S.

たいせつなことを忘れないために。

2011-5-4

2011-05-04 14:38:00 | Weblog
東京に帰ってきて
あまりの寒さに
一気に
テンションが下がってしまうかと思われた私たち。

それが

雫が落ちる
車のガラス窓に映る
大きな駐車場の点々と灯る明かりや

ベイブリッジを渡りながらみる
横浜の観覧車や
キリンたちを眺めていたら

「東京もきれいだよね・・・」

って。


きっと
雨みたいに汗をかく彼に
夏の沖縄の湿度は耐えられないだろうし

例え梅雨入りしたって
今回も降ったのは1日だけ。

ゴールデンウィークの頃の沖縄がいいな(゜-゜)





震災のあと
日々を見つめるとき
わずかに感じる
「ずれ」
「ひび割れ」みたいなものを
ずっと
ごまかすことができずにいたの。


3月11日
私たちが借りている場所に
非難して来られた
デイケアーセンターの方々。

ヘルメットをかぶった先生たちに連れてこられた
赤ちゃんやちいさなこどもたち。

停電してる家より
安心だからと
こども二人連れて
なんとなく一緒にいた若いママ。

懐中電灯を貸してあげた薬剤師さん。

その後の
様々な営みに
ひとつひとつ
最悪の状況の対応までを考えて準備しながら4月を過ごした。


それ以前とは
違うから。



今回過ごしたホテルは
ランドリーサービスが充実しているので
そんなに大変じゃなかったけど
今朝
洗濯物を干していて

新しい洗剤の香りが
すごく気持ちよかったこと。

とっちらかった
部屋のなか。


これが
「戻って来た。」
ってことなのかも。

非日常に
身を置くことで
日常がわかる。


ずっと
みて見ぬ振りができなかった
ひび割れを

やっと
触ってみることができました。


これでいいのかも。


帰りの飛行機のなかで

佐渡裕氏のコラムを読みました。

今ベルリンに活動拠点を移された氏からみた
モダンアートや
もちろん
音楽の都でもある街の様子が

すごく
説得力があるもので

この旅に出て
戻ってくることができた
ひとつの
大きな力になりました。


ベルリンは
ホロコーストを忘れないための慰霊碑が
誰にも躓けるように存在していたり

当然「壁」の名残も・・・

戦争の記憶が
決して切り離せない街だと。


だからこそ
「痛み」
「苦しみの記憶」が根底にあるからこそ

「今
生きていること」の

「表現活動が力強く脈打っている」のだと。



そうか。




わたしね

晃教さんの歌を
聴くのが

ほんとうは
少し
こわいの。



「ひび割れ」の存在で・・・



復興の応援と
晃教さんの歌を感じることの
何となくだけど
「ずれ」もこわかった。


うん。
こわかった。


だけど


私たちは
いま
生きている。


向かいあって
笑いあって
食べて
お酒を飲んで

おしゃべりして

仕事をして。



「今生きている」ことの
「表現活動」を
恐れるなんて!


もう
そんなことに
怯えるのはやめよ。




沖縄で
はじめて泡盛を頂きました。


お勧めの
「万座」の10年もの。

うーん

沖縄硝子の美しさの方が
わたしには
わかりやすかった('-^*)


まだまだ
道のりは長いですね…☆







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