが、その勢いは前走のような華やかさが無い。

過酷な距離と過酷なペース。
鮮やかな末脚や軽やかなスピードだけでは勝つことができない。
今年はこのレース本来の厳しさが華やかな馬たちを襲ったのだ。

その試練を耐え忍ぶように脚を伸ばす馬が居た。
決して切れるとは言いがたいが一歩ずつ着実に。
華は無いが根性で鞍上の叱咤激励に耐える。

ゴール直前であの名牝と同じのメンコだと私は気が付いた。
そのままゴール板を駆け抜けた。
49年ぶりに無敗の樫の女王が誕生した。


メンコだけでは無かった。
騎手も調教師もあの名牝と同じチーム。
偉大なる牝馬が取り逃した樫の栄冠。
その忘れ物をようやく手にしたのだった。

父はG1で善戦を続けながらも中々勝てずにいた馬。
生産馬と同じレースを走るこの馬に種馬としての可能性を感じ配合した。
そして、生産者はこの父馬に今日はまた別の想いがあった。

巨大牧場グループ一人勝ちで日高地方は経済的に厳しい状態にある。
この馬の種付け料ならば経済的に苦しい日高の人でもチャレンジできる。
結果を出して苦しい中でも頑張っていけるという励みになればいい。
日高地方、三石の小さな牧場はそんな想いを彼女に託していた。


決して華やかとは言いがたい今日の勝ち馬。
だが、彼女は様々な人たちの想いに歯を食いしばって応えた。
その姿は樫の女王に相応しいと私は思う。

デビューから僅か85日で無敗での戴冠。
このシンデレラストーリは頑張った彼女へのご褒美なのかも知れない。

シンガポール航空国際C

2006-05-15 01:32:25 | 競馬観戦記
2年前の今頃、この馬は競馬界の主役だった。
だが、今は遠き東南アジアの地に赴いている。
大きな話題になることも無いままに。
勝利をひたすら追い求めて。

アウェイとなる海外では厳しい戦いが待っている。
気候も馬場も日本とは全く異なる。
もちろん言葉や習慣なども。

だが、ここには心強い味方が居た。
北の大地から海を渡りこの地で開業した調教師。
苦節4年目にして初めてこの国際G1に出走馬を送り出す。
そういう意味では敵でもある。

それでもライバルの騎手に熱心にアドバイスをしてくれた。
そして、自厩舎の馬への騎乗依頼をして実戦を積ませてくれた。

ここにもこの馬を応援している人が居る。
日本にもきっとたくさんの人たちがこの馬を応援している。
そう、この馬はいつも色々なものを背負って走っている。

皆の夢へのゲートが開いた。

最内枠から互角のスタートを切る。
そのまま横一線の先頭争いをするように前へ出て行く。
真ん中から1頭ハナを主張するように先頭に立つ馬が先陣を切る。
それをやり過ごして内ラチ沿いを進み2番手で1コーナーへ向う。

ここでいつものように行きたがってしまう。
だが、鞍上はクラシックを共に戦い抜いた最良のパートナー。
2コーナーを回ったときには上手く宥めていた。
向正面では折り合いをつけて外に持ち出す。

そのまま、しばらく2番手で我慢をする。
先頭との差は2、3馬身。
3コーナーからじわりと差を縮めて行く。
3~4コーナーの勝負どころで少し仕掛けならが更に前との差を詰める。
その差はもう1馬身。
そして、4コーナーでは大外というくらいの外に持ち出す。
馬場の良いところを選ぶように。
当日の騎乗経験がそうさせたのだろう。

問題はここからだ。
日本でもこの形までは持ち込める。
だが、最近はここからのこの馬らしさが中々見られない。
あの心が震えるような走りを見せてくれ。
そう願わずにはいられない。

今日はここから下がらない。
ジワジワと粘り強い走りで前を追いかける。
あの全盛期の頃の闘志で前を行く馬を抜かしにかかる。
あと200mで遂に逃げ馬を捕らえ先頭に踊り出た。

その刹那、内から鋭く脚を伸ばす馬が追いすがる。
内外に馬体を離し、一瞬先頭に並ばれてしまう。

ここからだ。
そう、この馬はここからなんだ。
ここからいつも信じられないような粘りを見せてくれた。
闘志を取り戻した今ならきっと見せてくれる。

力強いストライドで内の馬を突き放した。

そのまま1馬身、2馬身と差を広げる。
夢への距離がドンドン縮まる。
その瞬間が現実のものとなろうとしている。

ゴール直前、勝利を確信した鞍上の上体が起き上がる。
そのまま右手を大きく天へ向って突き上げる。
全身で喜びを表現しながら栄光のゴールを駆け抜けた。

国際G1レース。
その勝者にこの馬の名前が刻まれた瞬間だった。


2年前にあと一歩までたどり着いた夢。
いつの間にか手のとどきそうもないところへ行ってしまった夢。
もう諦めかけてた夢。
その夢が叶う日が来るなんて…
本当に信じられない。

諦めずに戦い続けること。
どんなに負け続けても挑戦し続けること。
今日ほどそれを痛感した日は無いだろう。


生きていると大小様々な争いがある。
争いに疲れると負けることに抵抗が無くなってしまう。
そんなときは彼の勇姿を思い出そう。

いつまでも夢を追いかけ闘志に満ち溢れた彼の走りを。
その瞬間に熱くなった自分の心を。
震えるようなその想いを。

第1回ヴィクトリアマイル

2006-05-14 20:32:34 | 競馬観戦記
歴戦の牝馬たちによる華麗なるスピード比べ。
創設に当たっては賛否両論だった。
競争条件や時期、あるいはG1競争としての格。

だが、今日の錚々たる出走馬を見ると、そんなことはどうでもよくなる。
このメンバーではどの馬が勝つのだろうかと胸躍る。
その瞬間をこの目に焼き付けるため競馬場に行きたくなる。
そんな気持ちにさせてくれるレースならば、いいんじゃないか。
そう思いながらパドックを見つめる。

性格は見た目に出るなどと言われる。
どうやらそれは馬にも当てはまるようだ。

先頭を歩く一昨年の桜の女王。
誰もが目を留めるような美人タイプ。
良家のお嬢様らしくプライドの高そうな視線を周りに向けている。
気まぐれな成績も何となく頷ける。

昨年の桜の女王は落ち着きが無い。
ずっと口をモゴモゴさせて、チャカチャカ歩いてる。
これだけ気がはやっていれば長い距離は向かないだろう。

一番後ろを歩いているのは昨秋の女王。
二人の引き手に素直に従い大人しく引かれている。
談笑する引き手の会話を微笑みながら聞いているかのように。
こういう馬だからこそ鞍上の手綱に素直に従い自在な脚質となるのだろう。

競争馬の不知の病と呼ばれる怪我を克服した2歳女王。
控えめながらも芯の強そうな視線を前に向け落ち着いて歩いている。
苦労を重ね困難を乗り越えた大人の香りがする。
あの息の長い末脚はこの内面から生み出されているのだろう。

他にも栗毛の小柄な末脚自慢は可愛いタイプ。
芦毛の末脚自慢はのんびりとしておっとりタイプ。
いい女ばかりで目移りしてしまう。

本馬場入場が始まり各馬、思い思いの返し馬に入る。
素直に走り出す馬。
首を上げて嫌がる馬。

そんな中、最後の入場とした最内枠のお嬢様がゆっくりと歩いている。
一頭だけゴール板までポストパレードを行い、それから満足気に走り出す。
まるで自分の為にこのレースがあるかのようなその振る舞い。
この馬らしさが滲み出ていて何とも微笑ましい光景だった。

そして、初代女王を決めるべくゲートが開いた。

昨年の桜の女王が一瞬立ち遅れる。
直ぐに中団の前へ取り付いたがリズムに乗れていない。
あのパドックでの様子がそのまま出てしまったといった感じ。

前に行くだろうこの馬がこの調子ではペースが上がらない。
末脚自慢の馬たちも外から早めに中団まで押し上げてくる。
気高きお嬢様は最内枠を利して内ラチ沿いを淡々と先行している。

4コーナーでは有力どころが固まって外を回る。
出遅れたスピードの女王は一瞬伸びかける。
だが外から小柄で可愛い子に交わされ沈んで行く。
さらに外から天才の手綱に素直に従い脚を伸ばし先頭に立つ勢い。
だがその瞬間、内で大人しくしていたお嬢様が軽やかに抜け出した。

それまで目立たなかった鬱憤を晴らすかのように一気に脚を伸ばす。
その鮮やかな走りは何よりも美しく女王の気品すら感じさせる。
後ろから有力馬たちが迫ってくるが先頭の彼女しか目に入らない。
華やかな女王の舞に心まで奪われてしまう。

そのまま、彼女は自分の魅力を見せつけるようにゴールを駆け抜けた。

やがて、優雅なウイニングランをする彼女が戻ってくる。
スタンドは拍手喝さいでそれを迎える。
その歓声は彼女のパートナーにも向けられていた。

「よくやった」
「頑張ったな」

若き鞍上を労うような声援。
皆、彼が苦労を重ねているのを知っているのだ。

東の名門厩舎に所属し、日々眼も眩むような良血馬に稽古をつけている。
だが、その馬たちとG1の舞台に上がることはほとんど無い。
大舞台では外人やトップジョッキーへ乗り代わり。
それでも腐らずに腕を磨きリーディング上位の常連にまで成長した。
そうして、この良血馬に乗るチャンスを与えられた。

そのとき彼女はスランプに喘いでいた。
自分から走るのを止めてしまうように大敗を繰り返していた。
彼はとにかく馬の気分を害しないように心がけて騎乗した。
そんな想いが彼女に通じたのだろう。
結果敗れたものの、最後方からもの凄い脚を使い走る気を取り戻した。
次走の秋の盾ではあわやと思わせる好走を見せた。
やっと彼女は女王としてのプライドを取り戻したのだった。
後は人馬共に勝利と言う結果を残すだけ。

鞍上を信頼し内々で我慢し続けた彼女。
馬を信じギリギリまで追い出しを待った彼。
正に人馬一体の勝利と言えよう。

勝利ジョッキーインタビューで最後に彼はこう語った。
馬も人間もこれから一生懸命頑張ります。

そう、彼らはここからが始まりである。
そして、このレースも今日始まったばかり。
どちらも暖かく見守って行きたい。